【警察官自殺】熊本県警、当直を労働時間から除外 過労死ライン超え続け、巡査遺書残し死亡 [七波羅探題★]
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毎日新聞2021年2月6日 06時00分(最終更新 2月6日 08時47分)
https://mainichi.jp/articles/20210206/k00/00m/040/009000c
熊本県警が2020年11月まで、警察署の当直勤務を労働時間から除外する運用をしていたことが、県警への取材で明らかになった。当直勤務中も事件事故などに対応するが、県警は国が「ほとんど労働する必要のない勤務」に限り労働時間に算入しないことを認めている「断続的労働」とみなしていた。長時間労働の末に17年に自殺した県警玉名署巡査の死を巡り、地方公務員災害補償基金が認定した時間外労働と同署の算定に最大で月約50時間の開きがあることも判明したが、当直を労働時間から除外していたのが一因だった。
死亡した渡辺崇寿(たかとし)さん(当時24歳)は12年に高校卒業後、警察官となり、玉名署に配属。自動車警ら係などを経て17年4月に刑事課に配属されたが、同9月11日、遺書を残して命を絶った。
20年11月に自殺が公務災害に当たると認定した地方公務員災害補償基金が21年1月、遺族に開示した認定文書などによると、渡辺さんは週1回のペースで当直勤務(平日は午後5時15分〜翌午前8時半、休日は午前8時半から翌午前8時半)に入っていた。
ところが、県警は渡辺さんに限らず、当直勤務について、手当は支給するものの、労働基準法が原則「週40時間まで」と定めて規制する労働時間には含めていなかった。県警は基金の調査に対し、労働時間に含めなかった理由について、県の規則で当直が「断続的労働」と規定されているためと説明していた。
国は通達で「断続的労働」を「構内巡視や文書電話の収受など、常態としてほとんど労働をする必要がない勤務」と定義し、労基法は労働時間に算入しないことを例外的に認めている。ただ、警察署では当直勤務中も事件の初動捜査や検視、事故対応などがあり、遺族側によると、渡辺さんも17年4月から死亡する9月までに入った21回の当直のうち16回で、事件や事故の対応に当たっていた。
基金も、渡辺さんが当直勤務中に「基本的にずっと仕事をしていた」といった複数の同僚証言などを基に、休憩と5時間の仮眠以外は労働時間に当たると判断した。
その結果、渡辺さんが刑事課に配属された17年4月以降の時間外労働の概算は、基金と玉名署の間で、4月=基金135時間(玉名署80時間)▽5月=112時間(96時間)▽6月=116時間(71時間)▽7月=163時間(143時間)▽8月=116時間(88時間)――と大きな開きがあり、基金の認定では5カ月連続で「過労死ライン」とされる月100時間を超えていた。
当直を労働時間に含めない運用について県警警務課の中林俊郎次席は取材に「県の条例、規則に沿って人事委員会の許可を受けて実施しており、適切だった」と回答。一方で、県内警察署では20年12月から当直を廃止し、夜間勤務も正規の労働時間とする当番制に移行したと明らかにした。渡辺さんの公務災害認定と運用見直しの関係については「20年春から試行していた」と否定した。
当直勤務が「断続的労働」に当たるか争われた訴訟は多く、奈良県の産婦人科医が宿日直の割増賃金などの支払いを求めた訴訟の大阪高裁判決(10年)は、緊急の出産や外来救急などで負担が大きい医師の宿日直勤務を労働時間と認めた。判決を踏まえ、警察大学校の付置機関「警察政策研究センター」の所長(当時)は14年の論文で、全国の多くの警察署で当直が断続的労働とみなされているとし、「当直中の業務負担が恒常的に過重である署があるとすれば『軽度または短時間の労働』と言えるか疑問が生じる」と指摘した。
脇田滋・龍谷大名誉教授(労働法)は「いつ起こるかもしれない重大事態に対応しなければならない警察署の当直業務を『断続的労働』と扱っていたのは驚きだ。全国の警察署の労働実態を把握し、必要があれば見直すべきだ」と語る。警察庁は、現在の全国の警察署での当直の取り扱いについて、取材に「把握していない」と答えた。 刑事になりたがる警察官がめちゃくちゃ少ない理由がこれ >>1
コロナは上級への天罰である
今起こってる状況を一言で説明するならこういうことになる
もっとも「上級」というのは、単に社会的階級のことのみならず
住んでる地域の格差、勤めてる会社での格差、国家間の格差など
あらゆる要素で上級度が高い人ほど受けるダメージが大きくなるウィルスである
(ミハエルショーロホフ) 民間じゃ有り得ないない
こんなことしたら裁判になる これ熊本県警だけじゃなくて全国の警察や消防で同じ運用だと思うぞ 上層部が残業代中抜きしてるってマジなのかな
人事院はなにやってるんだ? ドラマ見て刑事になりたいと思って警察官になる人も多いんだろうな。現実は厳しすぎる。 >>8
裏金作って所長が異動する時に
総取りして行くやつか ほとんど労働のない当直勤務を労働時間に含めるかどうかの問題ではなく、
ほとんど労働のない当直勤務と言いながら仕事がみっちり詰まっていたという問題なわけか >>1
まあ、もちろん過重労働は良くないが、
この自殺警官も、精神的コントロールが必要だったよな。
話は飛ぶが、たとえば、ヤクザのチンピラだって、組付きになると、ほとんど24時間労働。
組の事務所などで寝泊まりし、電話がかかったり、何かあれば、飛び起きねばならない。
しかし、チンピラが過労死したとは聞いたことがない。
それは、やはり、「こういうキツイ状態はいつまでも続かない。やがて楽が出来る時が来る」との思いがあるからだろう。
また話は飛ぶが、戦時中、前線の兵士には休める時がなかった。得に日本兵においては。 確かお前らによると公務員はろくに仕事しないんだよな? おー、警察が人殺ししたのか
誰を殺人罪で捜査するんだ? 警官って、末端も上級扱いだっけ?土方並みと聞くけど。 >>1
職場、学校、ママ友間など、どこもかしこも、
無関心、冷酷、薄ら意地悪、いじめ、陰湿が万円してるんやで 違法行為を取り締まる側が違法行為しまくるとか終わってんなあほんとw >>2
刑事というか、専務警察に就きたがらない原因がそうだな。
とにかく休めない。たまに取れても、呼び出しが気になり不自由極まりない。 オペで切断した足は火葬できることを伝えたら、癖が強すぎるギャグで返してきた患者さんの話「すごい精神力」「こういう歳の取り方したい」
http://ledsyi.taiwansemicon.org/EmId/531721868.html >>7
継続的勤務みたいな定義自体が労基の制定だろうしな
首都トンキン産物 仮眠ふくめて長期労働拘束いわれてもな
警察なんか暇だからネズミ取りしてたり
たいした事件でもないのに10人くらいとんできて
大袈裟なことしてんだぞ 一般人は寝る間も惜しんでみんな働いてたのが仕事が無くて死んでしまう現実 理想の正義の警察像とのギャップからの失望
体育会系筋肉馬鹿による新人へのイジメ
汚れ仕事は全部若手にやらせてるもんな
若手の自殺はこんなとこだろ 当直勤務は当然として強く帰属を求める言動は帰宅後もシャキッとしてしまうので断続的労働みたいなもんだ
非正規ってその辺見抜いて割に合うか計算してるからね
感覚重視のお猿さんってわけでもない
法曹もその世界で前例を覆すのは難しい事情がありまして〜とアプローチしてくべきなのかな >>27
馬鹿はほっとけ
引き篭もりすぎて現実の情報が分からないんだろ >>1
労働基準法を根拠に言ってるけど、地方公務員は一部を除いて労働基準法が適用されないぞ イジメで自殺したのに
何故か長時間労働で自殺になりましたって感じか 嫌な仕事もきつい仕事も誰とやるか?どんな上司かで楽にもなれば地獄にもなる。 昔刑事だった時、当直勤務で寝られた試しがなかった。
逮捕事案、検死業務でまず寝れない。
しかも残業手当は課長の裁量。気に入らなければ手当を下げられる。
地域課員の方が人気だったな。 熊本はこういうところが目立つ。水害とかもそうだけど、城下の選民以外はこの手の扱い受けて当然みたくされてる。 警察はこれがあるからな
上司も無駄に偉そうにするし
残業代が少ないだけでなく、夜勤明けとかでも送迎会に出席しろだの
異常な宗教みたいな組織 >>42
32時間勤務。
当直明けでも昼過ぎまで帰れない。 犯罪者は見つけ次第射殺可にすれば、警察官志願者が増えると思うの 家族の為を思うなら
自分用の日報つけとけ
面倒ならスマホのGoogleロケーション履歴でもいいぞ >>40
俺も元警だが、生活安全課の刑事になってからはきつかった。
当直はまともに寝られないし、汚い共用ベッドで、半月に一回くらいしかシーツを変えていなかった。
当直の交替時間になって仮眠時間になっても、次から次に異状発報があり、そのたびに現場に密行するんだが、身柄事件にならないようにだけを願っていたよ。一睡もできないどころか、書類作成に忙殺されるから。
当直明けの日、出勤簿では振替休日や代休を勝手に割り当てられていて、ごく普通に仕事していた。
まる1日寝ていなかったのに、シャワーすらできなかった。
で、通常の被疑者や参考人の調べはどんどん持たされる。
ほとんどが任意調べだから、取調べは相手の学校・仕事終わりや休みに合わせにゃならない。
何とか月間に備えて端緒を仕入れて、月間に合わせて報告し、選挙があれば選挙専従にいれられて、セコいネタを取り貯める日々。これも当然任意。
相手の休みに合わせたら、自分の休みはなくなるし、かと言って割増賃金なんて出たことがない。
何かするにしても届出ばかりで心底うんざりして、人事異動時期前に合わせて辞めたわ。
人生を警察に捧げて、叙勲や大したことない天下り先を世話してもらっても割に合わないし。
頑張れば内輪で一応表彰されるが、市民に感謝されないのは非常に虚しかったな。 >>40
昔に刑事やってた人の話聞いたけど、平常な年の休日数は月に1日くらいだって言ってたな
警官が高給取りだなんて言われてるけど実質拘束時間まで含めると最低賃金は下回ってるし、何より休みというものがまるで無い
警官は人生の全てを仕事に費やせる人で無いと無理だな。そして退職後は仕事時代の無理がたたって早死にするのが多いパターン >>48
被疑者や参考人てのもわかりませんじゃ済まないからとりあえずこの人にしとこうみたいなのがあって当然冤罪や多大な時間をかけて未解決事件になる
警察に空き巣通報したら電話番号書かされておまえが重要参考人だといきなり怒鳴ってきたことがあった
歩いてすぐのところなのに見に行かないで 暇そうに3人もいたので見に来いって言ったのに
婦警さんが空き巣と思われる場所を私物のスマホで検索してgoogle mapでここですか?ってやってきたんだけど
警察署の位置情報でGoogle マップ使ったら捜査情報漏洩になるだろうが
こういうのも全部刑事に上がって無駄骨になってるんだろう
一番楽なのが通報者が犯人とすることなんだと
落とし物届けたら現金抜いて届け主を犯人にするのも常套手段だそうです くだらないネズミ捕りを必死になっているのとか、職質で拒否されたら10人がかかりで囲んで
いるような反対がこれ?人員配置の考えた人間バカでしょう。それとも無能が多すぎて
使えるのは少ししかいないとか >>48
感謝されるようなことしてないんだから感謝されなくて当然 日本民族が作り上げるありとあらゆる集団(ユニット)。
学校の班から始まってママ友仲間に至るまで・・。自浄できないよね?
外から糺してもらうしかない哀しみの集団。なんと国も、個人も。
お前らもだんだん日本民族の悪しき部分がはっきりと見えてきて
うっとりとできなくなってきただろ。
悪口を書いてるのではなく、地獄を変えて
良くするすために書いてることもだんだんわかってきたかな?
(最後の一文は麻原で再生)愚民田吾作をバカにしてるおいらの気持ちよ。 「大正9年5月24日午後12時を忘れるな」
尼港虐殺―マニラ虐殺―南洋諸島・日本全土焦土化大虐殺―満洲樺太虐殺
尼港虐殺の時も実質日本軍だけが日本人と他民族を守っていた
大東亞戦争においてはソビエト&中共を英米仏が支援して被害は甚大なものになった >>1
こんな人たちが一般国民に対して違法行為を取り締まろうっていうのだから頭がいかれているわ >>59
1920年(大正9年)3月から5月にかけて
アムール川の河口にあるニコラエフスク(尼港、現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ)で発生した、
赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件。(anary0111
港が冬期に氷結して交通が遮断され孤立した状況のニコラエフスクを
パルチザン部隊4,300名(ロシア人3,000名、朝鮮人1,000名、中国人300名)が占領し、
ニコラエフスク住民に対する略奪を行った末に、
中国海軍裏切りによる艦砲射撃と重火器の貸与により
日本軍守備隊を殲滅し、老若男女の別なく数千人を虐殺した。
殺された住人は総人口のおよそ半分、6,000名を超えるともいわれ、
日本人居留民、日本領事一家、駐留日本軍守備隊を含んでいたため、国際的批判を浴びた。
日本人犠牲者の総数は判明しているだけで 【 731名 】 にのぼり、
ほぼ皆殺しにされた。 >>61
>パルチザンの進軍
1919年11月ハバロフスク地方アナスタシエフカ村で、沿アムール地方パルチザン部隊指揮官協議会が催された。
この会において、ソビエト権力復活のために、
アムール川下流地帯にパルチザン部隊を派遣することが検討され。
指揮官には ヤーコフ・イヴァノーヴィチ・トリャピーツィンが任命された。
トリャピーツィン率いる部隊は、二ヵ月あまり諸村をめぐって人員を募り、
一月半ばに アムール河口のニコラエフスクを包囲したときには、4000人以上の部隊にふくれあがっていたという。
>朝鮮人パルチザンは中国政府の調べでは1,000名であった。
アメリカ人マキエフも1,000名であるとしている。朝鮮人過激派は 掠奪した軍服を着用していた。
ニコラエフスクに住む朝鮮人(日本国籍)は916人で、日本人の3倍ほどだった。
ロシア国籍を持った高麗人もいて、それを加えるともっと多かったと思われる。 >>62
ウラジオストクにいた「朝鮮独立運動指導者 李東輝」が
ウラジーミル・レーニンから資金援助を受け、赤軍と協力する方針が示されていた。
「ボルシェヴィキに入ることに無関心」だったがトリャピーツィンが朝鮮独立への赤軍の援助を確約したことで
市内の朝鮮人会は部隊を組織し、パルチザンの傘下に入ると忠実な手先となり
監獄の監視、死刑執行などを確実に行った。 >>63
24日トリャピーツィンの使者オルロフが 日本軍守備隊を訪れて、ニコラエフスクの明け渡しを申し入れたが
守備隊長は「このパルチザンは強盗団である」という認識から、
ロシア白軍の求めに応じて、白軍探偵局へオルロフを引き渡した。
白軍は、引き取った使者オルロフを殺した。
実際に山賊をしていたという証言もある。
「オルロフは、1918年のボルシェビキ委員のベベーニンとスレポフとともに逃亡し、逮捕処刑されるまで、山賊をやっていた」
オルロフの処刑について、スモリャークが述べるソ連側の言い分では、
「白軍は使者を残虐に責め殺した」ということである。
一方、白軍将校の中で奇跡的に虐殺をまぬがれたグリゴリエフ中佐は、次のように証言している。
「パルチザンが町に入った後、彼らは軍使オルロフの死体を発見した。
トリャピーツィンの命令で、
ロシア人および日本人医師からなる委員会が組織され、オルロフの死体を検視した。
そして、銃痕以外には、なにも傷がないことが確認された。
私は、このことを委員会の一員だったポブロフ医師から聞いた」 全国の警察署の労働実態を把握し、必要があれば見直すべきだ→実際に危険な目にあったら
こうやって保障されている以上、危険な仕事だからという理由で給料で優遇する意味はないと思う
危険手当は廃止して殉職した場合の手当を2%ぐらい現状より上乗せにすればいいともう >>2
警察官になるまでは刑事志望が多いんだけど、初任科中に半分に減り卒配直後の刑事研修でさらに半分に減り、残った希望者が刑事になっても半年〜1年で辞めるのも多いらしいな
これから警察受けるやつは刑事ドラマに騙されんなよ
犯人を追いかけてカッコよく逮捕なんてないからな
せいぜい通逮で逮捕状読み上げるだけ
業務の大半がデスクワーク 裁量労働制のオレは高みの見物だ。
月の残業時間200時間を超えたりしていたが
残業という概念すらないぞ。もちろんメンタル
も身体もボロボロだけど、国が認めた裁量労働制。
2週間くらい帰れないこともザラにあったが、
今はコロナで在宅ワーク。急に楽になった。
コロナが終わったらまた同じように仕事できるか
自信がない。 >>64
リューリ兄弟商会の社員だったYa.G.ドビソフにも、同じような証言がある。
「トリャピーツィンによって公開された情報は、実際の事実とは一致しなかった。
『我らの軍使オルロフは拷問によって殺され、このことは国際調査団によって確認された』
という
彼の主張は全くのデタラメであった。
ロシア人と日本人の医師からなる調査団は、オルロフの死体を検査し、数ヶ所の銃弾の痕以外は、他に傷がないことを照明した。
私は、ボブロフが、調査団のロシア人医師の一人であったことを覚えている。
トリャピーツィンは、この結論に大変不機嫌であった。
そして、検査の報告を公表しなかった」
木材工場主のI.R.ベルマントもこう証言する。
「トリャピーツィンは 町に入市するとすぐロシア人と日本人の医師、住民の代表からなる合同委員会を任命した。
委員会は、数発の弾痕以外、オルロフの遺体には、何らの傷あとも、
拷問のあとも認められない、と断定した。
このことは、委員会のメンバーだった、ユダヤ人住民代表のデルザベットとボブロフ医師に聞いた。
トリャピーツィンは以前から、
オルロフは拷問によって殺された、と触れ回っていたが
委員会によってその結論が出たにもかかわらず、同じ事を言い続けた」 命懸けで仕事してると公言してる以上は死んでナンボや。
定年まで生きてたらそれは真面目に仕事してなかったということです。 >>68
>ニコラエフスク開城交渉に先立つ2月5日
アムール川を遡った内陸部にあるブラゴヴェシチェンスクにおいても、政変が起こっていた。
赤軍が政権をとるにおよんで、白軍などは家族とともに日本軍に保護を求めてきたが、
ここでは白水師団長が自ら赤軍側と交渉し、
「一般人民の生命財産の安全を保障し、市内の安寧秩序を確保すること。市内にこれ以上の武装勢力を入れないこと」
などを求めて、ついに呑ませ、白軍の軍人も助けた。
日本軍は政治的中立は守るけれども、
治安維持に責任を持っている以上、ロシア人の生命、財産の安全にも口をはさむ、という姿勢だったのである。
なお、ブラゴヴェシチェンスクでは
1900年に清国人3,000人がロシア軍によって虐殺されるアムール川事件が起きている。
>開城合意の波紋
2月27日 ニコライエフスクの市民代表団と赤軍の間で開城合意文書が調印された。 >>70
>共産赤軍支配下の尼港
ニコラエフスクに入城したパルチザン部隊は、資産家の自宅や公共施設、アパートなどを接収し、分宿した。
入城セレモニーの後、
トリャピーツィンは、赤軍司令部によって、自身がニコラエフスク管区赤軍の司令官に任命されたことを宣言し
本部はノーベリ商会の館に置くことと、赤軍の人事を発表した。
参謀長はナウモフ。
レホフとニーナ・レベデワ・パウロウナ・キャシコが本部宣伝部門指導者。
チェーカー3人、軍事革命裁判所メンバー5人、などである。
続いて、全公共機関には監視員が派遣され、印刷所が接収されて、町の新聞はすべて発行禁止となった。
またすべての職場で労働組合を組織することが命令され、
組合員に加入しなかったり、受け入れられなかった者は、「人民の敵として抹殺される」と発表された。
同時に、
チェーカーとパルチザン部隊の活動が始まり、
公共機関、ビジネス界で重要な地位にある市民たちの資産没収、逮捕が発令された。 >>71
最初の逮捕者は、400人を超えたといわれる。
ロシア白軍の将校にはじまり、ついで白軍兵士や出入り商人、企業家、資産家、
立憲民主党員、公務員、知識人、聖職者、個人的にパルチザンの恨みを買っていた者など、
女性も年少の者も区別無く投獄され、拷問にあい、処刑された者も多数にのぼった。
銀行や企業、産業、商業の国有化が開始され、投獄された人々の資産は没収された。
徴発委員会が組織され、個人宅に押し入って金銭、貴金属類などを奪ったが、
それに名を借りて、個人的な略奪も横行した。
逮捕者の数は増え続け、ニコラエフスクの住人は、パニックに陥っていた。
【 共産赤軍の 約束を守らない のは 現在でも常套手段である。】 刑事やりだしたらこんなもんやないやろ
お巡りさんの世界もみなし残業、サビ残横行してるなら問題
地方や田舎ほど警察官のステータスが高いのも問題 >>72
『ニコラエフスクの破壊 』の著者グートマンは、調査報告書をもとに
「日本軍本部は、血に飢えた人々に接収された町の中で、ボルシェビキの残虐な行為に対して、
不平を言い、住民を困難な状況での避けがたい死から救うことを
喜んでしようとする唯一の人間的な公共機関であった」
とし、
およそ次に要約するようなことを述べている。
「赤軍が開城合意条項を裏切り、文化教養のある層を殺戮している中で、
ロシア人はひそかに日本領事を頼り、日本人居留民も、次は自分たちではないかと不安を訴えた。
日本軍は、毎日のように、合意遵守の必要を赤軍本部に訴え、略奪、殺人、拘束に抗議したが、無視され続けた。
そこで、
『日本軍と赤軍との合意条件の下では、市民の殺人、逮捕、資産の略奪は許されない』
というビラを刷って配ったが、パルチザンによって破棄された。
日本軍将校が、トリャピーツィン本人に抗議したときには、
『内政問題なのであなた方には関係がない』
と言い捨てた。
しかし、トリャピーツィンにとって日本軍は邪魔だったので、
挑発して片付けてしまうことを目論み、武装解除と武器引渡しを求める最後通牒をつきつけた」 >>54
世間知らずもいいとこだな
たまには子供部屋から出ろよ >>74
3月14日早朝、
パルチザン部隊は、日本領事館を包囲すると火を放ち、
中国軍から日本軍を砲撃するためとして貸与された艦載砲とガトリング砲で攻撃した。
領事館を守護していた海軍無線電信隊は、石川少佐、三宅少佐以下、全員戦死。
石田領事とその妻子、領事館にいた在留邦人も、すべて死亡した。
グートマンは、このとき、
「凍結した港内にいた中国砲艦は、
日本領事館の方向から突進してきた日本軍兵士と日本人居留民に発砲し
人々は、
パルチザンと中国人の十字砲火の中で、全員死亡した」 としている。
これについて、グートマンと同じ生き延びたロシア人からの聞き取り調査を
資料としたと思われる石塚教二の『アムールのささやき 』は
「憲兵隊と合流していた後藤隊の残存者たちが、
領事館から逃れて来た居留民たちを中国砲艦に助けてもらおうとしたところ、
砲艦は居留民に発砲したので、後藤隊は砲艦に突進して全滅した」
と解釈している。
井竿富雄山口県立大学教授も 中国軍は助けを求める在留邦人を撃ったとしている。 >>76
「明らかに、日本軍は、無用な血を流すことを意図してはいなかった。
あらゆる可能性の中で、日本軍が目標としたものは、単にパルチザンの武装解除であった。
このことは、
日本軍に取り囲まれた建物のパルチザンの多くが、殺されていなかったのみならず、
傷ついてさえもいなかったという事実がこれを説明している。
パルチザンによる報告では、
日本軍は、単に彼らの武器を持ち去り、彼らを自由にさせた。
9人の医助手が、巡回裁判所の反対側の建物で逮捕された後、解放された。
建物に駆け込んだ時、日本軍兵士たちは、単にそこに武器があるかを質問したのみで、
否定的な返事を受け取ると、彼らはロシア人を害することもなく立ち去った」
誇り高き 正義の日本軍であります。 >>79
>日本軍武装解除
領事館が焼け落ちた後、生き残った日本兵は、
守衛のため兵営に残っていた者、帰り着いた者をあわせておよそ80人あまりだった。
女性を含む民間人も13人ほどが兵営に逃れてきていて、ともにたてこもっていた。
また アムール河畔の第二陸軍病院分院に、分院長内田一等軍医以下8人、患者18人がいた。
香月日記によれば
「数門の砲および中国砲艦より砲撃を受け兵舎の破壊は凄惨をきわめた」
ということで
大隊本部は破壊されたが、中隊兵営に立てこもった100人ほどは、河本中尉の指揮下、四昼夜の籠城戦に耐えていた。
武装解除後、民間人をも含めて兵営に立てこもっていた全員、
そして軍医以下の衛生部員もみな、監獄に収容され、衣服も奪われ、過酷な労役を課された。
>3月13日の夜の間に、
12日の午前中に監禁された日本人の女性と子供が、アムール河岸に連れて行かれ、残酷に殺された。
彼らの死体は、雪の穴の中に投げ込まれた。
3歳までの特に幼い子供は、生きたまま穴に投げ込まれた。
死にきれていない婦人のうめき声や 小さなか弱い体を雪で覆われた子供の悲鳴や泣き叫ぶ声が 地表を這い続けた。
そして、突き出された小さな手や足が、(パルチザンの)凶暴性と残酷性を示す気味悪い光景を与えていた >>1
安倍総理のおかげです
ありがとうございます >>81
>日本軍の決起に至るまで、赤軍が投獄した人々の処刑は、一応、赤軍裁判の手続きを経て行われていた。
しかし、3月12日未明から14日の夜中の12時まで、3昼夜の間、
裁判、審理なしで、一般住民の処刑が許されていたことが、残された書類でわかる。
日本人居留民の虐殺が始まると同時に、
町の監獄と軍の留置所では、投獄されていた人々の惨殺がはじまった。
監獄にいた160人のうち、生き残ったのは4人のみである。
中国人、朝鮮人パルチザンは、銃弾を節約するために、
囚人を裸にし、手を縛り、裏庭に連れ出して斧の背で頭を打ち、銃剣で突き、剣で斬った。
死体は、町のゴミ捨て場に捨てられるか、アムール川の氷の中に投げ込まれた。
>街中で、一般の人々の家に押し入った場合は、銃殺した。資産家の妻から坑夫の娘まで、女性にも容赦がなかった。
3月12日から16日までの5日間で、殺された日本人とロシア人の数は、1500人にのぼった。 >>83
続いて引き起こされる大量殺戮前の3月31日にニコラエフスクを脱出したアメリカ人マキエフは
過激派が掠奪惨殺を行い
罪なき婦女子を銃剣で蜂の巣のごとく刺殺するのを目撃している。
>連合国にもかかわらず 裏切る 中国海軍 条約無視には誇りのかけらもない
中国艦艇による砲撃問題 事件当時の判断
中国艦隊が日本軍を砲撃した件については、6月に日本軍の救援隊がニコラエフスク入りした直後
香月一等兵の日記ではっきりと確かめられ、生き延びたロシア人の証言も多数あって、調査が進められた。
「中国艦隊は幾度も日本軍に行く手をはばまれ、白軍と日本軍に好意を持ってはいなかった。
ニコラエフスクに中国人、朝鮮人パルチザンが進駐してくると、すばらしい軍隊だと感動し、友好関係を持った。
12日夜ニーナ・レベデワから日本領事館を攻撃するために
大砲2門を借りたいと申し出があって、
陣世栄艦長が 江亨艦の3インチ舷側砲1門と利川艦のガトリング砲1門を貸し、
側砲の鋼鉄弾と榴散弾それぞれ3発、ガトリング砲の砲弾15発を与えた」
日本政府は、北京政府に共同調査を申し入れ、
9月、両国の委員がニコラエフスクにおいて中国艦隊の関与を確かめた。 >>84
10月26日、
この共同調査の結果に基づき、小幡公使は北京政府に以下の和解案を示した。
中国政府が遺憾の意を表すこと
中国砲艦の艦長が日本軍司令部に遺憾の意を表すこと
関係将校下士卒の処罰
中国艦の砲撃によって死亡した日本人遺族に慰謝料を支払うこと
北京政府は、このうちの 1 と 4 に難色を示した。
しかし年末に至って、中華民国政府は、共同調査報告書の字句修正(陸上交戦を武器貸与に変更)と、
報告書と公文書の非公開を条件に、全項目を受諾し、三万元の慰謝料を払うこととなった。
陣世栄艦長は
「解任して永久に叙任せず」という処分を受けたが
李良才(陳季良)と名を改めて再び任務につき、文虎勳章を授与され 将官に昇進すると
第一艦隊司令などの重職を任され 没後は上将を追贈された。
また、共同調査の報告書が「武器貸与」に修正されたことから、
現代の中国では関与は直接的なものではなく間接的なものであった、と認識されている。
又 シナ人の嘘と模造 >>1
ん?
公僕には適用されないのでは?
じゃないと霞ヶ関なんか全員アウト >>86
ソビエト政権系のジャーナリズムは、
当初、トリャピーツィンの言い分をそのままに、赤軍の正義と日本軍の裏切りを言い立てていたが、
労働者が大半である数千人の市民の虐殺と街の破壊を、
日本軍の責任にできるわけもなく、ボルシェヴィキは困惑せざるをえなかった。
7月 9日 人民裁判が行われ、トリャピーツィンとニーナ・レベデワ以下7名が銃殺となった。
判決文におけるトリャピーツィンの主な罪状は、
5月22日から6月2日までのニコラエフスク大殺戮を許容したこと、
さらに7月4日まで、サハリン州諸村でも虐殺命令を発していたこと、
ブードリンなど数名の仲間の共産主義者を射殺したこと、であって、日本人の虐殺については、まったく触れられていない。
同時に、
「ニコラエフスク管区赤軍司令官として在職中、ソビエト政治の方針に従わず、職権者を圧迫し
ロシア共和国政府のもとで活動していた労働者間の共産主義に対する信頼を傷つけた」
ことを罪状に上げ、
トリャピーツィンとニーナ・レベデワはソビエト政権への反逆者であったと、位置づけている。
(大東亞戰爭での連合国&朝鮮の態度と全く同じである) >>1
当直って週一だろ?
なんでずーっと勤務してるみたいになってるんだ?
当直を全部若手警官に押し付けた先輩警官が悪いのに・・・ >>91
>全部若手警官に押し付けた先輩警官
いやその段階で労務管理出来てないやんけ マトモに給料を出してたら、とんでもなく高給取りになってしまうからなあ〜 >>48
警官ってガンバってる人も多いと思うけど、
基本的に内向きなんだよ
自分の点数稼ぎ
たいした罪じゃない市民に因縁つけて、違反金ふんだくったり、逮捕したり
昔は拾得物を警察に届けていたけど
対応が不誠実だし、ぞんざいな態度だし、警官がガメそうだし、
適当に処分してるよ
市民に感謝して欲しい???
上司に感謝して欲しいが本音じゃないのか? >>87
熊本の県民性は極めて閉鎖的。
銀行、百貨店、新聞の「肥後三悪」が行政とグルになって、「よそ者」の排除につとめている。
他県ではあり得ないようなことが自己中案件が次々に起こるのが、熊本。
閉鎖的なので、いじめ自殺も突出して多い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています