0001影のたけし軍団 ★
2021/01/15(金) 11:26:18.53ID:WF+0HRSy9愛媛県歴史文化博物館(西予市宇和町卯之町)で24日まで開かれているテーマ展「疫病退散 感染症の歴史と民俗」。
奈良時代から近代までの文献や民俗資料約50点で感染症に向き合った先人の道をたどる。
担当者を驚かせたのは、想像以上に多い感染者の数だ。コロナの時代、学ぶべきことは多い。
館の大本敬久(たかひさ)専門学芸員(49)=民俗学=によると、県内の疫病を伝える最古の文献は「続日本紀(しょくにほんぎ)」。
奈良時代の出来事を中心に、朝廷が平安初期に編んだ国史だ。706(慶雲3)年4月の項に「河内出雲備前安芸淡路讃岐伊予等国飢疫」、
翌707年12月の項にも「伊予国疫、給薬療之」とある。
伊予(愛媛)を含む西日本各地に感染が拡大して人々が飢え、朝廷が使いを派遣して薬などを供給したとされる。
「日本の歴史は、感染症との闘いの歴史です」。大本さんは話す。テーマ展では日本で最初に疫病を記録した日本書紀(720年成立)も展示。
天平年間、天然痘が流行したことから聖武天皇が発願したとされる奈良の大仏や、頻繁に発生した疫病の死者の「御霊」を鎮める
「御霊会(ごりょうえ)」(京都・祇園祭の源流)が生まれた過程も紹介している。
近代に入っても、県内ではコレラや赤痢が猛威を振るった。1902(明治35)年の新聞では宇摩郡(現、四国中央市)の秋祭りで太鼓台を出さず、
往来や大人数での飲食を控えるよう郡長が通達を出したことを記している。
1918(大正7)年に流行が始まった「スペイン風邪」(当時の新型インフルエンザ)では、この年だけで5554人が県内で死亡。
人口1000人当たりの死者は4・9人に上った。
大本さんは「県統計書によると、1918年の県内のスペイン風邪患者は56万5449人。県民の約半数に当たります」と驚きを伝える。
国内のスペイン風邪患者の致死率は、第1波(1918年8月〜19年7月)が1・22%だったのに対し、
第2波(1919年8月〜20年7月)は5・29%に跳ね上がった。ウイルスの型が変わったことが原因ともされ、現代に伝えるものは大きい。
https://mainichi.jp/articles/20210115/k00/00m/040/053000c