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『学徒隊虐殺』

1945年3月23日、女子生徒222人と引率教師18名の合計240名からなる学徒隊が沖縄陸軍病院にて看護

戦局が絶望的になると、6月18日、学徒隊は解散を命じられる
しかし、既に沖縄のほぼ全域をアメリカ軍が支配しており
また周辺も既に激しい砲撃にさらされていたため、地下壕から出ることはほとんど死を意味した

最も被害を受けたのは第三外科壕の学徒隊である
第三外科壕は19日朝、【黄燐手榴弾】などの攻撃を受け
【壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡】