森が自著『遺書 東京五輪への覚悟』(幻冬舎)で「小池さんはどうも(五輪のこと=筆者注)よくわかっていらっしゃらなかったようなので、都知事になられて最初に挨拶に来られたときに、『よく勉強してください』と申し上げたけれども、その後も勉強をされておられなかったようです」と痛烈に批判している“天敵”小池百合子都知事も、森からの謝罪の電話があったことで続投を容認してしまった。

■彼のどこにそんな“凄み”があるのか

 中でも、極めつけは菅義偉首相である。2月4日に国会で、森発言についてどう思うかと聞かれ、「発言の詳細については承知していない」と答えたのである。

 その後も、「森さんを辞めさせることができるのは、あなたしかいないのだから、辞めさせなさい」と追及されても、「国益にとっては芳しいものではないと思う」というだけで、「(組織委は)政府とは独立した法人として自ら判断されるものだと思う」と、責任放棄してしまったのだ。

 83歳の、自ら「老害」と公言する人物を、なぜ、襤褸(ぼろ)の如く捨て去れないのだろう。

 “五輪の恥、日本の恥、世界の恥”として長く記憶されることになるだろう森喜朗という男のどこに、周囲を怯ませる“凄み”があるのだろう。

 2000年4月、小渕恵三首相が脳梗塞で倒れたため、当時、自民党のドンといわれていた青木幹雄、野中広務、村上正邦ら5人(森も入っていた)が密室で、後継を森に決めてしまった。

 たしかに小渕政権で幹事長をしていたが、放言や暴言が多く、首相の器ではないといわれていた。国民にとってはまさに青天の霹靂ではあったが、青木や野中にとっては、「神輿は軽いほうがいい」、自分たちの思い通りになる人間を据えておいて、裏で操るという思惑だったのであろう。

■各方面との利害調整ができる人間はいない

 政治を引退し、がんを患いながら、森が最後に選んだのが東京五輪の組織委会長の椅子だった。森は『遺書』で会長職はボランティアで、「私設秘書や運転手は自分のお金で雇っています」といっている。だが、ここは元都知事の舛添要一がツイッターで指摘したように利権の巣窟である。

 「五輪は巨額のカネが動く。日本は準備に2兆円、儲けの目論見は33兆円。アスリート・ファーストなどと綺麗事を言っても、所詮はカネだ。菅義偉、大臣病の政治家、電通、スポーツ団体、財界に命令し、利権の調整と配分が出来るのは森喜朗しかいない。だから辞められない」

 また、日本側から「中止」をいい出すと、IOCが保険会社から受け取るといわれる保険金の一部を受け取れないため、最後まで開催といい続け、IOCが「中止を決定」して、やむなくそれに従うという形に持っていくという話も流れている。

 どちらにしても、そうしたドロドロした話をまとめ、一番有利な形に持っていく「腹芸」ができるのは、森を置いて他にいないことは間違いない。

 森が「必ず開催する」「無観客でもやる」といい続けているのは、IOCやJOC、日本政府、東京都などの利害を“忖度”し、水面下で調整しているからであろう。

 すでに東京五輪は中止へと動いていると思う。第一、世論のほとんどが「やるべきではない」といっている東京五輪には、もはや大義名分はない。

 今回の女性に対する差別的な発言も、森の周りに知恵者がいて、そうした「東京五輪中止利権」から、納税者である国民の目を逸らせる“策略”ではないのか。私にはそう思えてならないのだが。(文中敬称略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/bb5be4f060e73127f8b2f258388089032bd88d50?page=5