日本最大のドヤ街と呼ばれる大阪市西成区あいりん地区。同地区の飯場(土木作業員たちの共同生活所)と呼ばれる場所には、逃亡中の市橋達也無期懲役囚が潜伏していたことでも知られる。そこに実際に住み込み、78日間の西成生活を綴った國友公司氏の著書『 ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)が、文庫版も合わせて5万部のロングセラーとなっている。

 國友氏によれば、「飯場には、元ヤクザ、薬物中毒者、ギャンブル中毒、殺人犯など様々な人間が全国から集まっていた」という。その中でもひと際、國友氏の印象に残ったというのが、「自称証券マン」の男だ。

◆40日間の有給休暇で西成の飯場に住み込む自称証券マン

 年齢は30代後半、身長は175約p、体重は90sほど。「証券マン」は、都内の証券会社に勤めながらも40日間の有給休暇を取って西成の飯場に「経験として」働いているという、一体何のつもりで言っているかわからないウソをつく。私は西成の飯場に住み込み、尼崎の現場に土工として派遣され、証券マンと連日一緒に働いていた。


 証券マンは自分の存在場所を確保することにとにかく常に必死だった。目上の人間にはヘコヘコと頭を下げ、下の人間は徹底的に見下す。当時25歳だった私は、現場仕事の経験もまったくなくもっとも年下だった。与えられる仕事といえば、現場から出ていくダンプのタイヤを洗うことくらいだ。何もせずに立っていることが仕事であり、証券マンにとっては格好の見下す対象であった。ホースでタイヤを洗っていると、ストレッチをしている証券マンと目が合った。

「言っておくけど今は休憩中だからね。俺の持ち場は君みたいに突っ立っている暇なんてないんだから。タイヤ洗う時間以外、君何してるの?」

 私を蔑むような顔でこう尋ねてくる。現場が終わってバンに乗り込み飯場に戻ると、「君、いつまでいるの?」と証券マンがまた絡んできた。「自分は10日契約なのであと4日です。延長するんですか?」と返すと、生き生きした顔で証券マンはこう返した。

「延長するさ。有給休暇は終わっちゃうけど現場の監督にお願いされちゃったからには帰れないよ。明日、証券会社に有休延ばせるか掛け合ってみるさ」

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