12月27日現在で総計2億4434万件のPCR検査を実施した米国は、人口100万人当たりの検査数が73万8200人と、名実ともにPCR検査先進国である。ちなみに日本は、同3万6700人と「後進国」だ。

 しかし、その「先進」米国の感染者数は同日に1920万人、死者数は33万3000人と両カテゴリーで世界ワースト1、人口100万人当たりの死者は921人で世界ワースト第10位である。感染も死者も増加が止まらない同国においては、特効薬であるはずの「検査数の拡充と追跡・隔離の実施」が、感染抑制および死者数減につながっていない。市中感染が指数関数的に増加する米国において、追跡や隔離は有効に機能していない。

 フランスの哲学者であるミシェル・フーコーは、西洋における「理性の時代」の到来とともに、狂気は「非理性」、つまり理性の反対として定義されるようになったと看破した。しかし、コロナ禍を巡るリベラルエリートの「理性」や「知性」は、感染症制御において確かなエビデンスも示せず、機能もしていない。それどころか、理性や知性が救済するはずの一般大衆が苦しみ喘いでいる。その意味において、「理性」は実のところ狂気である。

 コロナ感染が拡大する日本においても、朝日新聞や傘下のリベラル系メディアを中心に「外出するな」「緊急事態宣言が必要」という恐怖を煽る論調が高まっている。だが、リベラルエリートによる不条理支配を強化するのに都合のよい「生命を守る」という名分の偽善や、欧米諸国における「科学」「理性」「啓蒙」「知性」の失敗に学び、逆に感染症指定の見直しや、コロナに対する考え方の転換を行う時ではないだろうか。

 医療や科学に関する権威であるはずの世界保健機関(WHO)は、コロナに関して誤情報を発信し続けて信用を大きく落とした。そんなWHOではあるが、「(配布・接種が開始されたワクチンでコロナ禍が終息に向かったとしても)新型コロナは世界最後のパンデミックではない」と指摘していることは正しい。

 そして、エリートの科学や知性・理性は、これまでの常識を超えた新しいパンデミックに効果的な初期対処ができない可能性が高い。なぜなら、感染症に対する考え方が硬直化し、守るべき民衆との意識も乖離しているからだ。コロナウイルスは、民衆に「リベラルエリートは信用できない」と教えることにより、将来的な社会改革の方向性を示す一助になったのではないだろうか。
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