【日経(共同)】兵庫県たつの市の旧家で秀吉の書状2通を発見 地方の家臣に領地を与え、政権の地盤固め [みの★]
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兵庫県たつの市の旧家で、豊臣秀吉から家臣宛ての領地を与えることを伝える書状2通が見つかった。現在の神戸市に当たる地域の領地を巡る内容で、うち1通は豊臣家だけが使うことができた高級和紙「大高檀紙」にしたためられている。同市立龍野歴史文化資料館が8日までに明らかにした。
2通はともに、兵庫県北部の但馬地方を治めた大名山名氏に仕えた垣屋家の分家の子孫垣屋孫市への書状。確認作業に当たった兵庫県立歴史博物館の前田徹学芸員は「秀吉が政権を確立するため、地方の家臣に領地を与え、地盤固めを図ったことを示す重要な史料」と話した。
同資料館によると、書状は1583年8月1日付の「領知宛行状」と1594年10月17日付の「朱印状」で、ともに200石の領地を与えるとしている。領知宛行状が出されたのは賤ケ岳の戦いに勝った後で、秀吉が多くの家臣に同様に出した。朱印状は天下統一を果たし、太閤検地を実行した時期のものという。
…続きはソースで。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF080GW0Y1A400C2000000/
2021年4月8日 9時13分 しかし、こういうのが残ってるってほんと凄いな
これが本物の旧家なんだな >>7
まあ、今でも社長が自分で書類書いたりしないだろ? 山名氏の家臣の血筋ということだが、
地方の武士を旧領主から引き離して、
豊臣氏の直接支配を目指す行動の一環ということなんかな…? 本物だったんかね
辻褄合わせのために書類捏造するとか昔からあったらしいけど >>11
>豊臣家だけが使うことができた高級和紙「大高檀紙」にしたためられている
とある以上、本物なんじゃね? >>1
秀吉は脇坂好きだったもんなw
ちなみにチョンも脇坂大好きw >>7
三筆には及ばないが四筆を選ぶなら秀吉しかないと
書道の大家に認められるくらいに達筆だぞ
しかも代筆の信長と違って秀吉はほとんど本人の直筆という筆豆ぶり
戦国武将で今も残ってる直筆数ではダントツだろ 翻刻してみた
・画像1枚目(天正11年8月1日付羽柴秀吉領知宛行状 垣屋孫一宛)
播州菟原郡森村二百石事宛行訖、永代可全領知状如件、
天正十一
八月朔日 秀吉(花押)
垣屋孫一殿
・画像2枚目(文禄3年10月17日付豊臣秀吉朱印状 垣屋孫市宛)
播州菟原郡内本庄弐百石事、今度検地上を以、令扶助訖、全可領知候也、
文禄三
十月十七日 (秀吉朱印)
垣屋孫市とのへ 薄口醤油発祥の地でヒガシマル醤油がある
揖保乃糸でしられる素麺が特産品として知られている
小さな城下町だけど見どころは多い >>16
2箇所間違ってたから訂正
・画像1枚目(天正11年8月1日付羽柴秀吉領知宛行状 垣屋孫一宛)
播州菟原郡内森村弐百石事宛行訖、永代可全領知状如件、
天正十一
八月朔日 秀吉(花押)
垣屋孫一殿 >>15
秀吉の自筆書状が多いってのは間違いないけどほとんど自筆ってのは言い過ぎ
秀吉の書状は写しも含めて7000通余り知られていてその内自筆書状は120通くらいだな
ちなみに自筆書状が多いのは伊達政宗
4500通の内1300通が政宗の自筆 >>7 >>9
秀吉は文を出す相手によって平仮名でわかりやすく書いたり使い分けてたんだよな
また、読み書きに長けた小寺(黒田)官兵衛に送った書には「こくゎん(こでら くゎんぴょうえの略)」と平仮名で書くことで親しみを込めていたとか
こういう所も人誑しと言われた所以だろうな >>21
基本的には当時仮名文の書状ってのは身内か親しい人に宛てるものがほとんどだからな
秀吉の自筆書状だとおね宛が一番多くて、他には秀頼や茶々、側室宛が多い
黒田官兵衛宛だと2通の秀吉自筆の書状が現存してて
その内の一通は播磨攻略戦の直前に官兵衛に宛てたもので
「其方のきハ、我らおとゝの小一郎めとうせんに心やすく存候間」
(官兵衛のことは私の弟の小一郎秀長と同様に気心が通じた間柄だと思っている)
と書いてるのはまさに秀吉らしい人心掌握術だと思う >>22
あっ、そうなんだ
何も知らないけど適当に書いたらちょっと当たったんだ
なんか笑った ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています