1984年ロス、88年ソウル五輪男子マラソン代表の瀬古利彦氏(64)=日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダー、

80年5月24日。日本オリンピック委員会(JOC)がモスクワ五輪不参加を表明。
政治に翻弄され、瀬古氏ら選手たちの夢は奪われた。当時は東西冷戦。今回はコロナ禍が世界に、そして五輪に暗い影を落とす。

瀬古氏
「僕たちは皆、出たかった。それを政治の力、“オトナの都合”で、理不尽にね…。走って負けたら悔いは残らない。
でも、走らず負けるのは悔いが残る。そして年々、悔しさは増すんですよ。だから今が一番、悔しい。
二度と選手をこんな目に遭わせたくはないね」

白血病を克服して代表権をつかんだ競泳女子の池江璃花子(20)に
SNSで代表辞退を求めるメッセージが届いた。9日の陸上テスト大会では、
国立競技場周辺で反対デモが「中止だ中止!」と叫ぶ声がこだました。「出たい」と言えない空気に、当時と似通ったものを感じる。

瀬古氏
「当時は『五輪に行かせてくれ』というのは、最後の最後で柔道の山下君たちが言いに行ったけど、
それまでは言ったらいけない感じだった。今も同じですよ。『五輪やらせて』って言っちゃいけない雰囲気になっている。
41年前の二の舞いになるんじゃないか、って考えてしまう」

瀬古氏
「選手たちは走るのが仕事。仕事を奪われることほどつらいことはないから、許されるなら五輪をやらせてあげたいと思うよね。
今まで一度もスポーツを見て元気をもらったことがない、って人はなかなかいないんじゃないか。
苦難を乗り越えて勇気づけるスポーツの力が、免疫力を上げる“心のワクチン”のようになればいい」

https://news.yahoo.co.jp/articles/f6596c3d8fdb714a3a4286ccdfe2657d44244b5c