大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い。
(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)

河内飛鳥(大阪府)の文化は百済につながる人々によって創造された百済色の濃い文化であった。
(『河内飛鳥』山尾幸久・立命館大学教授)

「飛鳥における政治の実権は蘇我氏(朝鮮人)の掌中にあった。このころの天皇とは蘇我氏のことである。(亀井勝一郎 他)」「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。(井上光貞・山本健吉)」

「飛鳥は朝鮮文化をぬきには語れない。(司馬遼太郎・上田正昭・金達寿)」「百済から来たばかりの高官「鬼室集斯」が学頭職(文部科学大臣)になったということは、言葉の問題がなかったことを意味している。(佐々克明)」
「近畿地方に最初の統一政府をつくったのは渡来人である。(小山修三)」「飛鳥王朝と百済王朝は親戚関係にあり、天皇の側近は百済の学者であった。宮中では百済語が使われていた。『古事記』『日本書紀』は百済の学者により
吏読表記(百済の万葉仮名)で書かれている。(金容雲 日韓文化交流会議の韓国側代表・画家の平山郁夫は日本側代表)」
「『日本書紀』は百済人を主軸にして書かれ、天皇・藤原氏(百済人)の都合がいいように整理されている。(出雲歴史博物館名誉館長 上田正昭らの対談集)」「飛鳥の朝廷を調べると、いたるところに百済人だらけである。常識的に言って、
百済語が公用語だったとしか考えられない。(佐々克明)」