上野遺跡から出土した焼けた人骨(県埋蔵文化財調査事業団提供)
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焼けた人骨が出土した上野遺跡。発掘調査が進められている=村上市
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 縄文時代後期前葉(約4千年前)の新潟県村上市・上野(かみの)遺跡から、火葬され焼けた人骨がまとまって出土したことが1日までに分かった。縄文や弥生時代の焼人骨に詳しい明治大・石川日出志教授(66)=考古学、阿賀野市出身=は、「焼けた人骨がまとまって発見された国内最古の事例とみてよい」としている。

 上野遺跡は、「朝日温海道路」建設に伴い、2017年度から県埋蔵文化財調査事業団が発掘調査を進めている。土器や石器などが大量に出土しており、大規模な集落跡とみられる。

 石川教授によると、焼けた人骨の出土は、縄文時代中期には少量の事例があるが、まとまって出るのは後期後半から晩期に多いという。このため、後期初めの上野遺跡の事例は最古だという。

 本県でも約640グラム出土した村上市の元屋敷遺跡の例から、「新潟県の考古学V」(県考古学会・2019年)には、「後期後葉から土葬に加え火葬している」とあり、縄文後期後半から火葬が行われていたと見られていた。県文化行政課によると、上野と同じ後期前葉の佐渡市浜田遺跡から1974年の調査で、焼人骨が出土しているが4点だけで、まとまった骨ではなかった。

 上野遺跡の焼けた人骨を鑑定した新潟医療福祉大の奈良貴史教授(60)が、出土した多くの骨の中から、現地の所見で下あごと歯の付け根の骨だと確認した。今後、複数体分あるかなど詳しく鑑定を進める。

 奈良教授は「骨が白く、その色調から高温で長時間焼かれている」と、たき火などで偶然焼けたのではなく、火葬された骨とする。

 上野遺跡の発掘調査を担当する同事業団の石川智紀課長代理(52)は、見つかった所の土が焼けていないことや炭の量の少なさなどから、「別の場所で焼かれ再葬された」と話す。

 上野遺跡について、県考古学会の寺ア裕助会長(69)は「県内では珍しい焼けた人骨を埋めた土坑や一部に敷石を持つ道といった貴重な発見があった。来年度以降の調査に期待したい」としている。

 また、阿賀野市の土橋遺跡(縄文時代後期・約4千年〜3500年前)でも9月に、焼けた人骨がまとまって出土している。

◎1度土葬後に火葬と推測 太古の死生観解明に光

 「続日本紀」には文武天皇4(700)年に僧・道照が自らの遺言により火葬され、「天下の火葬はこれから始まった」とあるが、今回の上野遺跡や土橋遺跡での発見は、縄文時代から火葬の風習があったことを改めて裏付けた。ただ、現代の火葬と違うのは再葬とみられる点だ。

 県文化行政課の渡邊裕之埋蔵文化財係長(52)は、焼人骨葬は縄文晩期になり、本県や長野、山梨など中部地方で広まったとし、特徴は「土葬で1度葬った遺体を掘り出してから焼いており、何らかの儀礼や信仰が介在した可能性がある」と解説する。

 上野遺跡も骨の出土した場所の状況から、別の場所で焼かれた骨を、再び葬ったと考えられている。

 新潟市西区の緒立遺跡からは、弥生時代の穴を開けた手や足の焼いた骨が見つかっている。渡邊係長は、「ペンダントのように装身具にしていたことは明らか」と話し、親や祖先の骨の一部を愛着の念から身に着けていたのではと推測する。

 こうした風習が、今回の発見で縄文後期からあった可能性もある。縄文人の信仰や死生観の解明につながる一歩になればと期待される。

新潟日報モア 2020/12/02 15:10
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