【古代】邪馬台国九州・畿内並存説、魏志倭人伝の矛盾を解く ★3 [樽悶★]
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歴史堂vol.12(朝日新聞出版、11月6日)の特集は「古代史の謎を解き明かす」である。初めての古代史特集だそうだ。「謎の女王卑弥呼の正体」は武光誠さん監修、「邪馬台国はどこにあったのか?」は仁藤淳史さん監修による。
※省略
仁藤さんは、九州説の拠り所である邪馬台国までの総距離(1万2000余里)を実際の距離ではないと否定する。八幡和郎さんがアゴラ記事(19年12月19日)で紹介しているように、魏志倭人伝は「帯方郡(現ソウル近辺)より邪馬台国に至るには1万2000余里」と記述している。九州の上陸地点である末盧国(東松浦半島)まで1万里、さらに伊都国・奴国・不弥国までを合計すると1万700里で、残りは1300里だから、邪馬台国は九州北部を出ないはずである。
これに対し、仁藤さんは、当時の中国の世界観では「1万2000余里」は異民族が住む世界の外れを指す観念的な数字であり、九州説は成り立たないとしている(15年の福岡シンポジウムでも同様の基調講演をされている。「纏向発見と邪馬台国の全貌」、角川文化振興財団、2016年)。
特集全体では畿内説支持のように見受けられる。纏向遺跡によって畿内説は勢いづいており、仁藤さんの観念的数字説で補強された形となっている。
■纏向遺跡は畿内説の根拠として疑問
私は纏向遺跡を卑弥呼の都だったとすることにも、「1万2000余里」を観念的な数字だから意味がないと割り切ることにも、疑問がある。
※省略
魏志倭人伝は不弥国から邪馬台国は里数ではなく、「南へ水行30日・陸行1月」と日数で記述している。わずか「1300里」に「水行30日・陸行1月」もかかるはずがない。しかも「南へ水行30日」で行くような所に「陸行1月」も歩く陸地は存在しない。明らかに魏志倭人伝のどこかが間違っており、邪馬台国論争が決着せず、様々な解釈が生まれる原因になってきた。
逆に言えば、「1万2000里」と「南へ水行30日・陸行1月」という矛盾がなぜ記述されたのかが解明できれば、邪馬台国がどこにあったのかも明らかになるはずである。
私は、邪馬台国が九州と畿内の両方にあったとすれば、説明できると考えている。九州は福岡の旧山門(やまと)郡(現みやま市瀬高町)の可能性が高い。畿内は纏向遺跡のある大和である。以下のようなストーリーだったのではないかと考えている。
■山門から大和への移住と交易
山門にあった「邪馬台国」の一部集団が、倭国大乱が収まった西暦180年ぐらいから瀬戸内海を通って、大和に移住した。彼らは移住先でも「邪馬台国」を名乗った。
移住があったことは、九州と畿内の地名が類似していることからもわかる。鏡味完二氏は「九州と近畿の間に、十一組の対の相似地名をとり出すことができる。…(それらの地名は)ヤマトを中心としている。…これは…九州から近畿への大きい民団の移住ということを暗示している」と指摘する(※「日本の地名」、角川新書、1964年)。
※省略
九州北部と畿内にはその後も頻繁な交流・交易があった。弥生後期に鉄器が九州北部から畿内へ、畿内式土器が九州北部に普及していった。山門と大和の邪馬台国の集団も両地域を行き来しただろう。九州北部から瀬戸内・畿内にかけて、国同士の緩やかな結びつきがあったと思われる。
■陳寿は2つの異なる報告を混在させた
※省略
魏志倭人伝を記した陳寿は「1万2000余里」「水行30日・陸行1月」という矛盾する記録に戸惑ったに違いない。魏志倭人伝は陳寿が記した三国志のごく一部である。推敲の余裕はなく、矛盾する記録をただつなげて混在させたと考えられる。
これが私の邪馬台国九州・畿内並存説の概要である。並存説はネットで調べたら先人がいた(※新邪馬台国論、大和岩雄、2000年、他)。私の説は2つの邪馬台国の成り立ちや、魏志倭人伝に2つが混在した理由の説明が異なる。
大和の邪馬台国は西暦300年ぐらいから大和政権に発展した。
一方、鉄器の普及に伴い、九州北部の優位性は失われ、山門の邪馬台国は狗奴国(熊本)によって滅ぼされた可能性が高い。大和政権が九州遠征して敵を討ったのが、景行天皇や日本武尊、神功皇后の熊襲征伐の物語になったのではないだろうか。日本書記には、景行天皇が九州遠征で山門の先の八女・うきはまで立ち寄って、女神が山中にいるという話を聞いたという逸話がある。大和政権は卑弥呼のことを懐かしんだに違いない。(浦野 文孝)
2020年11月22日 06:00
http://agora-web.jp/archives/2049033.html
http://agora-web.jp/cms/wp-content/uploads/2020/11/c7a065b061f367d5910e1813a91f4b3e.jpg
★1:2020/11/25(水) 22:57:29.05
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1606488513/ 当時既に九州〜関東までヤマト=倭=邪馬台=大和=日本 あの田川だかその辺にあることに決めたんじゃなかった? 日本って文字使うのも遅かったしすげー遅れてたんだよな
ここらの根本的な文献すら中国頼りっていう
ネトウヨ悔しいw >>6
ヤマトタケルはイズモタケルに酷いことしたよね・・・ 鉄器を言うならば3世紀半ばの畿内は論外
記事自体読んでて意義を感じられない >>8
畿内で見つかっている鉄器
○ホケノ山古墳 畿内 3世紀中期
鉄鏃 約60本
素環頭大刀 1口
鉄製刀剣類 10口
○椿井大塚山古墳 畿内 3世後期
鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、
銅鏃17本、鉄製甲冑1領、鉄鎌3本、鉄斧10個、
鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上、
鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本
その他鉄製冠ではないかと疑われる鉄製品
○黒塚古墳 3世紀後期
刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、小札、U字形鉄製品
たくさん見つかってるよ
九州よりもね 九州説は纏向クラスの遺跡が見つからないのが痛いな
すでに平地は農地になってるから、遺跡があるなら見つからないわけがないんだが 卑弥呼の時代なら
倭と呼ばれたのは朝鮮半島沿岸部から九州北部、越の国までの日本海のラインだろ
大和が勃興したのは出雲が没落した後 卑弥呼が原始宗教で原始人を統治していた頃に中国大陸では三国志
文明レベルが違いすぎてワロタ これはもう結論出ないだろうね
観光客を呼ぶ為の町おこしキャンペーンになってるし まあ8割方奈良だろうが、筑後平野のどこかの可能性も無くはない
証明は不可能 専門家の間では吉野ヶ里あたりで決着ついてんだろ?
大人の事情でわからない事にしているだけで。
世の中には白黒つけない方が幸せになれることもあるしね。 投馬國は、弁辰韓24国5万戸の240年時点での仮称国名
邪馬壹國は、筑紫地域に有った無名の女王国21国7万戸の仮称国名
247年の倭人船寄港地の地名間の里程を示した行程に、
240年に女王国の地理国勢詳細を記した際の国名が直列の行程であるわけが無い。 それだけ。
01 倭人 在 帶方 東南 大海之中 依山㠀 為國邑 舊百餘國 漢時 有 朝見者
02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭
03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
04 始度 一海 千餘里 至 對海國 其 大官日 卑狗 副日 卑奴母離
05 所居 絶㠀 方可 四百餘里 土地 山險 多深林 道路 如禽鹿徑
06 有千餘戸 無良田 食海物 自活乗船 南北市糴
07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國 官亦日 卑狗 副日 卑奴母離 方可三百里
08 多竹木 叢林 有三千許家 差有 田地耕田 猶不足食 亦南北市糴
09 又 渡 一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸
10 濱山海居 草木茂盛 行 不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆 沉没 取之
11 東南 陸行 五百里 到 伊都國 有千餘戸 官日 爾支 日 泄謨觚 柄渠觚
12 丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐
13 東南 至奴国 百里 官日 兕馬觚 副日 卑奴母離 有二萬餘戸
14 東行 至不彌國 百里 官日 多模 副日 卑奴母離 有千餘家
15 南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
17 官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮 可七萬餘戸
18 自 女王国 以北 其 戸數 道里 可得略載 其 餘旁國 遠絶 不可得詳
19 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
20 此 女王 境界 所盡
21 其南 有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王
22 自郡 至 女王國 萬二千餘里 でもあっちこっち寄り道してたら水行30日ぐらい掛かるやんな。 >>19
専門家の間では畿内で決着がついてるよ
纏向が宮殿のあった所で唐古鍵遺跡が主な集落跡
学術的な古代史の論文では全部邪馬台国は畿内にあった事が前提で書かれる 意味ないな
連合国家だったんだし
邪馬台国は(やまたいこく)じゃなくて卑弥子の跡を継いだ台代(とよ)の読みと一緒で邪馬台国と書いて(やまとこく)で間違いない >>3
>当時既に九州〜関東までヤマト=倭=邪馬台=大和=日本
バーカwww 3世紀にそんな広域国家が成立してたのなら、記紀の成立が8世紀
とかあり得ないわ。部族国家を統一して広域国家になれば、統一政権の言語が公用語
となり、その言語で隅々にまで指令が及ぶ。3世紀にはそんな状況は皆無だわ。お前、
発掘バカだろ? www
>>4
発掘調査で、朝倉〜甘木辺りは二〜三世紀ころ、誰かに滅ぼされた邑ということが分かって、
急きょ、山を越えた筑豊の田川に宗旨替えた。が、そこも居心地は良くないらしい 畿内説は狗奴国は東海というが、東海はむしろ纏向の中心的な勢力
畿内説は九州は畿内の勢力下というが、纏向に九州の形跡は皆無
ここからわかることは
纏向は九州を勢力下に治めてはいない(吉備、伊勢、東海、北陸など)ということ 魏人「この国の名は?」
倭人「〇〇たい」(博多弁) 卑弥呼の墓はふつうに比定されてるところあるだろ
宮内庁が中身調査を一向に許可しないから進まないだけ
調べればほぼ邪馬台国の場所ははっきりする
宮内庁は古墳も見せない、三種の神器も見せない
それでいて税金は使うんだからありえねえ 魏志倭人伝の行程を見る限り、邪馬台国は畿内ヤマトで間違いないだろうと思う
行程の記述が間違いだらけだとすれば、風俗や風土を鑑みて九州東部沿岸の可能性が高い
魏志倭人伝を読む限り、間違っても筑紫だけはあり得ないんだよなぁ 九州説の問題は筑紫カルトだろう、九州説を唱えるなら宇佐神宮か宮崎のどちらかしかあり得んでしょ
古墳や出土品が理由で筑紫じゃ、畿内の纏向と同じレベル 弥生時代といえば神話に出てくる出雲の辺りも栄えてたんだよね?
邪馬台国との関係は? まだ近畿とか言い張る人がいるんだな……
もはや「人類は神が創造した」とか主張するのと同じレベルや
仮に存在したとしても九州 >>33
バーカw 「南」を「東」と間違えるバカはいねーよwww 去年5月に放送された
BS−TBSの「諸説あり!」で、中国人の歴史研究者が言っていたことだが、「倭人
伝に記された距離は信用できないが、方角は信頼できる。したがって畿内はあり得ない」
とさw そりゃそうだろ。実は地図や標識が完備された現代人よりも古代人の方が方角
に関しては遥かに敏感だったと思う。地図などのせいですっかり方向音痴になってしまっ
た現代人は、山の向こうに見える富士に辿り着くのに地図や標識なしには迷ってばかり
だろうが、古代人は地形を読む能力もあって、現代人よりも早く富士に辿り着けたんじゃ
ないかとすら思うねw 「万世一系の神の孫である皇室の先祖が、中華帝国に朝貢していたとは・・」
このような図式の解釈/表現をよく見受けるが、いささか及び腰で情弱と言わざるを得ない。
凡百の朝貢レベルを超えた親密な外交関係があればこそ、金印紫綬、銅鏡、五尺刀等々、倍返し以上のお土産を拝したのであろう。
それ以上に豪華であったのが、魏帝から「親魏倭王」の称号とともに「汝を愛おしく思う」という詔書をも授けられたことだ。
つまり、臣下の関係をはるかに超えた親密な間柄を示すものであり、
ロン/ヤス関係や、ドナルド/シンゾー関係にも勝る、強い絆を天下に知らしめることとなった。
かくして偉大なる魏帝の後盾と帯方郡の影の支援を得て、九州邪馬台国の女王卑弥呼は倭30国の共立女王に推戴され、君臨した。
則ちこれが倭国における天皇制の始まりになった、と素直に考えればよいのではないか。
(で、其の後の舞台と筋書きは、天照大神の高千穂神話そのままに進んだ・・。因って卑弥呼の冢は、くだんの神社神域内に有るのであろう) ・三韓が方四千里
・対馬から南に海を渡る
・東に海を渡るとまた倭種の国
・それら倭地(≠女王の境界)を巡り歩くと周旋五千余里
これらの記述から導き出されることは、陳寿が想定していた女王国連合は九州
https://i.imgur.com/MQ9b97a.jpg 九州南部はミミ、ミミナリの国投馬国
縄文人が海の民隼人を従え統一した国
王がいないので卑弥呼を王とする女王国の一員だろう 九州にあった邪馬台国が東に拡大して
途中で出雲を平定したりしつつ
奈良に落ち着いた ってことじゃないの? >>27
それが、倭国大乱だね。 中国は女王国東渡海の倭地の事は何も知らない。
57年の漢の倭奴国王印は漢の匈奴国王印と対応する国名。
奴国というのが有った訳ではなく、この印によって
自分の国は、倭地に有る奴国という事になったんだろうね。
親魏倭王も同じだけれど、漢王としては一応、志賀島w王を倭王として印綬した。
邪馬台国21国のように、いくつかの大夫の領土を纏めた大領主だったはずではある。
これが、150〜190年辺りで戦乱期を迎えた。
もしかすると、狗奴国というのも、この、倭奴国が分裂した、
狗地域の奴国という事のようにも思える。
邪馬台国は朝倉〜甘木辺りが滅びた、大乱を経て190年〜240年当時に
この筑紫地域の21国が卑弥呼を共立したことで纏まっていた。 俺も九州人の血があるからこういうの頭ブチ切れてやっちゃう気質だけど
なんでヤクザには到底なれないくらい優しいって言われるんだろうな
優しいけどいきなりブチ切れるから友人も出来にくい
ブチ切れた時に引かれる >>43
卑弥呼の意志を引き継いだイワレビコが神武東征した
が正解
つまり、卑弥呼=アマテラス 矛盾してるから
魏志倭人伝がおかしいんだよw
途中まで、正しいってことは
嘘を信じさせるための仕込みってことじゃねーかよ 卑弥呼は
中国人が
卑しい巫女て勝手につけた名前だぞ
なんでおまえら有難く使ってるんだ
バカにされてるんだぞ >>49
卑 = ピ (倭人は当時ハ行はパ行で発音していた)
卑 = ×日(呉音でジツ)、×火(呉音でカ) ではない
だから、日のみこ、火のみこ ではない >>45
そのとおりだ。
朝倉〜甘木〜筑前辺りが跡形もなく滅びた倭国の大乱を経て、
190年〜240年頃にかけ、覇者である親女王の8国(対海国〜投馬国の邪馬台連合)がこの地一帯を取り仕切ることとなった。
そして魏王朝・帯方郡との外交関係を強め、これを基盤に、やがて東征への道を歩むこととなる・・・、 >>15
鬼道を使って人々を惑わす女が治めてたとか書かれてるんだよな
麻原彰晃も卑弥呼の時代なら通用したんだろうな >>41
陳寿は倭地に九州とか本州とかいう島がある、そんな発想すら無いよね
倭地は韓国の南海上、周旋5千里くらいにまたがり点在する島々で、韓国から対海国、一大国を伝って行く
一番大きいメインの島は南北に細長く南へと続いてる
メインの島の入り口は末盧国、少し歩いて南に関所の伊都国
さらに南に色んな国を経由して邪馬臺国という都に至り、さらに南にいろんな国があり、さらに女王国境界の南に女王に従わない狗奴国がある
倭地はざっくり会稽東冶の東海上
で、何でこれで「陳寿が想定していた連合国が九州」なのかわからない
陳寿の脳内地図には今の九州も本州も無いと思うけど 卑弥呼の100年ぐらい前の時代の中国には張角という革命家がいたわけで文明の尺度はむずかしいぞ >>42
倭人の名前は、地名を冠する場合が多い。
>>20 で検証していただきたいが、
對海國 一大國の 卑狗 は 狗邪国の 狗で
卑は、狗奴国の 狗古智卑狗 の例で、
狗国の古智は卑狗という事で、狗国の家臣という意味のようである。
卑奴母離は船主の奴国関係だが乗船していたし張政に最後まで付き添っている。
到 伊都國では、爾支 泄謨觚 柄渠觚 だが、張政は一大卒に拘留されており
おそらく、大倭一大率の役人は 邪馬台国21国には属していない。
投馬國 彌彌 彌彌那利、彌の付く国は弁辰韓に多い。彌国の彌なら王。彌彌那利は子分。
邪馬壹國 伊支馬 は壱岐の馬。 彌馬升 彌馬獲支は邪馬国の升 奴佳鞮は奴国の佳鞮。
次有巳百支國には伊聲耆掖邪拘。次有都支國は都市牛利。次有奴國は難升米。
これは、その土地の大夫であると自称している。 邪馬台国九州説は知っていたが畿内説は初耳だ 卑弥呼は関西のどこに住んでいたというんだろうか? お墓はどこにあると言ってるんだろうか? 畿内説を支持する人は教えて欲しい >>53
>女王国の東、海を渡ること千余里で、また国々があり、これからもすべて倭種の国である。
>また侏儒国はその南にあり、人々の身長は三、四尺で、女王国と四千余里離れている。
>また裸国・黒歯国はその東南にあり、舟行一年で到着できるという。
>これらを含めて倭地の様子を尋ねると、海中の島々の上にはなればなれに住んでおり、
>あるいは離れ、あるいは連なりながら、それらを経めぐれば、五千余里にもなるだろう。
周旋五千里の範囲というのは「東に海を渡った倭種の国々を巡れば」という条件付きの範囲
倭種がいるという倭地のことであって、邪馬台国連合の範囲ではないよ 問題は倭人条が書かれた晋の時代には既に倭国との交信は途切れてたから魏の時代や漢の時代の情報から推定して書くしか無かったということだな。ゆえにその記述、とりわけ方角や距離に関しては信憑性が無いと言わざるを得ない >>57
もちろんメイン島の東千里の島も「倭地諸島」のひとつで周旋5千里に入ってると陳寿はイメージしてると思うよ
邪馬臺国連合も狗奴国も東の倭人島もみんな周旋五千里の倭地諸島内
九州も本州も陳寿の脳内地図には無いと思う >>59
女王国の東に海を渡った向こうに、邪馬台国があるという主張は
陳寿の書いたイメージとそぐわないよw >>60
?
陳寿はメインの大きい島の真ん中に邪馬臺国があると考えてる
東の倭人島に邪馬臺国がある、って何のこと? >>61
陳寿は魏に報告された倭国の情報を書いてるんであって
ありもしない空想の世界を書いてるんじゃないんだよ
魏に報告した奴がいるの
ただし、距離が大幅に盛ってあって、方角が微妙にずれてるだけ
畿内説は、陳寿がまったく空想で書いてるという主張なの?
なら卑弥呼も邪馬台国も陳寿の創作ってことでいんじゃねーの 水行「30日」で陸行が「1月」ってのも変な感じだな。
ほとんど同じことじゃん。 陳寿は倭地が今の日本列島の形をしてるなんて全く知らない
漢魏のいろんなツギハギ記録やら、古代中国の世界観やらから倭地を>>53のように脳内イメージしてそれに沿うように文書化した
魏志倭人伝の行程記述を現在の日本地図に当てはめて邪馬臺国を探しても該当するところが分かる訳ない 邪馬台国って言葉が間違ってるんじゃね?
邪馬台国って、実はただの温泉郷で、別府にあった邪馬台温泉郷って話しじゃなかったの?
卑弥呼は温泉花魁で、彼女と遊び呆けた中国の役人が、長期滞在の理由で、水行10日陸行30日と場所を曖昧にして記しちゃったんでしょ?
別府付近は二度火山灰に覆われているらしいから掘れば銅鏡くらい出土するんじゃね?
邪馬台国が国のシステムを有していたとしたら、その後の実在天皇までの300年が空白なのが説明つかないもんな。
九州にも近畿にも邪馬台温泉郷みたいな集落があっただけで、国って意識は無かったんだよ。
弥生時代の末期に国があったと妄想を抱くから、こんな論争になるだけ(笑) 九州説はほとんどが不彌(ふみ)国を宇美(うみ)町としてる。言葉の連想ゲーム
が、そもそも宇美という地名が付けられたのは6世紀(西暦575年)なので最初から間違ってるというオチ >>57
56 参問 倭地 絶在 海中 洲㠀之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里
参問の主語は、女王国所属21国の和名を聞いて漢字にした梯儁である。
この邪馬台国21国が、九州上陸から女王宮までの一月行=南北2千里内に有り
これが、周旋してもせいぜい 五千餘里で納まっている。
54 女王國 東渡海 千餘里 復有國 皆倭種
55 又有 侏儒國 在 其南 人長三四尺 去女王 四千餘里 又有 裸國 黒齒國 在 其東南 船行一年可至
これは当然、女王宮までの一月行の12倍の1年行を越え、周旋可5千里には収まらない。 >>11
鉄器は九州の墳墓から強奪されて畿内に持ち込まれた可能性は? 三世紀の宮廷史料をもとに、三世紀の名史家陳寿が書いた三国志・倭人伝を、
千七百余年後の名もない畿内諸衆が、空想だー、妄想だー、間違いだー、というのは、
世界知らず、身のほど知らず、恥知らずの青ガエルというものだ。 >>65
邪馬台国は南にある、東に海を渡るとまた倭種の国があって巡っていくと五千余里である
と報告したやつがいるんであって
周旋五千里の彼方に邪馬台国があるなんて誰も思ってないし
陳寿もそんなことはどこにも書いてないんだよね 実際もう大体もう事実は
朝鮮人達が好き勝手に日本民族歴史を朝鮮都合に誤魔化しても
既に日本民族歴史の事実はわかってるわけで
日本へ三度渡来してるのは弥生人は全てヘブライ人の南ユダ王国と北イスラエル王国のヘブライ人
神武天皇はヒゼキア王の息子インヌマエル王子のヘブライ人
応神天皇や天武天皇などは北イスラエル部族のヘブライ人
百済や新羅は倭人のヘブライ人
高句麗は中国九夷の北イスラエル部族のヘブライ人の漢人
全くシベリアエベンキオロチョン族の朝鮮人とは全く関係ない
実際
朝鮮人達のまともな生活になったのは
日本統治の19世紀からだろ
文字文化が全く無く
オロチョン語だった朝鮮人達に福沢諭吉や天皇家から神代文字の阿比留文字のハングルを勧められ公用語に
苗字が無いので朝鮮人達に苗字を名乗らせ
ヘブライ人の血の繋がりの全く無い王族や貴族の苗字の金や李や朴を名乗乱立
日本の国家予算で近代化しまともな国に
李氏朝鮮時代まで土人生活さながらの朝鮮を救ったのが日本
日本は土人朝鮮人のオロチョン族を助ける必要は無かった
実際
実際馬鹿チョン達の歴史のほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
元寇にシベリアから追われ朝鮮半島にエベンキオロチョン族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族の歴史
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない
これが実際の民族歴史 もう大体全て実際元々日本語は全てヘブライ語
ひらがな→ヘブライ語
カタカナ→ヘブライ語
漢字→ヘブライ語のセム語
日本→ヘブライ語でニホン
ヘブライ語の意味は
旧約聖書と新約聖書を守る国
大和→ヘブライ語でヤマトゥ
ヘブライ語の意味は
神の民
邪馬台国→ヘブライ語でマタイコク
ヘブライ語の意味は
キリスト十二支族の人々の国
魏志倭人伝→ヘブライ語でギシワジンデン
ヘブライ語の意味は
島に住むヘブライ人達の場所を記す書
倭人→ヘブライ語でイワレ
ヘブライ語の意味は
ヘブライ人
イワレピコの神武天皇→ヘブライ語でイワレピコのスメラノミコトインヌマエル
ヘブライ語の意味は
初代ヘブライ人のスメラ族の天皇インヌマエル
万歳→ヘブライ語でバンザイ
ヘブライ語の意味は
ユダヤ
神への感謝する言葉
ワッショイ→ヘブライ語でワッショイ
ヘブライ語の意味は
神が来た
サムライ→ヘブライ語でシャムライ
ヘブライ語の意味は
守る人 実際本来大体もう実際
日本民族
旧モンゴロイドのトルコ北部の遊牧民アイヌ
民族遺伝子
Y染色体のD2遺伝子
日本民族→Y染色体のD2遺伝子
天皇家→Y染色体のD2遺伝子
アイヌ→Y染色体のD2遺伝子
縄文人アイヌ→Y染色体のD2遺伝子
弥生人ヘブライ人→Y染色体のD2遺伝子
倭人南ユダ王国ユダ族→Y染色体のD2遺伝子
日本民族
百済
新羅
倭人北イスラエル王国の部族→Y染色体のD2遺伝子
高句麗
中国秦
ベトナム李朝
新モンゴロイドのツングース系
シベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
在日朝鮮人→Y染色体のC2遺伝子
朝鮮人→Y染色体のC2遺伝子
朝鮮人達は19世紀まで
名前しかなく
エベンキオロチョン語を話す民族
福沢諭吉や天皇家から神代文字の阿比留文字のヘブライ語のハングルを勧められ公用語に
住民登録の為に名前しかない朝鮮人達に苗字を名乗らせ
ユダヤ教徒のヘブライ人達王族や貴族の苗字
金や李や朴の血の繋がらない苗字を名乗り乱立
金や李や朴は元々のヘブライ人の苗字で朝鮮人達の苗字じゃない
全て国の法律の元公布され資料に残る 畿内説はねーよ
古代人は知識はなかったが馬鹿ではない
朝鮮半島から九州まで船で海を渡る技術がありながら九州から近畿まで陸路で歩くわけないだろ
当時は百あまりのクニに分かれていたんだろ
危なくて陸路なんか歩いて近畿までいくかよ!
近畿に行くなら海を渡ってきた船で陸伝いに近畿にそのまま行くわ 実際もう大体もう実際
日本民族→Y染色体のD2遺伝子
アイヌ民族旧モンゴロイド
中国人→Y染色体のC2遺伝子
シベリア黒竜江省のエベンキ満州族新モンゴロイド
朝鮮人→Y染色体のC2遺伝子
シベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族新モンゴロイド
在日朝鮮人→Y染色体のC2遺伝子
シベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族新モンゴロイド 実際もう大体もう実際
日本
神武天皇インヌマエル王子
南ユダ王国のヒゼキア王の息子
南ユダ王国ユダ族
ニギハヤヒ
南ユダ王国ユダ族
応神天皇
北イスラエル部族
天武天皇
北イスラエル部族
天智天皇
北イスラエル部族
桓武天皇
北イスラエル部族
百済の武寧王
南ユダ族の倭人のヘブライ人
聖徳太子
北イスラエル部族
卑弥呼
南ユダ王国ユダ族ルーツの倭人
南朝
南ユダ王国ユダ族ルーツ
北朝
北イスラエル王国10支族ルーツ
平家
南ユダ王国ユダ族ルーツ
源氏
北イスラエル王国10支族ルーツ
日本
沖縄や西日本
南ユダ王国ユダ族ルーツの倭人
東日本や北海道
旧来の縄文人アイヌの地
百済
南ユダ王国ユダ族ルーツのヘブライ人の倭人
新羅
南ユダ王国ユダ族ルーツのヘブライ人の倭人
高句麗
北イスラエル王国の10支族の部族
ルーツのヘブライ人
全て南ユダ王国ユダ族と北イスラエル王国の10氏族の部族のヘブライ人達の血筋
馬鹿チョンエベンキオロチョン族ルーツとは何の関係もない
これが実際の民族歴史 実際もう実際大体もう事実は
馬鹿チョン→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキオロチョン族
言葉→エベンキ語
中国人→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキ
言葉→エベンキ語
日本人→旧モンゴロイド系トルコ北部の遊牧民アイヌ
言葉→ヘブライ語
ひらがなやカタカナのヘブライ語
ヘブライ語のセム語の漢字
縄文人アイヌ=弥生人南ユダ王国のユダ部族と北イスラエル王国の部族
キリスト十二支族ヘブライ人
紀元前711年に南ユダ王国の生まれたヒゼキア王の息子インヌマエル王子の神武天皇がイザヤと共に海ルートで船で沖縄へ渡来
紀元前660年51歳で近畿に大和王権を建国
イワレピコ初代ヘブライ人の天皇スメラノミコトのインヌマエル王子の神武天皇
ダビデの血筋こそ正当な天皇の血筋
北イスラエル王国の部族は国が崩壊後メソポタミアへ逃れた北イスラエル王国の部族達が中国東北部に移り住み
秦の建国し崩壊後北イスラエル王国の部族達が日本へ渡来
そして高句麗が崩壊後北イスラエル王国の部族達の応神天皇達が馬鹿チョン半島を経て日本へ渡来
三度のヘブライ人達の渡来があるが
秦や高句麗からの北イスラエル王国の部族達の応神天皇達は
南ユダ王国のダビデの血筋の部族でない為正当な天皇家の血筋ではない >>62
もちろん陳寿は漢やら魏やらいろんな報告書を見て倭地の地図を想像しながら文章を書いてる
完全な空想はあり得ない
ご指摘の通り報告書の距離やら方角が不正確だから邪馬臺国の位置が分からないだけで
個人的には、伊都国や奴国までの比定地に争いが無いのに投馬国や邪馬臺国でグダグダになるのは
「投馬国や邪馬臺国が奴国や伊都国から遠くにあるから」かなと思ってる
もし末盧国-伊都国-奴国の距離感に近いところに投馬国や邪馬臺国があるならもっと分かり易く書かれてるはず
投馬国や邪馬臺国でいきなり分からなくなるのは、みんな言ってる通り伝聞で書いてるすなわち北九州から遠くにあるからじゃないかな >>76
アイヌは他の民族の名前に粘着するのやめなよ もう実際もう大体もう事実は
朝鮮人達が好き勝手に日本民族歴史を朝鮮都合に誤魔化しても
既に日本民族歴史の事実はわかってるわけで
日本へ三度渡来してるのは弥生人は全てヘブライ人の南ユダ王国と北イスラエル王国のヘブライ人
神武天皇はヒゼキア王の息子インヌマエル王子のヘブライ人
応神天皇や天武天皇などは北イスラエル部族のヘブライ人
百済や新羅は倭人のヘブライ人
高句麗は中国九夷の北イスラエル部族のヘブライ人の漢人
全くシベリアエベンキオロチョン族の朝鮮人とは全く関係ない
実際
朝鮮人達のまともな生活になったのは
日本統治の19世紀からだろ
文字文化が全く無く
オロチョン語だった朝鮮人達に福沢諭吉や天皇家から神代文字の阿比留文字のハングルを勧められ公用語に
苗字が無いので朝鮮人達に苗字を名乗らせ
ヘブライ人の血の繋がりの全く無い王族や貴族の苗字の金や李や朴を名乗乱立
日本の国家予算で近代化しまともな国に
李氏朝鮮時代まで土人生活さながらの朝鮮を救ったのが日本
日本は土人朝鮮人のオロチョン族を助ける必要は無かった
実際
実際馬鹿チョン達の歴史のほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
元寇にシベリアから追われ朝鮮半島にエベンキオロチョン族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族の歴史
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない
これが実際の民族歴史 実際もう実際事実は
日本の民族歴史
日本民族はトルコ北部の遊牧民アイヌ民族
旧モンゴロイドのY染色体のD2遺伝子
言語はヘブライ語
4〜5万年前にトルコ北部から日本列島に住み着く
7300年前に桜島のカルデラ噴火の影響でアイヌ民族が日本を離れる
2700年前に沖縄に南ユダ王国のユダ族達のヘブライ人の弥生人が船で渡来しインヌマエル王子の神武天皇やイザヤが渡来
ひらがなやカタカナのヘブライ文字が伝来
ヘブライ人の倭人の神武天皇が大和王権を建国し
イワレピコ初代ヘブライ人のスメラノミコトの天皇に
2000年前に中国秦が崩壊して漢人のヘブライ人達が日本へ渡来
1600年前に中国東北部の高句麗が崩壊し中国九夷の北イスラエル部族のヘブライ人の漢人達の応神天皇達が日本へ逃げてくる
ヘブライ語のセム語の漢字が伝来
中国の民族歴史
中国人はシベリアの狩猟民族の満州エベンキ民族
新モンゴロイドのY染色体のC2遺伝子のツングース系民族
言語はエベンキ語
中国の12世紀以前の歴史は全てヘブライ人やウイグル人の歴史
シベリアの元寇に追われ元の時代から現在の中国シベリア満州民族の時代に
朝鮮の民族歴史
朝鮮人はシベリア黒竜江省の狩猟民族エベンキオロチョン族
新モンゴロイドのY染色体のC2遺伝子のツングース系民族
言語オロチョン語
朝鮮の12世紀以前は全てヘブライ人の倭人の国の歴史
10世紀の白頭山の火山噴火の影響で白頭山周辺の朝鮮半島は空白地帯に
12世紀シベリアの元寇に追われて朝鮮半島に住み着く
その後
武臣政権で元寇に降伏属国に
元寇が朝鮮半島を去り高麗建国後すぐに李氏朝鮮時代に
そして日本統治へ
これが本当の民族歴史 もう本来実際大体もう事実は
中国人の本当の民族歴史がネットでバレ始めたからじゃね
元々中国人達も朝鮮人達と一緒で
シベリア黒竜江省のエベンキ
中国の漢人じゃないことがバレ始めだからだろ
漢人はヘブライ人のカナン人
漢字はヘブライ語のセム語
朝鮮人も中国人も自分達のねつ造民族歴史がバレ始めて
誤魔化仕切れなくなってきたから
発狂してるんだろ
その一貫がウイグル人の歴史の抹殺
実際在日朝鮮人達も朝鮮都合で誤魔化してコメントしてるが
仁徳天皇は北イスラエル部族のヘブライ人
中国東北部の高句麗にいた北イスラエル部族の中国九夷達応神天皇が高句麗滅亡後すぐに日本へ逃げて来てるわけで
そのあとを引き継いでいる仁徳天皇は北イスラエル部族
朝鮮人達シベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族とは何の関係もない民族
この時代に朝鮮半島に現在の朝鮮人達は居ない >>80
いくら遠くにあるからといっても
東に海を渡って周旋五千里の彼方にあるなんてことはさすがに報告しないと思うわ 実際もう実際大体もう事実は
元々満州国にいる朝鮮族は満州国時代に朝鮮半島からの密入国者の朝鮮人が敗戦で取り残さただけのことで
高句麗の時代には朝鮮人達はおらずシベリア黒竜江省のエベンキオロチョンだったわけで
満州国時代の朝鮮族など居ない
高句麗は中国九夷の北イスラエル部族のヘブライ人
朝鮮人達何時ものねつ造
百済
日本から渡った倭人のヘブライ人
新羅
日本から渡った倭人のヘブライ人
高句麗
中国九夷の北イスラエル部族のヘブライ人
穢人ワイ
北イスラエル部族ヘブライ人
鮮卑人センピ
北イスラエル部族ヘブライ人
女真人ジュルチン
黒竜江省エベンキ
満州人マンシュウ
黒竜江省エベンキ
朝鮮人
黒竜江省エベンキオロチョン
朝鮮人達何時ものよう騙してる本当の民族歴史がここに 実際もう実際大体もう事実は
日本天皇家血筋
神武天皇インヌマエル王子
南ユダ王国のヒゼキア王の息子
南ユダ王国ユダ族
ニギハヤヒ
南ユダ王国ユダ族
応神天皇
北イスラエル部族
天武天皇
北イスラエル部族
天智天皇
北イスラエル部族
桓武天皇
北イスラエル部族
百済の武寧王
南ユダ族の倭人のヘブライ人
聖徳太子
北イスラエル部族
卑弥呼
南ユダ王国ユダ族ルーツの倭人
南朝
南ユダ王国ユダ族ルーツ
北朝
北イスラエル王国10支族ルーツ
平家
南ユダ王国ユダ族ルーツ
源氏
北イスラエル王国10支族ルーツ
日本
沖縄や西日本
南ユダ王国ユダ族ルーツの倭人
東日本や北海道
旧来の縄文人アイヌの地
百済
南ユダ王国ユダ族ルーツのヘブライ人の倭人
新羅
南ユダ王国ユダ族ルーツのヘブライ人の倭人
高句麗
北イスラエル王国の10支族の部族
ルーツのヘブライ人
全て南ユダ王国ユダ族と北イスラエル王国の10氏族の部族のヘブライ人達の血筋
馬鹿チョンエベンキオロチョン族ルーツとは何の関係もない
これが実際の民族歴史 >>84
デタラメなことばかり言ってると死ぬね
ヘブライの呪いで 実際もう事実は
日本語は全てヘブライ語
ひらがな→ヘブライ語
カタカナ→ヘブライ語
漢字→ヘブライ語のセム語
日本→ヘブライ語でニホン
ヘブライ語の意味は
旧約聖書と新約聖書を守る国
大和→ヘブライ語でヤマトゥ
ヘブライ語の意味は
神の民
邪馬台国→ヘブライ語でマタイコク
ヘブライ語の意味は
キリスト十二支族の人々の国
魏志倭人伝→ヘブライ語でギシワジンデン
ヘブライ語の意味は
島に住むヘブライ人達の場所を記す書
倭人→ヘブライ語でイワレ
ヘブライ語の意味は
ヘブライ人
イワレピコの神武天皇→ヘブライ語でイワレピコのスメラノミコトインヌマエル
ヘブライ語の意味は
初代ヘブライ人のスメラ族の天皇インヌマエル もう大体もう事実は
元々日本語は全てヘブライ語
ひらがな→ヘブライ語
カタカナ→ヘブライ語
漢字→ヘブライ語のセム語
日本→ヘブライ語でニホン
ヘブライ語の意味は
旧約聖書と新約聖書を守る国
大和→ヘブライ語でヤマトゥ
ヘブライ語の意味は
神の民
邪馬台国→ヘブライ語でマタイコク
ヘブライ語の意味は
キリスト十二支族の人々の国
魏志倭人伝→ヘブライ語でギシワジンデン
ヘブライ語の意味は
島に住むヘブライ人達の場所を記す書
倭人→ヘブライ語でイワレ
ヘブライ語の意味は
ヘブライ人
イワレピコの神武天皇→ヘブライ語でイワレピコのスメラノミコトインヌマエル
ヘブライ語の意味は
初代ヘブライ人のスメラ族の天皇インヌマエル
万歳→ヘブライ語でバンザイ
ヘブライ語の意味は
ユダヤ
神への感謝する言葉
ワッショイ→ヘブライ語でワッショイ
ヘブライ語の意味は
神が来た もう大体もう事実は
日本民族
旧モンゴロイドのトルコ北部の遊牧民アイヌ
民族遺伝子
Y染色体のD2遺伝子
日本民族→Y染色体のD2遺伝子
天皇家→Y染色体のD2遺伝子
アイヌ→Y染色体のD2遺伝子
縄文人アイヌ→Y染色体のD2遺伝子
弥生人ヘブライ人→Y染色体のD2遺伝子
倭人南ユダ王国ユダ族→Y染色体のD2遺伝子
日本民族
百済
新羅
倭人北イスラエル王国の部族→Y染色体のD2遺伝子
高句麗
中国秦
ベトナム李朝
新モンゴロイドのツングース系
シベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
在日朝鮮人→Y染色体のC2遺伝子
朝鮮人→Y染色体のC2遺伝子 実際もう事実は
朝鮮人達は19世紀まで
名前しかなく
エベンキオロチョン語を話す民族
福沢諭吉や天皇家から神代文字の阿比留文字のヘブライ語のハングルを勧められ公用語に
住民登録の為に名前しかない朝鮮人達に苗字を名乗らせ
ユダヤ教徒のヘブライ人達王族や貴族の苗字
金や李や朴の血の繋がらない苗字を名乗り乱立
金や李や朴は元々のヘブライ人の苗字で朝鮮人達の苗字じゃない
全て国の法律の元公布され資料に残る
大体もう事実は
日本民族→Y染色体のD2遺伝子
アイヌ民族旧モンゴロイド
中国人→Y染色体のC2遺伝子
シベリア黒竜江省のエベンキ満州族新モンゴロイド
朝鮮人→Y染色体のC2遺伝子
シベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族新モンゴロイド
在日朝鮮人→Y染色体のC2遺伝子
シベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族新モンゴロイド もう本来大体もう事実は
はっきりと現在の朝鮮人達がエベンキオロチョン族と言えるのは
朝鮮人達が話してる19世紀に福沢諭吉や天皇家から勧められたヘブライ語のハングル
朝鮮人がエベンキオロチョン族と言えるのは
現在朝鮮人達が話してるヘブライ語のハングルが
エベンキオロチョン語になってるということ
すなわちヘブライ語のハングルがオロチョン語の当て字になってる
結局本来ならヘブライ語の日本語と全く同じ発音になるはずが
何故かヘブライ語がオロチョン語になってるわけで
一番わかりやすいのが
万歳
バンザイはヘブライ語
ハングルもヘブライ語だから
ハングルでもバンザイと全く同じ発音になる
しかしマンセーwwwww
アリラン
スリラン
オンドル
グック
全てエベンキオロチョン語
これらの言葉はヘブライ語には無い
結局本来なら日本語と全く同じでハングルが日本語と同じ発音で通じないといけない
全てエベンキオロチョン語
これが現在の朝鮮人が全てエベンキオロチョン族とわかりやすい 実際もう大体もう実際の朝鮮人は
シベリアで1万年前に生まれた新モンゴロイドのデニソワ人との混血民族のツングース系
シベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
文字文化が全く無く名前しか持たない民族
トーテニズムのトーテンポールの鳥が主体の天孫降臨の宗教民族
狩猟民族でシベリア土人の文化しか持たない民族
12世紀に元寇にシベリアから追われ朝鮮半島に住み着いたことは中国の歴史書にも記載
事実19世紀の日本統治までエベンキオロチョン語だった朝鮮人達
福沢諭吉や天皇家からハングルを勧められ
住民登録の為に苗字を名乗ったわけだから
もし
未だにロシアがモンゴル帝国だったら
遅く現在のエベンキオロチョン族の朝鮮人達は
ウリ達こそモンゴル帝国の末裔とか絶対言い出す
見栄っ張り朝鮮人ってそんなもの
実際日本から朝鮮半島へ渡ったヘブライ人の倭人の百済や新羅の話は全くしなくなると思うぞwwwww
朝鮮人の民族ルーツはシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
朝鮮人達は弥生人のヘブライ人達では無い もう大体もう実際百済や新羅や高句麗はヘブライ人達の神道文化のヘブライ文化
神社や鳥居や神楽や相撲の神道文化のヘブライ文化が本来の百済や新羅や高句麗の文化
それを日帝文化と忌み嫌う朝鮮人達こぞ
百済や新羅や高句麗民族とデマを振り撒く朝鮮人達こそ真っ赤な嘘
朝鮮人達がハングル大王の世宗大王がハングルを発明したとか真っ赤な嘘
実際は19世紀の日本統治で福沢諭吉や天皇家からハングルを勧められて公用語になったのが本来の事実の歴史
国の公布で公布された期日まで歴史資料にも記載されてる >>89
ヘブライのおまえはデタラメ言って
どれが本当のことかわからなくして
読んだ誰かが鵜呑みにしておかしなことを
現実で口走る変人を大量生産するのが
目的なの? >>81
アイヌって邪馬台国に関係あんのか?
それより近畿説の奴は使節団が九州に上陸して近畿まで歩いていった合理的な理由を示せよ >>56
畿内説が初耳という時点で、何も勉強してないって告白してるようなもんですよ。
よくそんな恥ずかしい書き込みできましたね。 実際もう大体もう実際朝鮮人達が朝鮮人の民族ルーツの歴史を誤魔化してるのと同じで
実際の戦争の歴史事実も朝鮮都合良く解釈して誤魔化してるわけで
実際戦争資料の多くが
アメリカ公文書館に残っている
江戸から明治開国のペリー来航以来
明治から大正そして昭和とGHQ調査で日本国内の資料があり
日本統治した朝鮮
日露戦争
日中戦争
太平洋戦争
満州国建国
朝鮮人部隊の関東軍731部隊の真実
アメリカ公文書館に残っているわけで
日本政府
日本陸軍省
満州国政府
満州国陸軍省
在日朝鮮人達の組織内部
アメリカ政府への日本軍の軍事機密の漏洩してる朝鮮人達のリスト
全て朝鮮独立の為に仕掛けられている資料がある
朝鮮売春婦問題や徴用工現金化問題のデマ話しの分かる資料が残っているから
アメリカ政府も朝鮮の主張は認めない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています