ツィッターで↓のような薄気味悪いハッシュタグがトレンドになっていた
「#映画館への休業要請に抗議します」


「映画は換気してるから大丈夫なんだ!
クラスターだって出てない!」

↑換気程度で大丈夫なるなら、
みんな静かで映画館よりはるかに清潔な院内で院内感染とか起きないわな。
実際は起きてるわけ。クラスターも起きてる。いちいち発表してないだけ。
換気マックスの屋外でも感染起きてるのに。
呼気にウイルスがいるのだから、飲食もあまり関係せず、陽性者がいれば、その周囲はどこででも危険。


「映画館で映画を観たいんだ。
作り手は1つ1つの作品に人生を賭けているんだ」

↑見ればいいけど、その結果感染しても治療受けるなよ?
自分からリスクの高い場所に行っといて治療受けますじゃ話が通らない。


「五輪はやめないが営業は一時やめてほしいは通じません。
その一時が映画館にもどんなお店にとっても死活問題なのだから。」

↑五輪もやめて映画館ももちろんやめるが社会リスクの管理上、正解なのであり、
五輪もやるから俺らもやるってのはおかしい。
死活問題だというなら、コロナが広まるほうがはるかに死活問題。
感染が広がっているこの段階で、goto推進派の人たちはなんら責任を取っていない。
同じように、いま五輪に賛成している人や、自分たちの利益のためにコロナ蔓延リスクを拡大している人は、
もし感染が広がって悲惨なことになっても、言動の責任をとらずしれっと無視することだろう。
それどころか、「どうしてこうなった!」とか、自分が感染したら「なんで重症の俺が自宅待機なんだ!」とか怒り出すような醜態をさらすと思う。
「検査をするな」、「ただの風邪なので寝てればいい」といってた人に限って、すぐに検査を受けて入院したように。


「ゼロリスク目指すわけにいかないでしょ、我々は」

一部の者の利益より、リスクを減らすことを目指すべきでしょ、私たちが。
経済をよくしたいのなら感染を抑えることが大事だし、
今後何度でも起きる可能性のある疫病に弱い社会産業よりも、
疫病が起きても強いあらたな産業に人が移動しないと社会は疲弊していくだけだ。
既に1年以上経過してるのになにをやっていた?


「映画館が危険だと言うなら会社に出社する方がはるかに危険」

↑特定の会社は社会を機能させるために必要なものであり不要不急なものではない。
不要不急な会社は制限をされていくのは社会機能上当然。
映画館の場合はさらに、会社員だけじゃなく消費者をも同時に部屋の中に大量に集める業種なので普通の会社よりはるかに危険。
不要不急なものと必要な機能を同列に比べるのはナンセンス。