物価1兆倍!ドイツのハイパーインフレに学ぶこと

日本は太平洋戦争という経済体力を無視した戦争によって、終戦直後から準ハイパーインフレとも呼べる猛烈なインフレに見舞われた。
だが、第1次世界大戦後にドイツで発生したハイパーインフレは日本の水準をはるかに上回る。

現代は高度な金融システムが整備されており、先進国においては、かつてのような破壊的インフレは発生しないとされている。
だが100%安全な通貨というものは存在しない。現在の日本はインフレどころかデフレ懸念すらある状態だが、金利上昇という時限爆弾を抱えており、いつインフレに転じてもおかしくない。
ドイツのハイパーインフレは具体的にどの程度だったのか、資産価格はどう推移したのかなど、歴史を知っておいて損はないだろう。

ケタが違うドイツのハイパーインフレ
太平洋戦争直後に日本が経験したインフレは、国家予算の280倍(インフレ考慮前)という途方もない戦費を国債で賄ったことによる財政インフレであった。
終戦直後から物価上昇が一気に本格化。インフレが沈静化した1955年には、開戦当時との比較で約180倍にまで物価は高騰していた。

ところがドイツのハイパーインフレはケタが違う。本格的なインフレがスタートした1918年から1923年までの約5年間で物価が1兆倍になるという、まさに天文学的なインフレであった。

ドイツは第1次大戦の遂行にGDPの3倍程度の金額を支出していたので、ドイツの最終的な負担はGDPの5.5倍であった。
かなりの負担であったことは間違いないが、先ほどの日本のケースと比較するとそれほど大きい金額とはいえない。
日本は最終的にはGDPの8.8倍の戦費を投入し、経済を完全に破綻させたが、それに比べればドイツの負担はむしろ軽いといってよいだろう。

ではドイツはなぜ、この負担に耐えきれず、ハイパーインフレを起こしてしまったのだろうか。
ドイツは賠償金の支払いや国内の財源不足に対して、当時の中央銀行であるライヒスバンクが大量に紙幣を発行するという金融的な措置で対応してしまった。

中央銀行が経済水準をはるかに上回る紙幣を大量発行すれば、インフレになることは容易に想像できるが、どういうわけかライヒスバンクは、こうした自滅的な選択を行っており、実際にその通りになっている。
ともかくドイツは紙幣の発行で対応し、これをきっかけにマルクに対する信用が崩壊。ハイパーインフレの引き金を引いてしまった。
つまりドイツのハイパーインフレは経済の破綻ではなく、金融的な側面が強いと考えることができる。
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