古事記より
>大毘古命は先の命のまにまに、高志国にまかり行きき。
>ここに東の方より遣はさえし建沼河別、
>その父大毘古命と共に相津に往き遭ひき。
>かれ、そこを相津と謂ふ。(古事記)
東方平定のため遠征した四道将軍のうち、北陸を制圧した大毘古命と、
東海関東に向かった建沼河別が最後に出会ったのが会津。
これを裏付けるかのように東日本最大級の前方後円墳が会津にあるから、
新潟〜会津〜北関東のラインが大和朝廷の到達地点だね。