>>360
水稲(弥生人)の伝播ルートは学会では「長江 → 山東半島 → 遼東半島 → 朝鮮半島 → 北九州」でほぼ決着ついてる。

 ・日本には陸稲の痕跡はあっても農具が無かった
 ・その為に水田が現れたときに用いた農具はすべて外来のもの
 ・稲作伝来時、中国の江南はすでに鉄器時代で、鉄製の農具が一般化していた
 ・しかし、中国の農具や炊具は日本に一つも伝わっていない
 ・弥生人が使っていたのは木製の農具や磨製石包丁であり、朝鮮半島の農具と同期している
 ・さらに日韓とも雑穀と稲との混合栽培であり、これが生まれたのは山東半島付近

プラントオパールは粘土の粒子よりも小さくて地層を潜っていってしまうため稲作開始の証拠に使えない。
稲作と馬は、縄文時代前期から持ち込まれていたと強弁する者もいるが
考古学では農具や馬具がいつごろ導入されたかが重要視される。

炭化米、土器、圧痕、山東半島で検索すれば論文がいくつか見つかる。
日本の研究者も現地に行って調査している。そして江南渡来説を唱える研究者はもういない。

このことから朝鮮半島を通って日本に伝わったという考えが定説になっている。

■ (佐藤洋一郎「DNAが語る稲作文明・稲作の伝播ルート」)
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