【新潟】東北と近畿、文化の境界 古墳時代の遺跡、続縄文土器出土 「新潟は邪馬台国から大和成立時の東西の動向が把握できる重要地点」 [樽悶★]
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スライドで説明する滝沢課長(右端)=新潟市秋葉区で2021年2月21日、露木陽介撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2021/02/22/20210222ddlk15040413000p/9.jpg
新潟市秋葉区の県埋蔵文化財センターで21日、県内で発掘された古墳時代の遺跡などをもとに、新潟での古墳時代の生活を紹介する講演会があった。
講演会には30人が参加。同センター普及・資料課の滝沢規朗課長が講師を務め、北方と近畿の文化の境界に当たる新潟の特異な状況を説明した。
越後平野では、海から山脈までの距離が遠く、山からの水はけが悪く農業生産力が乏しいことから、古墳そのものの大きさは全国と比べて小さなものが多い。古墳時代前期に造られ始めた前方後円墳の日本海側最北が新潟市西蒲区(菖蒲塚古墳)にみられるなど、文化の中心であった近畿の影響が及ぶ北限であったことが分かるという。
一方、土器に縄文時代のような縄目の模様をつける東北地方の特徴を持つ土器(続縄文土器)が菖蒲塚古墳のすぐ近くで見つかるなど、北方との交流があった同時代の南限だったことも分かり、「新潟は邪馬台国から大和朝廷成立時の西と東北地方の動向が把握できる重要地点である」と結論付けた。
講演会に参加した新発田市の片桐一雄さん(73)は「越後の歴史の基礎を知ることができてよかった。県内では続々と古墳が見つかっているので新発見が楽しみだ」と話した。【露木陽介】
毎日新聞 2021/2/22
https://mainichi.jp/articles/20210222/ddl/k15/040/122000c?inb=ra ガチの世界最古の古代文明が日本にあるのに何故世界に発信しないの? >>24
流石に無理筋だろそれ
古代に耐寒特性持った米があったのか? 電気は東北電力、だけど東京電力の発電所もある。
ガスは北陸ガス。
JR東日本とJR西日本の路線が県内にある。
テレビのニュースでは関東甲信越となり、地方局の民放ニュースだと中部〇県でひとくくりにされる特集もある。
本土は50ヘルツなのに佐渡は60ヘルツで言葉も関西訛りに近い。
都合よく、
東北、関東甲信越、北陸、中部…と、あちこちくっつけられるのが新潟。
下手すると、環日本海というくくりでロシアウラジオストクや中韓ともw >>158
出雲大社の大国主命も諏訪大社の建御名方命(大国主命と沼河比売の子)は大和朝廷に服属した方だからな
まあ、服属したとはいえ大社の神として祀られるくらいだからただ征服されたわけではなかったんだろうね >>160
力だけでなく姻戚関係も使って組織をまとめて行くのはいつの世でも同じだね >>160
弥彦の神様も4拍手で出雲系
大和に侵略される前の本来の神様は出雲
半島-出雲-丸木舟で新潟直結w >>7
弥彦神社の祀神は天香具山命。
新潟は当時奈良県の出先機関。 >>18
越後は出雲との関わりが強いしね
出雲系の大国主、沼河比売、建御名方神を祀る神社が多い。
一方で大和の血をひく大彦命、天香山命を祀る神社も多い。 >>163
ちゃんと天香具山命が派遣される前の本来の神様が残ってる
某神社という詳細不明の謎神様が未だ祀られてる >>149
多分日本人を蛮族として描いたのは渡来系だろうね
畿内は渡来系文化 >>154
2000年前が今と同じ気候だと思ってる阿保 >>135
エベンキは大和の方が近い
卑弥呼とかシャーマニズムなのに
なぜお前は日本の属性を朝鮮に押し付けてそれを叩くのか
ネトウヨは反日の病気なのでは 大きな川が一本あれば、船も橋も限定的だった当時の向こうの世界は異世界だったんだろうな
古代エジプトでナイル川の対岸を黄泉の国と言ったように >>24
>最近の説では、本州で最初に稲作が始まったのは青森県
>東西から稲作文化が広がり、最後に稲作が始まったのが長野県の諏訪
後半はあってるけど前半何か見つかったか?
3000年前より前になった?
青森は遼東半島や北朝鮮と気候的に似てるから、早生の品種が入ってきたと考えられるんだよね
九州だと気候が違いすぎて育たん品種 >>22
蝦夷のキミコをヒミコと勘違いしてるんじゃないの?
上毛野氏外交貿易やってるし。
ホント中国の文献は取引先名簿w
取引先の卸売業者がいつのまにか王直属部下になってる。 >>164
古代出雲に勝った大和が勢力拠点を抑えたのかもね、それくらい古来からの重要な交易ルートだったのだろう >>150
(‘人’)
奈良時代からでFA?
日本人は縄文時代から住んでるんだが(笑) 西日本というのもちょっと違うけどな
日本海側日本だよ 福島県もそうだけど、色んな所から来たヒトビトが雑居してたわけだね。当時はサラダボウルだったわけだ。それが長い長い時間をかけてメルティポットになっていった訳だ、大日本という。 >>131
補足
面白いのは、百済だけ入ってない
↓↓
使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王 >>177
なんと新潟がメルティポット?
分かったぞ!
邪馬台国はニューヨーク(新潟)! 出雲にも古志という地名があるし関係はあるんだろうけど具体的にはよく分からない
出雲は出雲・因幡・但馬・播磨・(丹波?)を版図とした集団
因幡の白兎なんかは出雲神話
丹波は不明だけど実際はヤマシロのあたりまで出雲版図だったのではと思っている
古志族は越エミシ
漢字で書くと越蝦夷になってしまうが
"蝦夷"は本来限定表記だから
エミシと読むのは毛人などもあるし日本列島の相当広い範囲がエミシ
万葉仮名では愛瀰詩で大和の貴族にも多い名前
"蝦夷"の方が後から当て字された字 >>178
慕韓が百済の場所だね
秦韓の新羅みたいにまだ大きくなかったのか
それとも、一説であるまだ遼西が百済の地盤だったのか 古代日本語、恐らく奈良時代までは、ハ行はhの子音ではなく、pの子音で発音されていた
ハヒフヘホではなくパピプペポだった。
パ行がハ行の半濁音ではなく、清音だった。
それが証拠に、ハ行とバ行とでは発音の際に口の形が変わるが、
パ行とバ行とでは口の形が変わらない。
それが鎌倉時代にpの子音はfに変わりファフィフゥフェフォと発音されるようになる、
江戸初期頃に、現在のハヒフヘホになった。
さてアイヌ語には、古代日本語からの借用語が残っている。
箸はパスイ、蓋はプタ、火打ちはピウチ、木鉢はパッチ。
ハ行がパ行だった奈良時代の名残だ。
仮にアイヌが鎌倉期の新参者だったら、pの借用語が存在することがおかしいのだが。
「アイヌは北海道の先住民ではない!鎌倉時代に現れた侵略者!」
などとデマ流す連中は、考古や言語学まで広い知識を網羅しなくちゃねぇ 確か"蝦夷"という字は奈良時代あたりの百年間くらいしか使われてない
後から江戸時代とか明治時代に掘り起こして使い出したんだよね
ずっと使われてなかった表記 そんな恥ずかしそうに
「お値打ち価格、3万…9千…800円で……」
とか言わなくてもw
百済の官位を貰った日本人確認出来る。
百済へ帰化した日本人も確認出来る。(また帰ってきてる)
今の朝鮮人とは別民族だろうし。 >>182
(‘人’)b
おま<丶`∀´>は先ず聖徳太子が奈良時代以前の人間で日本人なのを認めろよ(笑)
奈良時代だろうが鎌倉時代だろうがアイヌは新参者なんだよ(笑) 面白いのは仏教弾圧されてた頃の
🙏日本人信者の避難場所に百済がなってる
百済滅亡前ね。 都から離れた越後で「高志」ではなく
「古志」が多く見られるのは出雲の名残なのかな たしか中世以降は夷嶋とか狄村とか書いて"えぞ島"とか"えぞ村"とか呼んでいたのを
奈良時代のえみしである蝦夷を持ち出して"えぞ"にしてしまったんだな
そのエミシは万葉仮名では愛瀰詩
なぜか奈良時代のある時だけ蝦夷になって蛮族になった
謎の日本史 古事記より
>大毘古命は先の命のまにまに、高志国にまかり行きき。
>ここに東の方より遣はさえし建沼河別、
>その父大毘古命と共に相津に往き遭ひき。
>かれ、そこを相津と謂ふ。(古事記)
東方平定のため遠征した四道将軍のうち、北陸を制圧した大毘古命と、
東海関東に向かった建沼河別が最後に出会ったのが会津。
これを裏付けるかのように東日本最大級の前方後円墳が会津にあるから、
新潟〜会津〜北関東のラインが大和朝廷の到達地点だね。 >>68
なかなかに興味深い
モンゴルとチベットは、今は言葉は語族から異なるが
遺伝的には遠い南北関係か。ハプロタイプから言っても、CとDなら本当は近縁なのよね
時代がかなり下ってから、チベット仏教を共有しているのも地理的、血縁的近さゆえか
漢民族系はやはり南方系と連続して接続し、
古アジア語族を有するグループと、アイヌがやはり近く、
韓と倭は、古アジア〜ツングース〜モンゴルという大系統と南方系のあいの子と分かる
ツングース語は、今のトゥルク系の揺りかご、そしてそれはアイヌ語にも深層で接続、
つまり現代の日本語は、縄文人が話した言語とかなりの程度で連続している 新潟北部、島根、東北はズーズー弁
ウラル民族、N、ズーズー弁
遼河文明、龍信仰、玦状獣形垂玉、ヒスイなどの玉製品、ハプロタイプN
青森の三内丸山遺跡も遼河文明の影響が濃かったな
青森はNも多い
縄文時代からNは日本列島に流入していたかもな
何故Dが生き残りNは廃れたのか
東北の伝承
龍の黒神と鹿使いの赤神のアマテルを巡る戦い
アマテルを手に入れた赤神は岩隠れをし黒神は北に追いやられた
Nは黒神か >>179
米国は差別が厳然と存在し続け、サラダボウルを維持したため、BLMみたいな問題に悩まされてる。昔なら奴隷とされた人種民族の反乱だよ、あれは。
日本も勿論そういう反乱はあったが、大きな視点では、サラダボウルにはこだわらなかった。色々な所から集まった異民族異文化がそれぞれの良い所を受け入れ、メルティポットとなることで、今の日本が出来アガったんだよ。 アイヌが日本の先住民って教科書で習っただろ
ネットだからといって珍説を出すなよ 近畿一円は弥生時代はヒスイの勾玉と銅鐸の文化圏
弥生時代末期、邪馬台国=ヤマト政権の始まりと共に勾玉と銅鐸の風習は消える
仁徳天皇の時代考古学的に、再びヒスイの勾玉がブームになる >>191
その大和の征服拡大という発想が多少誤ってて
各地の同系古墳はほぼ同じ時期に現れる
古墳が出来た時には既に社会は完成してるんだよ
大和から順に拡大したという根拠が見つけられない 黒とはなんなのか?
黒、暗い、水底の土は黒土
水底の土は上代はぬば烏と言ったらしい、沼も同じ語源かな
黒、烏、沼
新潟にも黒や沼のつく地名がある
京都の祇園祭や大阪の天神祭では、ヒオウギは床の間や軒先に飾る花として愛好されている
黒神は祇園の神であり天神かもしれないね
今でも京都や大阪の守り神として大切に祀られている >>195
(‘人’)
おま<丶`∀´>はいつ四天王寺や法隆寺を建てたんだよ?(笑) 神武は紀元前
古墳時代の征東は4世紀から5世紀
城柵拡大は7〜11世紀
何回同じこと繰り返してるのか
つまり初開拓してるわけじゃなくて同じところを何回も攻めている
これの続きはこうなる
・秀吉関東奥州征伐16世紀
・戊辰戦争19世紀
東国征伐というのは覇権争いであって開拓史では無い 実家の畑から縄文土器出るけど関係あるのかな?@笹川流れ >>194
つまり、この先も日本でBLMみたいな事態を生起させないようにするためには、外国人や外国文化を日本に同化していき、日本のメルティポット性を維持しなければならないワケだ。
5chを荒らしている朝鮮人どもも、天皇陛下の御威徳にすがり、日本人となることで邪を捨て正道に帰するのだ。ほらっ!つ〜<( ´∀`)>〜 >>201
(‘人’)b
昔は縄文海進で今より5℃は暖かかったんだよ(笑) 島根はズーズー弁
元々銅鐸の文化圏でもあった
島根の神庭地方の栄えていた集落は弥生時代後期に終焉
加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が畿内各地で見つかっている
杵築大社の八雲の天井図は1つ欠けて7つしかない
八雲から逃れ出た人々がいたのだろうか?
黄泉の国に逃れたイザナミと関係があるかもしれない
八雲から出た人々、出雲
黄泉の国、常世はどこにあったのか?
出雲イズモは和泉イズミと音がそっくり
何か関係あるのだろうか?
イズミは弥生時代、銅鐸と巨大なヒスイの勾玉の国の1つであった 黄泉に逃れたイザナミは黄泉の主祭神、道敷大神となる
源氏物語の歌に、常世や雲、道、雁が出てくる歌がある
心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな
常世出でて旅の空なるかりがねも列に遅れぬほどぞなぐさむ
あかりなくにかりの常世を立ち別れ花の都に道やまどはむ (‘人’)b
アイヌがもし漢字文明圏なら無文字社会なんて有り得無いんだよ(笑) >>200
アテルイは上代東国語で説明出来る?
阿鳥🦆
それとも、アイヌ語のアァ ルイ?(とても強い) 高句麗にも麻呂(マロ)名乗ってる人
沢山いるぞ。
どっからどう見ても🇯🇵日本人だろうけどね (‘人’)b
ローマ文化王国新羅は名著だよ!
どうして当時の東アジアはユダヤ人や欧州人を迫害したのだろうか? >>208
縄文人とか古代人の名前なんて説明出来んだろ
グズリとかオンバとかエボシとかニニギとかどろろとか >>149
常陸国風土記?
あれは藤原氏が編集してるから、自分たちより前のことは悪く書きたかったんじゃないか?
麻多智は地元の人だしな アメリカ史に忖度して架空の開拓史を作ることの弊害は枚挙に暇が無い
・日本を征服王朝とする部外者説
・先住民族侵略者論
・大陸の支店論
・歴史捏造者論
こんなに弊害だらけなのに日本の東国開拓史観を支持し続けることの愚かさ加減
西日本人とくに関西人のプライドのためだけに日本がこんなに貶めらてるのに
東国が後から開拓された事実は無いよ
最初から社会はあった 越国は出雲にとって成敗すべき対象やしな
ヤマタノオロチは越国のことやな 東北と近畿。
どちらも「歴史の源流」「文化の本流」を自負する原理主義者が一定数いるね。
どちらの土地も好きなんだが、その一部分の原理主義者が苦手で付き合いにくい。
概ね排他的で他者を見下してるから。 >>214
西日本人だが賛同するよ。
皇国史観というのは、一部を全体に拡大解釈したもので片手落ち。
日本の文化歴史は、もっと多層的で複数系統。 コシ人の移動範囲は山陰から樺太まで
えぞヶ島は平安初期に既に出てくるし
日本書紀の安倍比羅夫の征伐にも出て来る
さんざん頻出してるのに意図的に過剰虚述扱いするんだよな
たかが新潟くらいで境界になるわけがない >>217
東北は縄文時代の遺跡や遺骨の数が圧倒的に多い。
人の営みの形跡がどれだけあるか?でその時代の人の中心を推測してなにか問題でもある? 草薙剣の持ち主のヤマタノオロチは風宮の神さまかもね
和歌で一途な想いの代名詞には伊吹山や息長川がある
その伊吹山にはヤマタノオロチの神霊が眠ると言われていて一帯は息長氏の本拠地だった
天智天皇の父は息長足日広額天皇
万葉集の梅の歌序
令月 氣淑風和梅披鏡前之粉
立派な月は風と手を組み、梅が鏡についた白い粉を払った 同じ日本海に版図をもつ同士で争ってたんやろな
同族嫌悪やな 日本海側から見て太平洋側を比較的に蛮族とみなしていたんだな
時期にもよるけど 少なくとも近畿圏は長江文明の影響が強い弥生系
あと、長崎、熊本、鹿児島、宮崎も弥生系 >>222
その言い方が、畿内中華思想の連中の言い草と同じだと気付かないかなあ? ヤマト王権はヤマトとイズモが中心となった連合政権だと思っている
イズモはやっぱ他のエミシたちとは少し違うよね
朝廷にも出雲系氏族はたくさんいる
譜代感がある
渡来系やエミシ系は外様 559ニューノーマルの名無しさん 2020/10/18(日) 11:30:24.04ID:tWLZo6U70
>>455
平安時代の宮廷貴族は非常におもしろい
大和朝廷の宮廷文学の全盛時代に虫の音を楽しんで虫声文学のような領域が発展したのだからね 562ニューノーマルの名無しさん2020/10/18(日) 11:32:29.63ID:bqd3asIQ0
【衝撃】虫の鳴き「声」は日本人にしか聞こえない!? 最新研究でわかった外国人との“脳の違い”が誇らしすぎる
tocana / 2017年4月13日 7時30分
次第に暖かくなり、虫の増える季節がやってきた。トカナ読者は虫が好きだろうか?
筆者は魔女だが、虫は苦手で、黒魔術の時に生け贄として協力してもらう以外は、なるべく関わることなく共存するよう努めている。
さて、虫が好きな読者も嫌いな読者も“虫の鳴き声”は聴いたことがあるはずだ。
「そんなの当然、いちいち記事に書くことではないだろう!」という声が聞こえてきそうだが、ちょっと待ってほしい。
近年の研究で、なんと虫の鳴き声を“声”として認識できているのは、世界中でも日本人とポリネシア人のみである事実が判明したというのだ。
■日本人の脳には特殊な機能が具わっている!?
東京医科歯科大学の名誉教授・角田忠信氏によると、日本人とポリネシア人の脳の働きには、他の多くの民族と比べて大きな違いがみられるという。
人間の脳は右脳と左脳とに分かれている。一般に右脳は感性や感覚を司り、左脳は言語や論理性を司ると考えられている。
そして、ほとんどの民族は虫の声を右脳で認識するが、日本人とポリネシア人だけは左脳で認識しているというのだ。
そのため、多くの民族には虫の声は「雑音」にしか聞こえない一方、日本人とポリネシア人には「言語」として認識されるとのこと。
■虫の鳴き“声”を認識できる本当の理由
日本語研究家の藤澤和斉氏によると、日本語とポリネシア語の特徴は、母音を中心としている点だという(母音部族)。
多くの言語は子音が中心であるため(子音部族)、これは世界的に珍しい特徴だ。
そして、母音は「あー」「うー」など声帯の振動をそのまま伝えることで発声される、つまり極めて自然に発せられる音であるのに対し、
子音は口や息で制動することによって発し、相手との距離を保ち、威嚇するための音なのだという。
また、日本人とポリネシア人は母音も子音も区別せず言語脳である左脳で処理するが、
それ以外の言語圏の人々は、まず母音を右脳で雑音として受け止めてから、子音を左脳で言語として処理しているという。
以上の特徴こそ、日本語とポリネシア語を母語とする人々が、 (自然に発せられる音である=母音に近い)
虫の鳴き声を言語として左脳で受け止める能力を持っていることの理由ではないかというわけだ。 566ニューノーマルの名無しさん 2020/10/18(日) 11:38:01.76ID:5EFXYWFx0
>>559
>>562
虫の声とか虫の音が言葉のように聞こえるのは日本語やポりネシア系が母語の人間だけなんだって
平安時代の宮廷人も現代日本人も同じ風流な趣味を持っていてなんだか懐かしい感じがするよね
日本独自すぎるよ
573ニューノーマルの名無しさん2020/10/18(日) 11:54:02.18ID:3jgK44Ir0
>>566
お茶も飲まないホルモンとか生肉獣食の朝鮮民族からすると遥か遠くの地球の裏側の国の文化ぐらい繊細でハイソな趣向ですよね
226ニューノーマルの名無しさん2020/10/23(金) 23:46:32.34ID:gcvWqOkS0
>>202
>>204
空港の狭いスペースに木々や草を植えて居てそこで鳴いている
虫の声に耳を傾けるのは南洋系の民族や日本人が有名
朝鮮半島にはこういう文化や聴覚機能が無いといわれてるね
朝鮮半島人は耳たぶがないせいかな
それとも縄文遺伝子や弥生遺伝子がないせいかな(´・ω・`) 東北と近畿の文化の境界って随分ざっくりした境界だな >>127
中国の文献資料では地図は古いほど沖縄地方が拡大をかけたように大きく描かれている。
当時の世界屈指の中国が倭国をかなり南方の位置にあると認識していたのだ。
漢字の貝関係の部首はすべて奄美から沖縄までのイモ貝やゴホウラで
日本全体だけではなく中国の皇帝がその子安貝系の巻貝類を希求したからだが、
琉球地方は財宝やお金の単位の造幣局みたいなものだったから日本全体や中国から
重要視されていたのも肯ける。 >>234
(‘人’)
日本アルプスは越えられ無いから北陸巡りで新潟なんだよ(笑)
東北は東北で奥羽山脈あるし北海道青森へのルートだよ(棒) 坂上田村麻呂の時代に、ぬたりの柵、いわふねの柵ってあったけど、今も新潟には、ぬったり地区と岩船郡があるね。
関係あると思うんだよな。 >>229
物証に勝るものはない。
それを嫌うのは、物証はないけど俺の説ではこうに違いない!ってファンタジー脳 >>200
紀元前10世紀頃から日本列島で稲作が始まり
紀元前5世紀頃から3世紀頃には倭人が朝鮮半島南部から北部九州地域へ
神武が4世紀から5世紀に九州から征東し古墳時代
8世紀には大和朝廷が成立し
東北地方への大和朝廷の城柵拡大は8〜11世紀 コシ(高志国・越国) → エミシ(愛瀰詩・毛人) → カイ(蝦夷) → アイヌ である
「コシ」は、日本海側から東遷していた土井ヶ浜弥生人(ムムン・コリアン)が、アイヌ(八岐の大蛇)に出会ってそう呼んだ言葉
中央に近いほうが越前になり、遠いほうが越後(新潟県)になった
間抜けなことに日本書紀には「まだ越後が皇化してない」と記述されており
日本書紀が編纂された真っ只中、最初の城柵(渟足柵)が設置された新潟県が蝦夷征伐(アイヌ虐殺)の最前線であったことが伺える
「エミシ(愛瀰詩)」は、奈良県に住み着いた百済人が、畿内の先住アイヌ(長脛彦、エウカシ)に出会ってそう呼んだ言葉
当初はポジティヴな意味合いもあり、百済人の側にも「蘇我毛人」などエミシの勇猛さにあやかり名につける者がいた
「カイ(蝦夷)」は、在日チャイニーズの伊吉博徳が、中国の華夷思想を取り入れて発案した造語
先住アイヌから人間性をも奪った明確な差別用語であり、そこには異人種を排除しようとするジェノサイダルな含みがある >>212
耽羅国の人
🐻クマとかウマ🐴とかだぞw
可愛らしい使者だなw キャプション
https://image.prntscr.com/image/VF_Zm8kHRUKPzzikxtjj7Q.png
鹿児島 (沖縄に向かっている)
青森・岩手 (アイヌに向かっている?)
奈良 (韓国に向かっている?) > 24名無しさん@1周年2019/06/15(土) 20:33:50.68ID:5ZdreiDl0
> 一か月前くらいに発表された
> 遺伝的近縁の色合い図
>
> では結局韓国よりも、 台湾やフィリピン方面の方が日本人に近いって判ったんだよね
>
>
> 29名無しさん@1周年2019/06/15(土) 20:38:29.88ID:es2WkNCf0
> >>24
> 発表解説見たとき、くる日もくる日も
>
> 日本人=朝鮮人 って繰り返してる
>
> 在日韓国人キチガイ工作員が可哀そうに思えて仕方なかった >>1
日本海側、越後こと越の国は渤海交易してたから
特異点的に北限なだけ
てかヤマト王権の五大国家のことを日本史でやれよ
日本書紀にも、越、毛野、吉備、大和、筑紫とちゃんとあるんだしさ >>195
戦前は、偉大な天孫民族が土着の蝦夷・土蜘蛛どもを征服して王朝を建てたと教えていた。それが正しかった
戦後になり考古学や遺伝学が発展し、列島に先住していたのは弥生人ではなく縄文人だということになると
日本の右翼は、「万世一系」の皇族神話が崩れるのを恐れ、「天皇はD系縄文ニダ!」と声高に主張するようになった
さらに日本人は「単一民族」だという神話を守るために、「アイヌは樺太から侵入した外来種ニダ!」ということにした >>195
日教組に騙されるなよ
アイヌは13世紀からだぞ ゴッドハンドさんのおかげで教科書にも嘘が書かれてあると学んだよね… >>234
簡単に言うと、
アイヌ=東夷=土蜘蛛=蝦夷=縄文文化
畿内=ヤマト王権=天孫族=弥生文化
の境界線と考えると難しくない
越の国は海運で移動できる。
現に越前富山や石川は関西弁だしな
西日本最高の寿司屋は金沢にあった。
閉店したけど。
本当の日本人が東北に住んでた証拠だね >>248
(‘人’)
前方後円墳を梅直す半島に匹敵する悪行だったよ(笑) 我々は、東北の地にアイヌが住んでいたのは遠い昔のことと思い込んではいないだろうか。
東北地方の「ナイ」「ベツ」地名の分布(=アイヌ語・夷語の話者)
https://livedoor.blogimg.jp/taptior/imgs/d/1/d128dbca.jpg
畿内型の古墳分布(=日本語・百済語の話者)
https://www.nhk.or.jp/das/image/D0005310/D0005310011_00000_S_001.jpg
>古墳時代には、渡来人が大挙して上陸し現代日本人のDNAが決定づけられた。この間は、記録が空白で暗黒時代という人もいる。
>古墳時代の人骨の一番の特徴は縄文人の骨格で見られた骨太さ・頑丈さが目立たなくなったことである。
>この傾向は、大型古墳の被葬者などで非常に顕著であり、横穴墓や円筒埴輪棺などの常民墓の埋葬者ではさほどでもなく、縄文人、弥生人と大型古墳の被葬者との中間である。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています