「緊急事態宣言のせいで閑古鳥」の業界を集中支援すべきワケ

2021年3月5日、政府は首都圏の1都3県に発令中の緊急事態宣言を、当初の予定だった7日から21日まで再延長すると発表しました。会見に臨んだ菅総理は、感染拡大抑止や状況の見極めに必要な期間であるとして国民に理解を求めました。致し方ない状況ですが、国民の間では、この状況に極めて深刻な影響を受ける層と、そこまで影響を受けない層との差がさらに拡大しつつあります。この不公平を解消するにはどうすべきでしょうか。経済評論家・塚崎公義氏が解説します。

政府判断のために「生活を翻弄される人」がいる

(※画像はイメージです/PIXTA)

新型コロナへの対応は困難です。自粛すれば感染拡大は防げますが、不況によって失業や自殺が増えるかもしれませんし、自粛しなければ、感染拡大によって患者や死者が増えるかもしれません。

未知の病を前に、感染症の専門家と経済の専門家はそれぞれの専門について語りますが、両方を同レベルで語れる人がいないので、結局は政治が限られた情報をもとに決断を下さざるを得ません。そのあたりについては、拙稿 『新型コロナ不況「リーマン・ショック」より対応が困難なワケ』 をあわせてご参照いただければ幸いです。

本記事が問題とするのは、「政府が別の選択肢を選べば被害に遭わなかったはずなのに、政府の決定のせいで被害に遭った人」に対して十分補償をすべきだ、ということです。

緊急事態宣言は、多くの国民のメリットになる一方で…
緊急事態宣言によって自粛の動きが続いた場合、その悪影響は、観光業や飲食業等々の狭い範囲に集中的に表れます。本記事では彼らを「被害者」と呼ぶことにします。不況が深刻化すれば多くの人に悪影響が及ぶのでしょうが、景気の現状を見る限り、悪影響は限定的なようです。

つまり、緊急事態宣言が延長されても、年金生活者や一般のサラリーマン(サラリーウーマンや公務員等を含む、以下同様)はそれほど困らないわけです。

一方で、緊急事態宣言が延長されずに感染が拡大すると、国民全員が罹患のリスクを負うことになります。高齢者は重症化リスクが高い一方、現役世代は自宅待機等の業務命令等に伴う影響も大きいでしょうから、ここでは「みんながリスクを負う」ということにしましょう。

そうなると、緊急事態宣言の延長は、多くの国民にとってはリスクが減る好ましい政策だけれども、一部の国民(被害者)にとっては「極めて深刻な打撃となる許しがたい政策」ということになります。

民主主義の名の下に「多数の横暴」が起きていないか?
筆者は、民主主義を否定するつもりは毛頭ありませんし、独裁国家に住みたいなどとは決して思いませんが、民主主義の名の下に「多数の横暴」が起きかねないという点については留意が必要だと考えています。

たとえば小学校の学級会で「A君に毎日掃除当番をやってもらう」という議題が投票されれば、A君以外が全員賛成して成立するかもしれません。民度の高いクラスであれば「負担は皆で平等に」という意見が多くなるかもしれませんが、そうなるとは限りませんから。

筆者は政治学にも正義論にも詳しくないので、掃除当番のあり方についてここで議論するつもりはありませんが、下手をすると、緊急事態宣言も掃除当番と同じような問題を起こしかねないと危惧しています。

とはいえ、緊急事態宣言によって発生する問題には救いがあります。「不平等は金で解決できる」という点で、そこが掃除当番の話と大きく異なるところです。幸い、被害者が被るのは金銭的な損失ですから、その分を補償によって穴埋めすればいいわけです。

全国民に配る金があるなら「被害者の補償」に使うべき
政府は昨年、国民全員に10万円を給付しましたが、今年もまた給付するかもしれないといわれています。しかし、これは愚策です。新型コロナによる経済的悪影響を受けていない多くの人に10万円を配る必要はなく、本当に困っている人に重点的に手厚く配るべきだからです。

「景気対策としてのバラマキ財政」という面でも、効果は薄いでしょう。人々は「金がないから使わない」のではなく、「金はあるのに自粛で使えない」わけで、配った10万円が消費に回るとは考えにくいからです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/310a4bfe016a412506869eeee22015dab6593ab2
3/14(日) 9:31配信