★過去の研究 〜 近年の学術研究結果のまとめ

@日本ヤマト最初の国家官製規格の前方後円墳ができたときの纒向では朝鮮半島の遺物がほとんど出ない

Aその時代から同一モデルを含め複数と考えられる半島王子と名乗る者が「聖人君子が日本におられると聞きまして参上いたしました」と
訪日するが、 どれもよそ者でかろうじて任那からきたソナカシチは纏向染めの絹を土産に持って帰らせてもらっている

B倭王・武の雄略天皇は、 宋から半島の軍事顧問を任されている

C古墳全時代を通して朝鮮半島の使者で都まであがって天皇と会えた人間はほとんどいない
ほとんど全てが北九州で追い返しか、大阪湾の内湾南の難波館止まり

D厳格な都の中での肉食禁止令を徹底

E八乙女にしても八十島まつりにしろ、国家祭祀の中心から外縁までの全てが
海洋性神話にもとづく内容

F伊勢内宮のアマテラス大神の御神体の八咫鏡がおさめられてる箱も御船代

G大嘗祭で建てられる高床式の屋代家屋の屋根が温帯〜南洋の葉の束 (大嘗祭は秋篠宮様実費削減提言に沿って板葺き)

H古墳時代の天皇や大王級の御遺体を古墳に運ぶための葬送儀礼用の舟形木製箱


※ 朝鮮半島の文化要素がほぼ皆無ゼロ (水田稲作の本拠地との文化的共通性は多い)