https://news.yahoo.co.jp/articles/a9fec45e8fa55ef717c3722060227e9cb3560479
マグニチュード9.0の巨大地震とそれに伴う津波で、1万8000人あまりの死者・行方不明者を出した東日本大震災。それは未曽有の原発事故も引き起こすことになった。震災当時、総理大臣だったのが菅直人衆院議員(74)。水素爆発も起きるなか、「最悪のシナリオ」として5000万人が避難することも想定していたという。10年後のいま、元首相に振り返ってもらった。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース 特集編集部)
「創造的復興」を掲げたが……

(写真:ロイター/アフロ)

──東日本大震災から10年です。どんな感慨がありますか。

「あの震災では、津波で多くの人が犠牲になり、避難を強いられ、また、福島第一原発の事故も起きました。地震や津波では物理的な被害で元の住まいに戻ることができず、原発事故では放射線の影響で戻れていません。多くの人が戻れていないことを申し訳なく感じています」

──菅さんは震災の翌月、諮問機関「東日本大震災復興構想会議」を立ち上げ、そこで「創造的復興」という言葉を掲げました。どんなイメージをもっていましたか。

「あの会議では、哲学者の梅原猛さんや芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんら、さまざまな知見をもつかたから意見をいただきました。『創造的復興』という言葉を選んだのは、単に元の姿に戻すのではなく、以前にはなかった新事業などを立ち上げ、仕事も生活も成り立っていく──そんな新しい復興を生み出していければと考えました」

岩手県宮古市(写真:ロイター/アフロ)

──被災地3県(岩手、宮城、福島)の現状を見ると、高さ10メートル以上の防潮堤や5メートル以上かさ上げした土地が各地にできた一方、3県の人口は今年1月現在で38万人以上減少しました。この現実はどう思われますか。

「土地や道路、建物といったインフラはある程度予算が必要です。盛り土して津波に備えたり、そこに住宅を建てたりということは、資金を投ずれば可能です。ただ、そこに人々の生活が戻るには、雇用や産業が必要です。それがあって人は戻れるし、社会生活を営める。残念ながら、まだ多くの人が戻れるほど、雇用や産業が十分ではないということなのです。そうした復興は時間がかかります」

──「創造的復興」という理想と現実に乖離もあるように映ります。

「インフラを整備するのは復興の第一歩です。ただし住宅や学校をつくっても、住民あるいは子どもが戻ってこなければ意味がない。仕事や生活の営みが戻るには産業が必要ですし、そこは次に進めるかどうか重要なところだと思います」


(略)