【毎日新聞】琉球王国の侵略性と帝国性 八重山アカハチの乱は征伐?侵略?王家菩提寺の釣り鐘に「帝王」 [みの★]
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「万国の懸け橋」を自任し、東アジアの大交易時代に輝かしい足跡を記した琉球王国を新視点で見直す「海の帝国琉球―八重山・宮古・奄美からみた中世―」展が、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で開かれている。海洋国家の爽快なイメージからは意外な「侵略性」「帝国性」にスポットが当てられ、新しい歴史像として刺激的だ。
沖縄本島を中心に、北は奄美から南は八重山・宮古までを版図とした琉球王国。第二尚氏王朝の尚真王(在位1477〜1526年)時代が最盛期といわれる。本土では室町幕府が弱体化し、応仁の乱から戦国時代へと中世も終わりにさしかかった時期に当たる。
治世50年に及び、繁栄のシンボルとして語られる尚真王。しかし、それは王国内中央の勝ち組の描いた歴史像であり、版図に組み込まれていった周辺の島々からは全く別の姿が見える――これが本展のスタンスだ。
展示チーム代表、村木二郎・同博物館准教授(中世考古学)によれば、八重山や宮古に関する当時の文献資料はなく、後年、第二尚氏が編さんした史書に基づく歴史像が流布することになった。ところが、それらの史書は「『野蛮な連中のところに俺たちが文明をもたらしてやった』というトーン」。そこで本展ではまず、文献を離れて考古学の成果に着目する。
■八重山、宮古に大量の中国陶器
展示会場で目立つのは陶磁器だ。13〜15世紀、八重山(石垣島、波照間島、与那国島など)、宮古島の集落遺跡からは、中国製の青磁や白磁の破片が大量に出てくる。数万点に及ぶ遺跡もある。しかも、沖縄本島では出土しないタイプが見られ、中国と直接交易していたことがわかる。
加えて、それらの集落はサンゴの石を積み上げた石垣で区画された独特な形態で、これも沖縄本島とは異なる。
こうして本島とは別の流通圏・文化圏の中で栄えていた各集落だったが、15世紀をもって突如廃絶し、廃虚と化してしまう。多くの島々で同様の事件が起きた。
その15、16世紀のまさに境目、尚真王治下の1500年に起きたのが「オヤケアカハチの乱」だ。王国側史書によると、八重山の「酋長(しゅうちょう)」アカハチは年貢の滞納をとがめられ、大軍を送られて滅ぼされたという。
この記述は発掘が示す集落の断絶ぶりと見事に合致し、八重山社会に大変動が起きたのは間違いない。だが、それを「王国内の一酋長が反抗したため征伐した」と信用してよいものかどうか。
…続きはソースで(会員記事)。
https://mainichi.jp/articles/20210427/k00/00m/040/251000c
2021年4月28日 9時00分 赤八親分!てぇへんだ!
支那の後援を受けた琉球のやつらが!
なにぃ!なんくるないさー!
がってんでぇ! >>2 そういう批判は、国立歴史民俗博物館に行ってこいな。 琉球人は平和を愛する優しい民族では無かったということ? もう韓国本土が色々とごねられない様な外堀が埋められてきたもんで
沖縄とかアイヌ系の話を掻き回す事に最近は熱心ですねw ふざけんなよ
ばか
在日なりすまし沖縄タイムす
韓国人雇うなよ >>5
宮古や八重山の人々にとっては、琉球王朝こそ圧政の象徴。 そりゃまあそうだろ
ネイティブアメリカンやインディオもアフリカ人達も白人来る前は部族同士で争っていた訳だし
ニューギニアの部族もちゃんと殺し合いをしてる 琉球が奄美を侵略して喜界島までを攻めた話をしないとな この程度の記事が理解できず
意味不明な書き込みをする人がいて
嘆かわしい そらそうだ滅ぼされたからといって正義ではない
単に弱くて負けただけ よく、日本人だ!中国人だ!
言う人いるけどw
琉球人は琉球人だろ… 琉球=沖縄本島は宮古・八重山を侵略し人頭税などの重税を課し過酷な支配をした
その謝罪と賠償に沖縄本島は知らん顔している
新聞でも沖縄本島が左翼・親中であり宮古八重山が保守・反沖縄であるのもそこにルーツがある; 要約すると沖縄は我々は日本に侵略された被害者ニダ!と言いながら
八重山を侵略してたってこと。 >>1
遺伝子的には沖縄人は本土日本人より中国人とは程遠いけど、まるで中国圏みたいな言い方だよな、反日新聞は >>16
成務天皇期
はじめて行政区画作られた時に宮城県まではいってますが。
何か? >>16
蝦夷を倒して国土広げていったのが初期日本の歴史だし 今は日本国籍なんですけど?琉球人って何です?沖縄諸島のすべての人々は日本人です
一括りにしないでくれない?宮古も石垣もそれぞれに部落があります
それを少数民族と呼んでも構いませんよ。でもいまは日本国籍
こんな下らない分断記事などはいくら報道の自由が保障されていても国家内乱罪ものだと思いますが? 高麗の軍隊「三別抄」が琉球王国の建国に貢献か
https://s.wowkorea.jp/news/read/29490/
高麗王朝の軍隊「三別抄」が琉球王国建国に貢献したとの主張が出された。
国立済州博物館が沖縄県の那覇市歴史博物館から琉球王国の遺物240点余りを借り受け、来月26日まで開催する
特別展「耽羅と琉球王国」を準備する中でこうした可能性が見つかったと、同博物館のミン・ビョンチャン学芸研究室長が
18日に明らかにした。 >新しい歴史像
ってなんだ?
はるか昔の封印された大河で軍隊も持たない平和な琉球と連呼するジュリーにお前ら侵略者だろwww
とあからさまな突っ込みしてたのに 琉球王朝って実際は圧政や失政やりまくって現地の人から無茶苦茶嫌われてて
首里城の最初の再建の時に大反対されてるレベルだったけど
今さら侵略がどうとか言い出してるの? >>25
役人全員逃げてたんだよなwwwww国民盾にして
だから60万人も高麗国民拉致された。 >>28
🌾お米作りたいなら素直に言えばいいのにね
モンゴル帝国は。
何故拉致する? 琉球王国は左翼側が言うような夢の国ではないどころか、
武士の階級が売買されていて、本土より武士の割合が圧倒的に多かったため、
農民に掛かる負担がとんでもなかった
「琉球王国は非武装の貿易国家だった」なんて左翼が作った大嘘です
実際は石垣島や奄美大島など離島を侵略しまくって
沖縄本島にはない税(人頭税)をかけて苦しめていた 本島が離島を支配してた王国だからね
よく琉球独立!とかいってる人もいるけど仮にそうなっても離島はついてこないよ 琉球王朝の末期、薩摩が沖縄に来て、琉球王朝を倒し薩摩藩の一部となり、沖縄県となった。
それは基本事実ではあるが、それだけ聞けば、民間人も含め抑圧的に沖縄を占領したように思うが、琉球王朝末期の頃は、
琉球王国自体がボロボロになっていて、清国の力が弱り貿易での収益も少なく、民間人への納税で民間人は疲弊。
一般庶民は琉球王朝への不満がたまりに溜まっていたので、薩摩が琉球王朝を倒したことに民間人は大喜びしていたのだ。
実際に、抑圧されていた宮古島や八重山と本島の一部は、江戸幕府に日本に編入して欲しいと陳情していたくらいだ。
琉球王国時代が平和でみんな仲良く暮らしていたという虚構が琉球独立派の共通認識のようですが大嘘。
一部の特権階級が農民を搾取する超階級社会でした。首里城の豪華さは農民の貧困の裏返しであった。
琉球王国は軍隊を持たずに平和な王国を数百年続けた。
ウソです。「しよりおやいくさ(首里親軍)」というものがあり、おもろさうしに戦争を歌った歌もあります。
実際は石垣島や奄美大島など離島を侵略しまくって、沖縄本島にはない税(人頭税)をかけて苦しめていた。 沖縄学の父、伊波普猷(いは・ふゆう=1876〜1947)は、「琉球処分」を近代日本への編入であって侵略行為ではないとしている。
文化的親和性、一体性を持つ本土と沖縄の「統一」、あるいは「合一」として起こったもので、沖縄県体制は植民地ではなく、「日本の一員としての沖縄」が出現したことを意味すると見た。
また、琉球王を頂点とする支配を維持するために、琉球人民はいかに重い負担にあえいでいたか、悲惨な状態から解放し、新しい地平に立たせたのが琉球処分だったと述べている(「琉球処分は一種の奴隷解放也」)。 琉球処分について沖縄学の父、伊波普猷(1876〜1947)は、「三百年間奴隷制度に馴致されていた沖縄人」(『沖縄歴史物語』)という表現を用いている。
琉球処分によって上流の支配階級は多くの特権を奪われたが、彼らに搾取されていた非支配階級、つまり圧倒的多数の庶民が近代国家の国民としての権利を享受できるようになったからであろう。
上流階級が望んだのは、清国と同じ朱子学を根本道徳とした身分制秩序に支えられた国家であった。士農工商が基本でありその身分を壁を乗り越えることは難しかった。
彼らにしてみれば元足軽の伊藤博文が内務卿ひいては総理大臣になれる国家など野蛮人の巣窟に過ぎず絶対に認めることはできない。
四民平等や男女を問わず国民すべてが学校に行けること、それゆえ農民や商人の出身でも政治家になったり高級軍人になれるような「野蛮な体制」は阻止しなければいけない。
琉球処分から二十二年後に勃発した日清戦争で日本が勝利すると、旧支配階級もそれを認めざるを得ず、児童の就学歩合は著しく増加した。 この構図は今でも残ってて、沖縄の人間は島の人間を露骨に差別するよな 宮古島、石垣島、八重山地方は独立国だった(琉球王国の侵略に抵抗したオヤケアカハチは石垣島の英雄)
離島は琉球王国が武力併合して沖縄本島にはない人頭税をかけて植民地支配をした
琉球王国が宮古・八重山地方の島民を異民族として見ていたことの証拠
石垣島出身の具志堅用高も沖縄本島で差別されてきてその怒りをボクシングにぶつけたと語ってる 薩摩に侵略されたって言うけども
八重山に侵略してたんだよな
琉球王国
言っちゃいけないことみたいだけども 村十分があった
裁判と処刑まで村の権利
明治にそれやって日本政府は直接統治を実質諦めた >>5
ヤイマはヤイマであってウチナーではないからな 有気音/無気音で単語を区別する言語グループ
と
有声音/無声音で単語を区別する言語グループ
では、何言ってるのか?
単語の違いが理解できないけど… 明永楽帝五年(1407年)中国最初の官製外国語学校――「四夷館」が設立された。
設立する目的即ちその役割は外国使節が持ってきた国書の翻訳および翻訳官 の養成で、教師の多くは周辺諸国からの使節や随行員を雇われた。
「四夷館」に日本語教育があったかどうかは資料不足のため確定できないが、 少し時代が下って、同じ明代に設立した「会同館」に中国最初の日本語教育が、 尚真王は琉球王国が最大版図になった功労者であり、沖縄史に輝く「大英雄」です。
彼がしたことは、「非武装中立宣言」どころか、真逆の沖縄の武力統一でした。
時は1500年代初頭、本島を征服した尚は、次の版図拡大を八重山と久米島におきます。
八重山への征伐軍の規模は、3000余とされていますから、当時の渡海能力からすれば最大限のものでした。
ちなみに1世紀後の、薩摩軍の琉球侵攻時の総勢は3000人、80余艘を使用していますから、ほぼ同じ規模です。
「武器を持たない国」どころか、当時の中華帝国を別にして、東アジア随一の軍事大国だったと言ってよいでしょう。
迎え撃ったのは、石垣島の大浜生まれの遠弥計赤蜂(おおやけ・あかはち)でした。
アカハチこそが、まさに英雄と呼ぶにふさわしい人物でした。
彼は王府の過酷な課税要求に対して島民をまとめ上げて、レジスタンスの戦いを繰り広げます。
結局、刀折れ矢尽きて戦死しますが、今に至るも八重山に深く残る「沖縄」への怒りをまさに体現した男でした。 この時期の琉球王府軍は、種子島に鉄砲が伝来する以前に、既に中国から輸入した火矢(ヒャー)という中国式小銃を装備していた資料があります。
琉球王国は、尚徳王(在位1461年〜 1469年)時代に奄美の軍事支配も完了しており、後々まで残る王府による苛烈な収奪政策を残していきます。
尚徳王が喜界島侵攻時に動員した兵力は、約2千と言われています。
彼は奄美大島諸島の奄美大島、徳之島、永良部島、与論島などを支配しました。
八重山、奄美の軍事侵攻において、一回につき平均2千から3千人の兵力の海を渡った戦力投射能力が可能な琉球王朝のどこが「平和国家」なのでしょうか。
八重山、奄美への侵攻は別に秘史でもなんでもなく、通史にしばしば登場するのですから、どうしてそれだけの巨大な軍隊を動かす国家が、「武器なき国家」だと思えるのか、逆に不思議なほどです。
これが15世紀末から16世紀前半に至る、尚真王統治の「琉球王国黄金期」だったのです。 ハイハイ
変態人殺し少女売春脱税パンツ泥棒珍聞はご立派ご立派 >>41
多民族国家になると方言として残るだろ
モンゴルとか。 >>1
先島諸島は琉球王国なんぞ良いように思ってないぞ
厳しい人頭税なんかで搾取されまったからな
琉球王国がどうのこうのは沖縄本島の一部の末裔な
先島諸島出身者からしたら琉球王国とか知らん
クソ喰らえだよ アイヌも冬になると凍った海渡ってシベリアあたりを略奪して回ってたらしいしな。
アイヌに略奪された部族がモンゴルに泣きついてモンゴルがアイヌを討伐した記録が残ってる。 先島諸島で育つと琉球王国なんぞ恩恵すら全くない
沖縄本島と一括りにするな
親中派のクソども! >>1
先島諸島に琉球王国ゆかりのもなんて無い
あるのは人頭税に関するもの
沖縄本島は文化的にそこまで密接では関係ない
密接だとしたら税による搾取な! ということでパヨクの巣窟沖縄本島と先島諸島は全く関係ないからな
利権親中派は切腹しろ >>25
沖縄周辺に韓国語訛りがあれば
正しい、が。 ソース シナ系ヘンタイによる相手国に対する政治工作報道 >>5
離島はすごく搾取されてて色んなひどい話が伝わってる >>16
毛の国の話なら平和的に連合を組んだ感じらしいけど >>55
自称海洋大国の韓国に海洋交易の概念がないからそれは無理 >>59
20世紀後半に、沖縄県浦添市浦添ようどれで高麗瓦が発掘された。この瓦の文様は、三別抄が珍島に造営した龍蔵城跡から出土した瓦の文様と類似している。浦添ようどれの瓦には「癸酉年高麗瓦匠造」という刻印があるが、癸酉年は1153年、1273年、1333年、1393年などが該当する。
国士舘大学教授の戸田有二は、これが1273年だとすれば、三別抄が済州島で滅ぼされた年と同一であるため、三別抄の生き残りの人々が沖縄に逃避してきたのではと推測している[5]。なおその時代、徳之島には既に高麗陶工が入りカムィ焼の生産に従事していた事が確実視されている[6]。 つか、本国で60万人も拉致されてるんだけど…
沖縄で遊んでる場合では >>35
先島で沖縄そばのお店聞いたら
沖縄(本島)に行けばと言われたことが >>59
韓国は交易はしてなかったけど中国沿岸で海賊やってたからあながち間違いとも言えない 琉球王朝は中国型王朝だから基本庶民には厳しい
徴税でしか王朝と庶民の接点がなかった >>21
沖縄人が中国人や東南アジア系と遺伝子が離れていていても本土日本人に近い血統は
半島ー北東アジア北中国ー中国他−台湾ーーー沖縄、沖縄で観光客見ればわかる
沖縄先着民は南方系で各地から本土古代人と違う人骨が多く発掘されてる後年に大陸や
東南アジア系が混じったのが沖縄人 陶宗儀が克全から教わった日本語の語彙10個を「いろは」四十七文字 で次のように記されている。「假如曰天則云そら、曰地則云ち、曰山則云やま、 曰水則云みつ、曰日則云ひ、曰月則云つき、曰筆則云ふて、曰墨則云すみ、曰紙 則云かみ、曰硯則云すずり」。
ただし、撥音の「ん」と清濁の区別が未だなかった。 そりゃアイヌだって奴隷制あったし一夫多妻制だったし現代の価値からみてそんな褒められる社会じゃない >>44
もののけ姫に出てきた石火矢だな。琉球でも使ってた火器兵器 >>10
南北戦争で奴隷解放宣言したアメリカ様が核兵器で世界を黙らせるまでは
古代ローマから第二次世界大戦まで、
それがあたりまえの生存競争だっただけの話だからな
今の常識で過去の常識を叩くのがおかしいし
どっちかというとポリコレ含めて今の常識が
自然の原理から外れた異常な行動ってだけだ
まぁ、そろそろ人類が衰退してデザインヒューマンやAI生命に移行していくってことだろうけど >>59
沖縄本島じゃなくて小島に逃げた可能性が全く無いとは限らないよ?
日本はノータッチだし。島流しとかで使う場所だから。 琉球統一王朝発祥の浦添城近くで多くの高麗人やその子孫が長い年月高麗瓦を造り続けた
浦添城や初期の首里城の瓦は高麗瓦を使用してた。高麗から朝鮮王朝に代わった時代
首里城外苑の龍潭池の中島弁財天には朝鮮王から送られた経典が収められて中島に架かる
石橋は朝鮮石工が作ったもの 琉球王朝が実は侵略者だったというのは、言わない約束だったはず 完全な善良や正義なんてないんだよ。人間なんだから。 >>75
それが存在するそこを目指すってのが左翼だからなあ… <<高麗王朝の軍隊「三別抄
モンゴルが攻め込んでくると
王朝は済州島に逃げ込み
モンゴルは国中を荒らしまくったので
盗賊団が横行した それが三別抄 愛国者でも何でもない
結局済州島に攻め込まれて 敗北した
日本は武士が健闘して撃退したのを ねたんで
NHKその時歴史が動いたで 元撃退にケチをつけた >>59
琉球人は中世に朝鮮船籍の遭難救助は度々で保護後半島に送り届けてる、帰るのを嫌がり
ステイした人もいたらしい、東シナ海は昔から航海の要所で第二元寇の多くの兵たちも
琉球に逃げ込んだ彼らは福州人。明国は元の第二皇子を捕らえ多くの従者とともに琉球に
島流し、大陸の動乱時代で琉球周辺や東シナ海が騒がしくなり遭難船が増えていった。 >>5
三山時代に、「おまえらいい加減にせーよ」と中国から叱られるぐらい戦乱だった 正直、琉球王朝の先代は中国の支配層の一部で、そいつらが支配域を拡大するために派遣されて、中国の手を借りつつ沖縄本島の先住民を押しのけ王朝を築き上げたんじゃないかと疑っている
で、しまいには石垣島と宮古島を人頭税で苦しめた
先島諸島に琉球王国としての文化なんて根付いてないからね。
勘違いしゃだめよ 琉球王国やら琉球王朝とか誇らしげに言ってるのは沖縄本島だけ
先島諸島は関係ないから つまりはパヨクたちが言う「沖縄は虐げられた歴史」ってのは歴史の中の一部
沖縄本島の周辺地域を力で征服した事実もあった訳 侵略だったんだろうけどネトウヨは何を喜んでるるんだ? 薩摩が人頭税の一部として八重山宮古本島の琉球絣を江戸で薩摩絣と称して売り飛ばし
大儲け、なお人頭税は明治以降は日本政府に引き継がれた まあ今現在も我々日本国民は政府に人頭税支払ってるんですけどね
住民税という名前で >>87
「旧慣温存」でな
その後、直訴で消えた>人頭税 本島の人より間違いなく本土人の方が嫌われているぞ
移住者のわがままで横柄な態度に辟易していたわ
最近では関西系の半グレ問題もニュースになっていたしな 八重山日報
https://yaeyama-nippo.co.jp/archives/9878
宮古島出身の歌手、うえち雄大さんが25日、石垣市を訪れ、各中学校に著書「宮古人頭税物語第2弾 夢の扉」を贈呈した。
人頭税は琉球王国が宮古、八重山から取り立てた過酷な税制で、納税の能力にかかわらず、住民に頭割りで課されたとされる。琉球王国滅亡後も存続し、1903年(明治36年)に至って廃止されるまで、260年、先島住民を苦しめ続けた。
うえちさんは歌や著書を通じ、人頭税に苦しめられた祖先たちの歴史と、人頭税廃止に尽力した中村十作らの功績を語り継ぐことをライフワークにしている。琉球王国の象徴でもある首里城が炎上した今、改めて人頭税の歴史に目を向けてほしいと訴える。
21世紀の今、人頭税の歴史を振り返ることには二つの意味がある。一つは、悪税に呻吟(しんぎん)した祖先たちの苦闘の上に、現在の豊かな生活がある事実を再認識すべきこと。
もう一つは、先島地方にのみ課された人頭税は、いわゆる「離島差別」「離島軽視」のルーツと言うことができ、すぐれて現代的な問題であること。
人権、自由、平等が当たり前のように叫ばれる現在、沖縄本島と離島の関係で、この価値観はどこまで具現化されているのか、問い直す契機でもある。
この問題意識という点では、宮古島は八重山より徹底しているかも知れない。宮古島には人頭税石(賦測り石)と呼ばれる高さ143センチの石があり、15歳以上で背丈がこの石の高さに達すると、強制的に納税義務が課されたと伝承されている。
本土と沖縄の関係で語られる差別が、本島と離島の間でも、同じような構図で厳然として存在する。しかも皮肉なことに、近年の基地問題を契機にして、本島が本土に対し「沖縄差別」を訴えれば訴えるほど、本島の「離島差別」もまた浮き彫りになる。
沖縄本島の人と話すと「この時代にまだ『離島差別』などと言っているのか」と呆れた口調で反論されることもある。差別の存在すら意識されない現状に、この問題の根深さ、深刻さを痛感させられる。 八重山諸島は独立しつた風に言ってるヤツおるが流刑地だったが正解だな >>89
旧慣温存で薩摩の甘い汁〔人頭税〕を日本人が受け継いだ、ソテツ地獄という飢餓で
約7万人が県外に出た、日本政府は琉球人の自尊心を貶めるために首里城全域を破壊して
沖縄神社建設。日本人学者と政治家墓荒し文化財破壊掠奪とやり放題
首里城の大龍柱は首から下切断して正殿前においてその前に和風灯篭賽銭箱まで用意
琉球建国の神として源氏為朝が祭られた 奄美はもともと日本の領土で鎌倉時代には地頭が置かれてた。
その後琉球に侵略された歴史をもっと広めるべき。
琉球王国は侵略国家 奄美出身者の差別はひどかったと聞いた
流刑地だったから 首里城は沖縄本島、とくに現在の那覇市周辺の人々にとっては精神的支柱として特別な存在であるといわれていますが、宮古・八重山の多くの人々にとっては、それとは違う負の象徴の意味があるといいます。本島(首里王府)と宮古・八重山には歴史的に支配・被支配の関係があったからです。
「沖縄と宮古・八重山は物理的距離(那覇―宮古間は約300`東京・名古屋間の直線距離に相当、那覇―石垣島は約400`東京・大阪間に相当)だけでなく、心の距離もある。
琉球王府軍は、兵3000余人で八重山を襲い、石垣島に上陸。宮古・八重山に人頭税という差別的な制度をかぶせた。
こうした支配・被支配の歴史的関係による「心の距離」ははたして過去のことでしょうか。
今回の「首里城炎上」後、琉球新報、沖縄タイムスは多くの識者の論考を掲載しましたが、私が読んだ20人の論考や両紙の社説はほとんどが日本との関係で論じられており、首里王府と宮古・八重山の関係について触れていたのは、比嘉康春氏(県立芸大学長)くらいでした。
比嘉氏は、「宮古や八重山にとっては非常な過酷な歴史が首里城との関係であったと思う」(11月14日付琉球新報)と述べています。
仲村清司氏は、「ウチナーンチュとは元来、沖縄本島の人たちのことを指す。宮古には『ナークンチュ(宮古島の人)』、八重山には『エーマンチュ(八重山の人)』という伝統的な表現法がある」「僕は沖縄本島以外の人には『ウチナーンチュ』という呼び方はしないようにしている」と述べています。 琉球王国が沖縄本島にはない人頭税を、宮古・八重山地方の島民に課したのは異民族として見ていたことの証拠である
石垣島出身の具志堅用高も沖縄本島で差別されてきてその怒りをボクシングにぶつけたと語ってる >>20
その通りよ
左翼の倭人は沖縄に侵略して!と怒る人にこの話すると話そらすけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています