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第二章 ABCD包圍線の發展

一 イギリスの日本包圍線

ABCD線のリーダーは、對獨線に喘いでゐるBでもなければ、奥地の重慶に追つめられたうへ
連日の爆撃に瀕死のCでもなく、況んや本国を失って今では他力本願一途のDでもなく
文字の配列の通り先頭を切ってゐるA即ちアメリカだ。

しかしながら日本包圍陣といふものを畫策したのは、イギリスである。

日本の東亞における勢力増大は、自国の極東權uに火がつくとばかり、日本抑壓に出て來た。
滿洲事變を經て日本の東亞における地位はいよいよ高まり、
1935年ロンドンの軍縮會議が決裂して日本が離脱するに及んでますますあせり出した。

1937年の暮には、この問題ですでにアメリカと協議が行はれた。