【社会】「いこる」「とごる」「いさる」って何!? 福井弁と三河弁と筑後弁が入り混じるママ友会が衝撃的 [みなみ★]
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11/16(月) 20:05
https://news.yahoo.co.jp/articles/18a0657139ffd1a607b10c909ca9ac2128529964
東海地方に住むブロガーの龍たまこさんが、思わぬところで遭遇した方言について漫画にしています。
【画像】マンガをすべて読む
福井弁、三河弁、筑後弁の邂逅!
仲のよいママ友2人と一緒に、家でお茶会をしていた龍さん。各自思い思いの飲み物を手に盛り上がっていましたが、ひとりがふと、カフェオレの粉末が底の方に溜まっていることに気付き、「なんかこれ底にいこってるみたい」とつぶやきました。
「いこる」……? 一瞬どのような意味かわからずに固まった龍さん。するともうひとりのママ友が、「それを言うなら『とごる』でしょ?」と返しました。「とごる」……? それもわからない!
龍さんは思わず「待って!! 『いさる』じゃないの!?」と口を出しました。……「いさる」!? みごとに3人のママ友が、全員違う方言を使っていたのです。
よく確認すると、「溶け残った粉などが液体の下の方に沈殿すること」を指す言葉は、福井の方言では「いこる」と言い、愛知の方言では「とごる」と言い、龍さんの出身地である福岡県筑後地方では「いさる」と言い表していることが判明しました。ものすごく限定的な状況で使う言葉ですが、それでも地域ごとにこうも違うのですね。
以下ソースで ガキだった頃、なぜか勃起するのをいこるって表現していた。 福井藩は三河の結城秀康を藩祖としているので、類似するのは、ある意味必然である。 >>10
振り返ってみたら当たり前に使っていたお(´・ω・`) ガチの三河弁は語尾が下品なだけで何言ってるかはわかるけどガチの福井弁は何言ってるかわからんかったな。筑後は知らん 福井県民で50代だが、いこるなんて50年間使ったことも聞いたこともない
この記事嘘だろ
それか嶺南地方で使ってるのか? >>30
おこる(熾る)をいこるって言うね
炭を使う飲食店もいこるで通じる その人が福井のどこか知りませんが
私もいこるなんて言葉は聞いたことがないし使っている人も知らない
普通に「コップの底に(溶けないで)残ってた」って言うなあ
その人の地元だけで使っている言葉かも >>10
ガキの頃に稀釈したカルピスを暫くほかっとくと
オカンが「とごっとるでかき回しゃあ」とよう言っとった 名古屋弁はみゃーみゃーゆうとる印象しかなかばい。三河もおんなじやろ。 >>117
んなことあらせんで安心しておいでん
ぶっとばしてやるで >>22
源頼朝も三河弁だが
三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) >>121
こいつとかまさに性格悪い三河人そのもの その状態をピンポイントで表現する言葉があるのは何か理由があるのかね 心配しなくても、三河人は他所者には優しいよ。
悪口は内々で言うだけだから。 >>22
そして、もちろん足利尊氏も三河弁なんだが
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 大牟田だが
大牟田ラーメンのスープ飲んだ後、豚骨の粉みたいなのが
ゆさっとる
と言うね。 >>116
紀伊半島
埼玉の焼き鳥屋でもいこるで通じる 五平餅売ってるところって訛りは少ない。
五平餅圏標準語由来を主張したいw とごる、は知ってたな
単体で聞いたら何のことかと思ったが
状況と合わさると、確かに「とごる」使ってた事を思い出した
しかし、最近は全然この言葉を使ってない気がする
とごらせないように、上手に混ぜるテクニックを身につけたのだろうか >>111
自分は嶺北南部、嫁は奥越。普通に「いこる」は使う なっ ごっ へばでまっだぢゃっ!! (なんだ、これ、底にへばり付いてしまっているね)
んだば へっぱげ!! (それなら、引き剥がせよ)
エミシの国の言葉です 福井弁は「じらてえ」「もつけねえ」「ものごい」が使えたら一人前。 西三河の豊田市に親戚がいっぱい居るけども、とごるは一度も聞いたことがない
(´・ω・`) 「煮こごり」ってあるだろ。ドロッとしてるのが「こごる」。漢字は「凝る」
「とごる」は「溶け凝る」、溶け残ってドロッとなってるから「とごる」 >>112
関西では普通に使わないか? 奈良でも大阪でも『火が大きくなる』事を『火がいこる』って言う。
炭火のイメージだけどね。 >>147
オレは関西人だけど、三重県の人が3日後の事を『ささって』って言う事があるのは驚いた。 一所懸命考えてみたけど、
それに相当する言葉を知らない。
あってもよさそうだけどなあ あなたは知っているか
今からおよそ三百年前江戸城の中で三河弁がはやっていた事実を いこる:居残る?
とごる:溶け残る?
いさる:居座る? すげえ。三河の豊田市の境界から2kmしか離れてない尾張地方に住んでるが、
おまいら三河モンがここで話してる内容がまったく分からんのだがww >>156
そもそも関東の支配層は三河弁なんだが
有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所
■平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡、三河県豊川市)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は三河県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い
■室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む
■戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む
家康入城前の江戸城主は富永直勝
三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖は源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼 >>159
尾張の田吾作に分かるわけ無いだろう
ドン百姓なんだからよ
細川護煕墓参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) チンコいこるっては言う
意味はエロい事考えてムラムラしてチンコに血流が行くこと 三人集まって麻婆豆腐なんか作ったら仕上がる直前に死人が出るなw >>89
勝手にかわいい女の子の発言シーンを思い浮かべてるかもしれんが
普通におっさんも同じように言うからな・・・
あと方言的に言うなら「とごってる」よりも「とごっとる」だな >>16
奈良住んでたけど、とごるなんて聞いたことないし言ってる人も見たことない
よっぽど高齢の人なんじゃない 東三河出身だけど、とごる なんて知らない。
こぞむ とは言うけどな。 正直言うと名古屋弁を早口で話す叔母の言ってることが6割ぐらいしか理解できない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています