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そもそも、アイヌは北海道の先住民ではなく、北方渡来の“オホーツク人”
エミシなどの「縄文人」直系の末裔(縄文→続縄文→擦文)でもない

Y染色体ハプロ遺伝子解析では、アイヌには北方シベリアから樺太を経て
“南下”してきたと考えられ、和人には殆どない遺伝子も確認されている
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mtDNA分析でも、「アイヌ」と「オホーツク人」との“遺伝的共通性”が判明し
縄文人や現代の本州日本には殆どない遺伝子も20%の比率で持っている
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ゲノムワイドなSNPデータ比較を使用した遺伝学的研究によっても
北海道アイヌは東北に住む和人(エミシ)とは遺伝的に異なる事が判明している


北海道庁もアイヌの縄文DNAは後天的に獲得したものと議会答弁で認めている
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> 縄文の人々とアイヌの人々についてでございますが、
> DNA分析などの最近の科学的知見によりますと、
> アイヌの人々は、縄文の人々の単純な子孫ではないとする学説が有力であり、
> 大陸から北海道に移住してきた北方民族に特徴的な遺伝子なども
> 多く受け継いでいることが判明してきているところでございます。
【平成24年12月18日第4回北海道議会定例会第1分科会:山田享文化担当局長回答】


そもそも、北海道アイヌには「アイヌ語」(古シベリア諸語)や「熊を使う儀式」等
「縄文系統の和人」には“無い”「オホーツク系」の“文化”や“言語”がある
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/monthly/images/201802/kthr00new.jpg
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   ●北海道 縄文人 : 竪穴式住居・かまど有・炉無・煮炊きは土器
   ●北海道アイヌ人 : 平地式住居・かまど無・炉有・煮炊きは鉄鍋
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擦文時代に自製していた土器は、アイヌ時代には作られなくなり鉄鍋が使用される
住居も縄文時代から続く竪穴式住居から、地面と同じ高さの床を持つチセに
擦文時代の住居に備えられていたかまどがすたれ、煮る焼くは囲炉裏でのみ行われる
【Wikipedia『アイヌ』より】
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    (・擦 文 人 : かまど有・炉無・生業は農耕とサケマス漁)
    (・オホ−ツク人: かまど無・炉有・生業は海獣狩猟)
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北海道の同時期にあった続縄文文化・擦文文化とオホ−ツク文化は異質の文化である
【Wikipedia『オホーツク文化』より】
image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/a83817dc1d0e40cf21df3cf52eaef93a4242a01e.75.2.9.2.jpeg
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つまり、北海道のアイヌは縄文人直系の末裔(縄文→続縄文→擦文)ではなく
北方から北海道に渡来して来た『オホーツク人』(pre-Ainu)の末裔で
古代中世から近世に至るまで道内の縄文系和人を駆逐し勢力を拡大した“侵略民”
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阿倍比羅夫は660年に大河(石狩川あるいは後志利別川と考えられる)のほとりで
粛慎(オホーツク人)に攻められた渡島の蝦夷(縄文系和人)に助けを求められている
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【齊明六年三月「伐肅愼國」】於是、渡嶋蝦夷一千餘屯聚海畔、向河而營。
々中二人進而急叫曰「肅愼船師多來將殺我等之故、願欲濟河而仕官矣」。
(その時、渡島の蝦夷が千数百人も海岸に集まって、河に向かって来た。
その中の2人が進み出て、突然叫んだ。「粛慎の水軍が多く来ていて、
私達を殺そうとしているので、河を渡って朝廷に仕えたいと思っています、
お願いします。」と言った。)【『日本書紀』第二十六巻「斉明天皇紀」】
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