■コロナ禍で迫られる、志望校の選択
 名を取るか、実を取るか。今年の受験生と親たちの多くがこの難しい選択に頭を悩ませているに違いない。「名」とはブランド、「実」とは授業や勉強も含めた大学生活全般のことである。文部科学省は今年8月から9月にかけて、全国の大学・短大を対象に、後期の授業実施方針を調査した。その結果は図表1のとおりで、対象となった821校のうち「ほとんど対面」が161校だったのに対し、158校が「ほとんど遠隔」と答えている。 「ほとんど対面」が地方の小規模大学であり、「ほとんど遠隔」は大都市の総合大学で占められていることは、容易に想像がつく。各大学のホームページを当たってみると、早稲田大学も慶應義塾大学も上智大学も、首都圏のその他の有名大学も、後期授業の大半をオンラインで行っていることがわかる。関西圏は首都圏より多少マシだが、関関同立(関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学)を含む大手は、やはりオンラインやハイブリッド型(オンラインに一部対面式を組み込んだ形式)が中心で、本格的な対面授業は限定的である。

■「通信制ブランド大学」より「地方小規模大学」
 寒さが増す中で、新型コロナウイルスの新たな感染者が急増している。第3波の到来である。このままでは部分的に再開した対面授業すら、いつまたリモートに逆戻りするかわからない。大学に通えないのであれば、いくらブランド大学といえども、通信制コースに入学したのと変わらない。しかも前期は、自粛生活で精神的に追い込まれ、うつ状態に陥った学生が大勢いたという。その悪夢が、また繰り返される懸念すら現実味を帯びてきた。そんな危ない大学に、4年間の学生生活を託すことができるだろうか。そう迷っている方々にはズバリ、地方の小規模大学がお勧めだ。

■地方小規模大学は危機に強い
 大学にブランドを求めるなら別だが、Withコロナ時代に充実した学生生活を送り、しっかり勉強して実力をつけたいのであれば、地方の小規模大学のほうがいい。なぜなら、早々と対面授業を再開し、キャンパスライフも大分元通りになっているからだ。この格差のもとは、コロナ禍に対する耐性の違いである。実は地方の小規模大学ほど、今回のような危機に強い。逆に大都市の大規模・総合大学ほど、脆いのである。私自身、地方の小規模大学に分類される大学に勤めているので、その違いがよくわかる。私が勤務する長浜バイオ大学は、滋賀県北部の田園地帯にあって、大学の周りは一面の田んぼである。学生数は、大学院を含めても1100人程度という、ごく小さな規模の大学だ。しかも理系の1学部(3学科)のみという、典型的な単科大学である。今世紀に入ってからできたので、新設大学の部類に入る。そのため知名度が低く、地元との結びつきもまだ弱い。大学にブランドを求めるひとには、もっとも適さない大学といっていい。だが後期の授業の大半を、対面で行っている。それだけでなく、3月や4月の時点でも、重要な学校行事ができたし、閉鎖措置が取られてからの動きも迅速だった。そうと意識していたわけではないが、コロナ禍に直面し、危機においては、大都市の総合大学よりも、地方の小規模大学のほうが断然有利であることを身をもって体験した。

■感染リスクは10分の1…
 地方の最大の強みは新型コロナの感染リスクが低いことである。3月上旬には日本中がざわつき始めていたが、地方の県では月末になっても感染者がゼロかせいぜい1桁にすぎなかった。滋賀県も、3月末時点の感染者はわずか7人だった。そのお陰で、われわれの大学では卒業式を行うことができた。保護者も来賓もいない、30分ほどの短い式典だったが、ともかくも無事に卒業生を送り出せたのはよかった。4月の入学式と、新入生向けのガイダンスもできた。本学では、毎年4月1日に入学式を行っており、今年も同じ日程で実施した。

 近隣にある県立大学(学生数2800人)でも、卒業式と入学式が行われた。しかしそこからあまり離れていない国立大学(3900人)では、卒業式も入学式も中止になった。また県南部には、関西を代表するマンモス大学の、主に理工系学部をまとめた広大なキャンパス(それぞれ数千人の学生を有する)が2つあるが、やはり卒業式も入学式も中止になった。地方であっても、規模の大きい大学ほどコロナの影響を受けやすく、小さな大学ほど影響が小さかったのである。その後、地方でも感染者はじわじわと増え続けているが、滋賀県の人口当たりの累積感染者数は東京都の5分の1、われわれの大学周辺に限れば10分の1にとどまっている。小さい組織は、意思決定も、それを行動に移すのも速い(以下リンク先で) 

ヤフーニュース11/30(月) 9:16配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/fd78789f1b5200676afdba124b8bf3527db3b40a