「時間の問題だとわかっていました」異端の風俗雑誌編集長が明かした「エロ本、最後の戦い」 から続く

※略

■「想像しうる限りで最悪の事態」

「密を避けてください」「夜の街には行かないでください」。国民全体へ連日のように呼び掛けられるスローガン。そんな状況下では自身が追い求めた“本物の風俗情報”なんて、なんの役にも立たない。よりにもよって、全国を旅して風俗に行こうという『俺の旅』である。コロナの世界では、反社会的なテロ行動と言われてもしょうがない。これまでとは違った深度で、世間から必要とされていないことを肌で感じとっていた。

「風俗店がやっていけなくなれば、風俗メディアの命脈である広告数が激減します。風俗情報誌もサイトもいくつも終わりました。そこで生きている僕たちは虫の息です。連載も一部終わり、収入は会社にいた頃の半分以下。これまで苦しめられて来た『アダルト規制』とか、『紙媒体が売れない』とか、『東京五輪』なんて、コロナに比べたら全然ですよ。“風俗”で生きているすべての人たち。店、女の子、出版社、ライター。みんな大変です。まぁ……想像しうる限りで最悪の事態になってしまいました。ここからどうすればいいのか、猶予は2年ですね」

■「俺の旅」を捨てる?

徳川家康は関ケ原の戦いから3年で幕府を打ち立てた。それに倣ったわけではないだろうが、イコマは独立から3年となる、2022年までを猶予の期限と考えた。

「今はコロナでやれることも少ないですけど、デジタル化も含めて何ができるのかを手探りで模索して、試行錯誤している状態です。コロナの拡大状況も含め、様子をみながら今後の人生設計を決めたいですね。仕事が増えたら、会社を大きくして、夢のある会社にしていきたいけど、もしダメだった時は、別の道も考えなければいけない」

それは自分の分身であり、最愛の友であった、「俺の旅」を捨てるということか。

「生きていくうえで別の仕事をする可能性があるということです。

ただ、『俺の旅』は終わらないですよ。1000年続く『俺の旅』も諦めたわけじゃないです。それで生活できる金が得られなかったとしても、どこかの誌面の隅っこにでも細々と続けていければいいし、もしもそれを載せる場所すらなくなったとしても、出版という形態じゃなくてもいいのかもしれない。特にいまはYouTubeでもnoteでも、個人が自由に発信できます。風俗だと規制はありますけどね。

たとえどこの媒体からも拒否されたとしても、生駒明の生き様を発信すれば、それは『俺の旅』なんですよ。風俗は誰かを救えるんです。いいものなんです。その絶対的な理を、世の中の人にわかってもらうためにも、俺は『俺の旅』を続けていかなければならないんです。まぁ……でも現実は厳しいんですけどね」

イコマは「俺の旅」が時代に負けたとは思っていない。たとえ「エロ本」という土壌で生きることができなくなったとしても、商売としての実態が伴わなくなったとしても、「俺の旅」は概念として1000年続いていく。そういうことなのだろうか。

行き過ぎた話だ。見ている次元が違う話をしているように思う。なぜ、ここまで狂信的になるのか。

■「エロ本はもうなくなっていきますが…」

「それを見た誰かがバトンを受け継いでくれればと思うんです。風俗は人と人とのつながりです。いま、誰からも相手にされずに生きることに絶望している人がいたら言ってあげたい。この世の中はそんなに悪いところじゃないって。自分を救えるのは自分だけです。諦めずに必死に求め続ければ必ず幸せになれる。私は、それを実証するためにいま生きているような気がします。エロ本はもうなくなっていきますが、これから続く若い人たちに、自分の身をもって示したい。人間としての生き方を。エロ本は死んで、イコマも死んでも、『俺の旅』という僕の生きてきた道は1000年先を目指して続いていく。それだけは今も1ミリの疑問もなく信じています」

本当のことをいえば、最初のうちはとんでもなくバカげた話だと思いながら聞いていた。だけど、いまはこの男の狂信的な風俗愛と熱情に、得体のしれない感情が蠢いてしまっている。無理だとは思うけど。引き続きイカレてるとは思うけど。

世界が孤独である限り。

終わらない旅、俺の旅。イコマの旅は続いていく。

1月24日(日)21時0分 文春オンライン
https://news.biglobe.ne.jp/economy/0124/bso_210124_1079043229.html