>>422
宮台:
三島由紀夫風に言えば、日本には、「空っぽのあなた」だらけ。
周りの空気に合わせ、ころころ変える。多様性だ、LGBTだ、と。
周りがなんとか主義なら、みな一斉にその主義になる。
心から何かを願っていることがない。周りに合わせるだけ。
これも「言葉の自動機械」。

彼らには、言葉が通じない。伝わるのは、言葉の外で繋がるという感覚が生じた時だけだから。
その感覚がない人は、見る人から見れば、空回りしてるだけに見える。
共感性に見せかけた排斥性の塊が多い。
多様性といっても、クラスタ分けされてるだけ。だから、日本にいるのは、クラスタの外を排斥しようという奴ばかり。
劣等感という不安。
不安の埋め合わせのために何かをやってる。
不安を仕事で埋め合わせるのも同じ。
ブランド物や家で埋め合わせて来た。
それでもまるで社会が回っているかのように錯覚できたのは、物の豊かさを目標にできていたから。
関係の希薄さを物によって埋め合わせる。これら、神経症てきなものの蔓延を男文化が助けてしまっていた。

物からソフトへ。
アクセサリーとしての物所有、結婚から、SNSでの承認欲求へうつった。
発信するツールとして使えてる人と、承認欲求満たしで使っている人に別れる。
承認欲求満たしの人たちは、いつまでたっても救われないループの中にいる。
物質的であったならば、まだ測れた。しかし、ソフトになったことにより、無間地獄化。
人に見てもらって安心するという営みが浅ましい。みっともない。
自己信頼をもて。
それがない人間が、流行に乗って、MeTooなどどやるのは、まさに言葉の自動機械。