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「古代から航海技術がダメダメで海が怖かった扶余系穢族の朝鮮人」

構造船時代になっても朝鮮人は対馬海峡を渡るのが困難だった。

443年に朝鮮王朝側の使節として京都に赴いた
事があり、その後、彼の死期が近づいたとき、
当時の王であった成宗が
「何か言いのこすことはあるか」と尋ねた。
このとき、申叔舟は「わが国が日本との平和関係を
失うことがないようにしてください」と言った。
その言葉をしっかり受けとめた成宗は、早速日本との
友好関係の修復に努めようとした。

だが、派遣された通信使たちは、対馬海峡の風浪の
激しさに驚き、対馬にたどり着いたものの、すぐに引き
返してしまった。
なんとも情けない有様であった。
それ以来、朝鮮王朝は使節を日本に送らず、日本から
やって来る使節に対応するだけになってしまった。


海洋民族でない韓族の残念な実話でした。『海東諸国紀』  申叔舟