Web東奥3/7(日) 8:42

 「悔しい」。福島県南相馬市出身の渡邊忠良さん(69)は2月、声を絞り出して語った。

 渡邊さんは東日本大震災発生後、うつ病を発症した。地元の南相馬の施設で療養する場所がなく、現在、弘前市の介護施設「サンタハウス弘前」に入所する。「施設の人は親切で、有り難いことだが、やはり故郷に帰りたい」。寂しそうな表情を浮かべた。

 10年前の震災当日、渡邊さんは、東京電力福島第1原発から約24キロ離れた南相馬市原町区の自宅にいた。津波被害や自宅の損壊はなかったが、いったん相馬市の姉の家に身を寄せた。約1年後、住み慣れた自宅に戻った。妻と娘は、山梨県の親類宅へ避難したままだった。

 原発に近い街は、静まりかえっていた。話し相手がいなく、孤独の中で、心を病んだ。幻聴や妄想にも襲われた。

 途中から妻や娘と一緒に暮らすようになったが、ストレスから乱暴な言動を取ることも。車で事故を起こしたり、買い物中に転倒し頭を打ったりするなど、トラブルが続いた。軽度の認知症状があった。

 「渡邊さんを引き受けてもらえませんか。このままでは重大事故が起きてしまう」。2017年4月初旬、南相馬市の地域包括支援センターから、社会福祉法人・弘前豊徳会(弘前市)へ相談があった。同法人が運営するサンタハウス弘前が被災高齢者を受け入れていることは、被災地の福祉関係者の間で知られていた。

 17年5月、弘前に転居後、渡邊さんは法人職員や入所者と交流するにつれ、徐々に打ち解けるように。ただ、南相馬の自宅から持ってきたテレビや荷物は梱包(こんぽう)したまま。いつでも帰れる準備をしていた。

 18年から、入所者の帰郷支援をしている法人は、渡邊さんの南相馬への帰郷支援も進めた。しかし新型コロナウイルスの影響で昨年から手続きがストップしている。

 渡邊さんは、今も睡眠薬を飲んでいる。今年2月13日に発生した福島県沖地震は、10年前の記憶をフラッシュバックさせた。当時を思い出させる長い揺れだった。

 「震災によって家族が心まで離ればなれになってしまった。震災がなければ、原発事故がなければ、家族と一緒に暮らせたのに。悔しい」。何度も語った。

 法人は、入所している高齢者を元気づけるため、オンライン交流会を開いている。1月にも、弘前第一中学校とサンタハウス弘前をオンラインで結んで交流した。同中吹奏楽部が演奏する曲に耳を傾けていた渡邊さんは「良かった」と表情を緩めた。

 法人がこれまで受け入れた被災3県の高齢者は193人。このうち1割程度の人がうつ病の診断を受けている。「最近5年間に入所した方で、うつ症状を訴える人が多い。避難所を転々としてさまざまなストレスから心の病を発症する人もいる」と、同法人広域連携室長の宮本航大さんは説明する。

 現在も被災地の福祉機関から高齢者の受け入れ要請が法人に寄せられる。被災地の施設不足や、高齢者に身寄りがないなどの背景がある。

 コロナの影響で、高齢者の受け入れや帰郷支援が進まない現状に葛藤を感じながら宮本さんは語る。

 「震災は終わっていない。今も続いている。被災高齢者支援は続けなければならない」

https://news.yahoo.co.jp/articles/9018d3929f77f7c93f2a4a969d42763f5ae6874d