>>12
実際行われた拷問

・ニダールというニックネームを付けられた
・テレビも見れて食事は一日二食運ばれてくる、トイレは食事の際に連れて行ってもらった
・食事で多かったのはチキンだが、ナンやサモサ、ラグメンも食べた
・メニューはテロリストと同じ物で、基本スイーツ付
・初期にトルコの新聞に包まれたピザを食べたこともあるので、その頃はトルコ国境のすぐ近くにいたと思う
・テロリスト側の機嫌が悪い時期はスイーツ抜きにされた
・一切殴られなかったわけじゃない、トイレの帰りにケツを蹴られたことがある

・NHKを大音量で流していたら誰かが助けに来たが、そいつも捕まってボコられ、どこかに収容された模様
・「お前を殺すことは絶対にない」と言われた
・民家から大きな施設に移った際、部屋にテレビが無かったので繰り返し抗議したが、施設が広いのでこの部屋まで線が伸ばせないと言われ諦めた
・毎日日本語で日記を付けることを許可されていた
・テロリスト側の要望「俺たちは紳士的な組織だと日本の皆に伝えてほしい」

・せっかく誕生日を伝えたのにスルーされた
・日本に返してやると何度も言われたが、その度に期限を延長された
・何度目かの移動後に与えられた部屋は隣の事務室の物音が筒抜けだった、こちらのトイレの音も聞こえているようだった
・テロリストたちが話している時に物音を立てると、盗み聞きしてると思われて嫌がらせを受けた
・ヨーグルトを極少量だけよこしたり、鳥の骨だけよこしたり、缶切り無しで缶詰をよこしたりされた

・少しでも物音を鳴らすと壁ドンされるようになった
・おまけに電気も消された
・暑いのに扇風機の風力を最小にされた
・勝手に水浴びしたらまた電気を消された

・日光浴は5階建ての建物の3階吹き抜け部分でした
・拘束中に腰痛になった時は大変だった
・少しでも物音を立てると、隣の部屋で別の誰かが殴られるようになった

・その殴られそうになった男が「お前シーア派だろ?」と聞かれていたが、スンニ派だと分かると房に返され、代わりに別の男が連れて来られて殴られた