https://www.zakzak.co.jp/soc/news/201216/pol2012160006-n1.html
 沖縄県・尖閣諸島を日本領と記した19世紀後半の英国製とドイツ製の地図が新たに確認され、政府が対外発信に活用する方向で調整していることが分かった。産経新聞が16日報じた。いずれも台湾との間に国境線が引かれ、1895(明治28)年に領土編入する以前から、欧州では「尖閣諸島は日本領である」と認識していたことを示している。まずは、先月の来日時に尖閣諸島をめぐる暴言を吐いた中国の王毅国務委員兼外相に見せてあげてはどうか。

 地図は「スタンフォード地図店」(英国)が1887年に発行した「ロンドン・アトラス」と、ドイツ地図発行人のシュティーラー氏による1875年版の「ハンド・アトラス」。尖閣諸島の西側に領土・領海の境界を示す点線が引かれている。ロンドン・アトラスはオーストラリアの国立図書館などに所蔵されているが、今回初めて現物が国内で確認されたとみられる。

 尖閣諸島をめぐっては、明治政府が1895年1月、10年間の調査によって、清国を含むどの国の支配も及んでいないと確認し、沖縄県への編入を閣議決定した。日本人の民間人が移住し、最盛期は200人以上が暮らしていた。

 中国側は、尖閣諸島(中国名・釣魚島)は同年4月に締結された日清戦争の講和条約「下関条約」で台湾とともに日本に割譲され、先の大戦の終戦に伴い、台湾とともに返還されたとする。英国やドイツの地図は、尖閣諸島が台湾の付属島だとする中国側の主張を覆すものだといえる。


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