「日本を包囲するABCDライン」興亜書林 世界情勢研究会 著 昭和16(1941)

第一章 ABCD包圍線の結成

一 重慶大使郭泰祺の泣訴

去る4月13日、日ソ中立條約が電撃的に締結され、
蔣介石政權は、從來の親ソ萬能政策に一大ショックを受けるや、駐英大使 郭泰祺 をして、
必死となってイギリス政府と折衝し、援蔣強化を目あてに、反樞軸戰線強化を表看板にし、
對日包圍陣結成を口説かせたものである。
郭泰祺 の運動がさうさせたといふよりは、敗戰一途のイギリスとしては當然の世界政策の立場から、
東亞の局面における對日攻勢の緊要に迫られて、
イギリス政府はつひにシンガポールにあるイギリス極東軍總司令官 ポッパム 大将に訓電を發し
「駐支大使 カー と協力して對日包圍軍事協定の提案を檢討せよ」
と命ずるに至った。