厳しい偏見と差別にさらされたハンセン病患者に戦前から寄り添って治療を続け、国策の「患者隔離」に抵抗した医師で僧侶の小笠原登(1888〜1970)。その生き様を描いたドキュメンタリー映画「一人になる」(1時間39分)が完成した。プロデューサーの鵜久森典妙(うくもりのりたえ)さん(72)=兵庫県西宮市=は「現在の新型コロナウイルスでも感染者や家族、医療従事者への偏見や差別が問題になっている。小笠原の生きた時代、生き方に学ぶことは現在にも通じる」と話す。6月4日から京阪神で順次公開される。

■国策や医学界に一人で抵抗

 ハンセン病は感染力が弱いが、国は96年に「らい予防法」を廃止するまで約90年間、「強烈な伝染病、不治の病」と誤って患者や家族の人権を無視する強制隔離や断種手術を続けた。

 これに対し、真宗大谷派の「円周寺」(愛知県あま市)に生まれ、1915年に京都帝大医科大(現京大医学部)を卒業した小笠原は京大病院で患者に寄り添う治療を実践。「感染力が弱く、治る病気。隔離は不要」とし、療養所への入所を望まない患者のカルテには病名を書かなかったり、「皮膚炎」など別の病名を記したりして国策や医学界に一人で抵抗した。戦後、京大病院を退いた後も国立豊橋病院(同県豊橋市)に勤務しながら円周寺で患者の治療を続け、国立療養所「奄美和光園」(鹿児島県奄美市)にも赴任。82歳で亡くなった。

 2019年6月の熊本地裁判決は、隔離政策で差別を受けた元患者家族に対する国の責任を認め、家族への賠償を命じた。この年は小笠原の五十回忌に当たり、功績を知る人たちが、老朽化した円周寺が建て替えられる前に映像で残したいと念願。記録映画「もういいかい ハンセン病と三つの法律」を作った鵜久森さんと、監督の高橋一郎さん(67)=神戸市須磨区=に相談した。

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https://mainichi.jp/articles/20210527/k00/00m/040/076000c
2021年5月27日 12時23分