【歴史】「不当な代官いれば直訴せよ」光秀、民衆への心遣い見せた通達 丹波篠山で発見 [oops★]
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明智光秀が丹波国の新領主となった際に出した民衆への通達「御定書」が、兵庫県丹波篠山市の民家から見つかった。御定書では民衆の負担軽減と、光秀に直訴する権利を認めながら、「年貢の不納は処罰する」とぴしゃり。放送を終えた大河ドラマでは、戦国期を納め平らかな世をつくり出そうともがく姿が描かれた。謎が多い光秀が御定書を出した背景を、県立歴史博物館(姫路市)学芸員の前田徹さん(49)に分析してもらった。(綱嶋葉名)
御定書は1581(天正9)年5月3日付で、丹波国の安口村(現在の丹波篠山市安口)と西野々村(同西野々)の名主と百姓に宛てたもの。丹波平定の翌年1580(同8)年に、信長から丹波一国を譲り受けた光秀が、新領主として出したメッセージという。見つかったのは写しだった。
定められているのは三項目。一つ目は、「戦に必要な食糧などの物資を運ぶため、農民が強制される『陣夫』や遠方への労働者派遣といった負担は免除する」。続く二つ目は、「本当に(領主側にとって)必要な案件があれば、(光秀から)直接折紙を発給して(村に)命じる」−とある。
日本中世史が専門の前田さんに御定書を見せると、「『恣意的には支配しませんよ』というメッセージが込められている」と読み解く。民衆を落ち着かせ、戦で荒れた土地を元に戻す狙いがあったといい、当時はどこの大名家も同じ手法が採られていたという。
御定書の三つ目には、直訴権を認める項目も。「代官そのほか誰であっても、不当なことを命じるものがあれば、(光秀へ)直訴せよ」。民衆への心遣いを示した後、最後はこう締めくくっている。
「ただし、大切な年貢については、わずかであっても不納があれば、百姓を処罰する」
前田さんは「光秀が一番訴えたかったのはこの部分」と話す。一項目目の「遠方への労働免除」も、きちんと年貢を納めさせるための布石だったという。「国を安定させるには、財政基盤の確立が不可欠」。平時の世に戻そうと、心を砕く光秀の姿が垣間見えるという。
本能寺の変を企てた光秀にはいまだ謎が多い。前田さんは今回見つかった御定書も光秀を知る手掛かりになるといい、「今後も資料が発見され、新たな視点で研究が進む余地がある」と話している。
■専門家「古文書が民家に残っているのは珍しい」
光秀の御定書を見つけたのは、三田市在住の森田栄さん(65)。丹波篠山市の実家の蔵で昨年9月、亀山藩から1768(明和5)年と1867(慶応3)年に出された古文書とともに発見した。
森田さんは、県立歴史博物館学芸員の前田徹さんらに鑑定を依頼、光秀の御定書と確認された。前田さんは「江戸幕府ができる前の古文書が民家に残っているのは珍しい」としている。
森田さんが見つけたのは、まさにNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が放映されていた時期。ドラマでは、光秀が4年かけて成し遂げた丹波平定は、コンピューターグラフィックス(CG)の地図とナレーションであっという間に終わってしまった。
森田さんは「肩すかしだった」と苦笑い。観光ボランティアガイド「ディスカバーささやまグループ」のメンバーとしても活動しており、「もっと丹波篠山の良いところを伝えたい。歴史文化の伝承に力を入れていきたい」と意気込んでいる。(綱嶋葉名)
https://i.kobe-np.co.jp/news/tanba/202103/img/b_14158848.jpg
明智光秀が民衆に対して出した御定書=丹波篠山市安口
2021/03/17 18:00
https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/202103/sp/0014158847.shtml >>1
これって焼肉芸人「たむけん」に例えるとしたらどんな状態? 本能寺の変の日の朝、光秀の軍勢を目撃しただけのただの農民を容赦なく虐殺した光秀 絵に描いた餅
実際に直訴したらどうなるかわかってんの? 直訴はTENGAの滞在じゃ!打ち首にせい!(`・ω・´) 写しってのはどういうこと?
江戸期とかに、誰かが書いたん? 「ただし、直訴した奴は死罪な」
こうですか、わかりません(´・ω・`) 主君の信長の息子を自分の家来にして政権のっとった秀吉さん >>9
光秀 カキカキ 「おい、お前、これを百姓に配っとけ」
代官 「へへー」 写しカキカキ 「おい百姓ども殿からのお触れだ」
庄屋 「へへー。大事に取っておこう」 鬼になったり仏になったり。光秀自身、死んだ後にまさかこんな評価をされるとは思わなかっただろうな ガラシャ美人だったという話なんだからオヤジの光秀もそこそこイケメンだったのではと思ってる 日本の司法は中世レベルと言われるが、内部告発した人の氏名を会社に伝えるとかあれも
中世からの伝統なんだろうか qqq 真に受けて不当な行為をした代官を直訴で告発した者の姿を
その後見た者はいなかったという… 篠山市民なら波多野氏の事跡を評価する方が「らしく」ねえか?
光秀は旧主誅滅して今の亀岡に拠点持って行った奴やろ?
頑張って篠山城本丸御殿を復元した根性は凄いと思うが、ぼたん鍋とか名物真面目に食べたこと無いのよ。 ミッツの裏切りの動機ほどミステリアスなのは世界史上でもなかなか無いだろ >>28
リスクを考えて行動するタイプに見えるか? いやあのな、
民衆が大人しく支配されるとか、ないから。
直訴しなきゃ一揆するだけやで。
しかも当時は農民と足軽の境目があいまい。
貴重な兵力でもある。
江戸時代ですら、悪代官に対して反抗するとかいくらでもある。 >>10
代官も処刑だから「代官と相討ちを取る権利」であるw
で農民は流れ者を食わせてそいつを代表にして直訴させるw
家族持ちなら家族の面倒を見てやるw
そんな事が有った結果
武士「直訴なんて無かった 代官は一身上の都合で辞めた 良いね?」
農民「アッハイ」
武士と農民や町民との知恵比べであるw
武士「春画禁止な?」
町民「これは妖怪猫遊女が男の精気を奪っている妖怪画です」
猫遊女=猫耳猫尻尾が付いた若い女の妖怪w
ケモナーは江戸時代以前から存在した いやこれ直訴を許さないと国人のところに駆け込まれて謀反の原因になるからだろ >>35
なお江戸時代でも兵農分離されてたのは幕府の天領とかの一部だけ
安倍前総理の御先祖は小作人をやっていた兼業武士
畑に現れるシカやイノシシをぶっ殺しては食っていた地方のワイルドな兼業武士が
犬猫を可愛がっていた江戸のサラリーマン武士をボコしたのが明治維新であるw
幕府がそんな地方の武士に対抗するために呼び寄せたのが
会津の殆ど農民状態だった新選組であるw >>28
御法度とされてるからね
ばあちゃんから聞いた話では
ワイのご先祖様は直訴して打ち首になったらしい 農民のためってよりは
代官が私腹を肥やして国人化するのを防止するためじゃねぇのか? みかじめ料は1円もまけないとカタギに宣言をし
本家組長を闇討ちした二次団体組長 近年の研究だと江戸時代の身分制度(士農工商)ってゆるゆるだったみたいね
昔のサヨク教師がヨーロッパの完全格差社会を無理やり江戸時代に当てはめてただけで、実際はそこまでひどくはなかったらしい 直訴は天下の御法度って誰が決めたの?
今も名誉棄損の罪が同じ効果をもたらしているよね >>42
農民の生活が苦しい=農民が増えない下手したら減る=年貢が増えない下手したら減る
三国志だと
孫権「内政内政…なかなか人口増えないな… そうだ!台湾から原住民狩集て来て定住させよう!」
陸遜「おい馬鹿やめろ!あいつらは俺らの文化に馴染まない」
孫権「もう決めたから邪魔スンナ!」
治安が悪化したり反抗していた異民族に合流して散々だったそうなw 一応人気取りでこう書いたけど聞くかどうかは別問題ね。あ、直訴は普通に死ぬ覚悟でやってね 光秀は有能。
秀吉により、善政は悉く隠された。
まあ、秀吉の悪行は後世に伝えられたからいいが。
悪逆非道の秀吉。異父兄弟を皆殺し。 ちなみに江戸時代の代官には裁判権がなかった。
だから時代劇でよくある代官所が農民を捕らえて死刑にするというシーンは誤り。 普通に考えりゃ、秀吉にダマされて謀反を起こしてとしか考えられないだろ
中国大返しとか、あの時代に不可能だし、仮に本当でも戻った頃はヘトヘトだろ
本能寺の後にすぐ討てるように部隊を隠してたに違いない >>49
光秀は本能寺の変のあとで軍勢に驚いて逃げる百姓を秀吉に報告しようと通じているスパイと疑い
馬で追いかけ50人ほど斬り殺している >>50
賤ヶ岳7本槍にもなった中川清秀や高山右近などの摂津勢を知らんのか
よくその無知で秀吉黒幕説を語れるな
まあ無知だから秀吉黒幕説なんだろうけど 正義感の強い人物だったのしょうね。
信長を討ったのは突発的なの判断だったのでしょう。
その後のための根回しがほとんど為されておらず計画性はゼロ、人の好い有能な人物であったのだろうと思われます。 明智光秀と石田三成がごっちゃになる病を患っております >>53
無知じゃなくてネタだよね
お山討伐はノリノリで信長に進言し
後に坂本城下になる一帯は皆殺し
ってのが真実の光秀
信長以後の天下人は律令支配が崩れてから積年の多重支配を整理することに腐心したんで
>>1はその枠内以外の何物でもないしな >>56
正義感が強いからこそ生臭坊主やアホの山法師ども、それらに「協力」するバカどもを皆殺しにしようなどという発想が出てくるのですよ。
光秀は自分の考える「正義」のためならば見境の無くなる人物だったのでしょう。 >>50
秀吉の天下統一という結果からのただの後付け説ww あの時点で秀吉が天下を窺うなど考えられない
中国戦線に信長が出張る予定で京本能寺にいたのだから、その準備した道を逆に辿れば大返しは不可能ではない >>51
秀吉が流布した俗説だろうな。
逃げる百姓が秀吉に報告とか具体的過ぎるだろw
勝家だったかも知れんし、家康だったかも知れんのに。 >>56
幕臣時代には土地の横領しまくりで将軍の諌めも聞かない
信長に乗り換えてから天皇の要請を入れた信長の命でようやく返した
どえらい正義感があったもんだ 幕末から明治維新の赤報隊も
民衆の支持を得ようとして空手形の
御触れを宣伝させられたんだっけ? >>57
関ヶ原ですら、家康が天下とるために
やったのか、結果として天下が転がり込んできたのか、
議論がある。
本能寺前の秀吉なんか、
そりゃ天下を伺う立場じゃないよねー。 どれだけ一見綺麗な統治をしたかのお話をしても
天下のNHK様のお墨付きで、家族部下を見殺しにして一人逃げ延びた道端のウンコ武将にされてしまったのはどうしようもない >>40
長州の小作人は武士で新選組は会津の農民
これも歴史修正主義? 年中空腹でも、自分たちがやっと命を繋いでいける最低限度の食べ物以外、年貢として収めないといけないんでしょ😭 「天下」の概念の生まれた中国でさえ
元々は中原の掌握くらいしか指してないし
実際問題として掌握具合が微妙だったがために皇帝と見做されなかった王もいる
後の時代に中華帝国の版図が拡大していっても
中原より外は従属する地域でしかないからね
信長が「天下」を意識していたかはさておき
勢力維持のための畿内平定および
朝廷の掌握くらいは目指してただろう
で、それをもって「天下統一」とするのなら、と
今になって三好氏再評価の流れがあるわけで
このへんは実際どうなんだろなとは思う >>55
丹波は山がちで攻めるに厳しく守るに易いうえ
豊かな国かというと微妙、というあたりから
国人衆による内紛が長く放置されてきた
そのツケを一気に払わされそうになったのが光秀 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています