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■中国由来の「十干十二支」
さて、十干十二支には様々な組み合わせがありますが、その中の58番目の組み合わせである「辛酉(かのととり)」は革命の年とされています。
これは、中国由来の考え方で、漢の時代に生まれた儒教の考え方をまとめた書物『緯書(いしょ)』で唱えられた予言「讖緯(しんい)説」に由来するものです。

「讖緯説」によれば、60年に1回の辛酉の年には、何かしら革命が起こる。
さらに、60年が21回続いたときの辛酉の年には、ただの革命ではなく、とてつもない大革命が起こると言われていた。
60年×21回ということは、1260年に1回のペースで大革命が起こるという計算になります。

その説に基づき、明治初頭の歴史学者たちは「前回、大革命が起こった辛酉の年はいつだったのか」を検証します。
そして、「聖徳太子がいた頃に起きた辛酉が、大革命の年だろう」と結論づけたのです。
なぜ、聖徳太子がいた頃に、大革命が起きたとされたのか。
その理由は、当時の日本では、日本の基礎を作ったのは聖徳太子だと考えられていたからです。

近年の研究では「聖徳太子は本当にいたのか?」という論争もある上、日本という国の基礎ができたのは、天智天皇や天武天皇の時代だと考えられています。
ただ、明治当初、彼は、十七カ条の憲法や官位十二階の制定、遣隋使の派遣、仏教の普及などに貢献し、日本の基礎を作った人物として、非常に重要視されていました。