渡来人の流入期は大きく3つある。
1.4世紀の初め。東アジアは八王の乱から五胡十六国時代に至る大動乱時代。
五胡の混乱に乗じて高句麗が楽浪郡を滅ぼす。ツングース系民族が半島南部まで
侵入して百済を建国する。その一派は倭国領であった任那を征服する。さらに彼
らは北九州に上陸し、この地を征服し、後に100年ほど続く九州王朝の始祖となる。
この王こそ実在した最初の天皇、崇神天皇である。
2.4世紀末。広開土王の百済侵攻により、百済は敗退。多くの百済人が渡来し、
崇神朝を打倒、応神天皇に代わる。
3.7世紀後半以降。白村江の戦いにより百済が滅亡すると再び多くの百済人が
渡来した。722年には飛鳥の高市郡の人口のうち80から90%が百済人だっ
た。後に新羅と唐が高句麗を滅ぼすと高句麗人が、新羅と唐が戦争を始めると新
羅人が渡来した。畿内はほぼ百済人に占められていたため、高句麗人、新羅人は
東国に送られた