日ソ戦争 1945年8月
棄てられた兵士と居留民
著者:富田武
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第二章 日ソ八月戦争
第二節 ソ連軍による満洲での蛮行
3 ソ連軍部隊による大量殺戮

 ソ連軍の報復戦は8月27日早朝から始まった。まず大砲を前後に打ち込み、一発ごとに宿舎の内外に伏せていた
婦女子が土煙とともに吹っ飛び、消えた。続いて、豪雨のような掃射。見る見る死体の山ができた。泣き叫ぶ子供や
負傷者はひとつの建物に集められ、射殺された。最後の生存者と負傷者約50人も焼け残った建物に収容され、
外からカギを閉め、ソ連兵が手榴弾を投げ込み、火をつけて立ち去った。戦闘開始から3時間、大半が婦女子と
老人の日本人開拓団約2000人が殺害された(元朝日新聞記者)(高橋、2008、175−176)。

 当時8歳で折り重なる死体の下で生き延びた少年は、こう証言している。「開拓団の家に火が放たれた。その中には
人がいっぱいいる。戦果確認が終わったソ連兵たちの「祝宴」は、人間の魔性をむき出しにした狂気の光景だった。
集落のほぼ中央にあった汲み上げ式の共同井戸は、投げ込まれた幼児、身投げした婦人で埋まり、家屋の焼け跡
には性別もわからない焼死体が丸太のように重なっていた」「赤ちゃんを連れた若い奥さんが生き残っていた。奥さん
が三人のソ連兵に次々と強姦された。獣欲を治めたソ連兵は奥さんの息の根を止めると、泣き続ける嬰児をそのまま
にしてそこを去った」(高橋、2008、212)