鹿を殺すと発狂する奈良人(=扶余・百済人) 10歳の少女まで容赦なく虐殺

 >天文20年(1551年)10月2日には、10歳の女子が本子守町で鹿に石を投げたら当たり、神鹿を殺害したとして、
 >大人と同じように縄でくくられた上で興福寺周囲の塀を馬で一周させられ(大垣回し)した後に斬首処刑され、
 >家族は連座で家屋を破壊され追放された(『興福寺略年代記』[9])[10]。