0001朝一から閉店までφ ★
2021/05/31(月) 21:57:46.85ID:WYuH1VM69本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)
Books 文化 地域 社会 2021.05.31
三宅 玲子
人口2万5千人の留萌市から本屋が消えたのは2010年12月。それから7カ月後、人口30万人以上でないと出店しないルールを持つ三省堂書店が出店した。それはどうしてだったのか。
4月だというのに、その日は雪がちらついた。地元の人は5月の連休が明けるまではスタッドレスタイヤを外さないという。ゆったりとした坂道を登りつめると、眼前に日本海が広がる。北海道の西端にある留萌の海岸からは水平線の下へと沈むまん丸で真っ赤な夕陽を見ることができる。
美しい地名はルルモッペ(=潮の静かに入るところ)というアイヌの言葉に由来する。明治期ににしん漁により港町として留萌の地が拓けた。炭鉱業も栄え、1910年には留萌本線が開通、続いて1932年には留萌港が竣工した。
昭和の頃、正月ともなると、新年を祝う人たちがこの坂道をぎっしりと埋め尽くしたものですよ。
タクシーの運転手が問わず語りに聞かせてくれた。通り沿いにはデパートや書店、ケーキ屋、洋品店が軒を並べ、市内に書店は5軒、映画館は6つ。ボーリング場だった建物は閉鎖された今も屋上にピンの形のシンボルを担いでいる。港町らしく、料亭やキャバレー、芸者の置屋まであったという。今、歩く人がまばらなかつての市街地を海風がうなるように吹き抜ける。
人口は1967年の4万2千人をピークに減少の一途をたどり、現在は約2万人。
アイコンだったデパートが閉店して20年以上になる。そして、同じ通りにあった書店が倒産したのは2010年12月。戦前に創業した老舗だった。留萌市は一度、本屋を失った。
スタッフは全員地元から
中心街から東へ5キロほど、イオングループのショッピングモールの一角に、市民の誘致によって三省堂書店が開業した留萌ブックセンターはある。
朝7時半、広い駐車場に山からの冷たい風が吹き下ろしている。店内には届いたばかりの大量の本の箱を裁く男性の姿があった。留萌ブックセンターの店長、今拓巳(こん・たくみ)さんだ。
今さんは三省堂書店の社員ではない。三省堂書店と雇用契約を結んだ個人事業主だ。三省堂書店と直接雇用契約をしているのは今さん一人で、5人のアルバイト社員は今さんが雇用する形をとっている。
三省堂書店は東京・神保町に本店を持ち、関東を中心に、愛知・岐阜、北海道で23店舗を運営する老舗の大手書店だ。店長は東京本店から転勤でやってくるのが通常の人事だが、留萌ブックセンターでは今さんをはじめスタッフはみんな留萌の人たちだ。特殊な人事の背景には、書店の生い立ちが関わっている。
「この店は留萌の人たちの思いがこもってるから、預かる方もずっしりと責任が重たいんだよねえ」
作業の手を動かしながら今さんが言った。
雑誌、新刊の単行本、そして客注で取り寄せた本や雑誌。棚に並べる新刊、客注の本、配達する単行本、漫画雑誌や女性誌、週刊誌。今さんは1冊1冊を分類し、帳簿にペンで記録していく。店長になって10年、この作業を休まず引き受けてきた。
広い店内は雑誌、文芸、人文科学から受験参考書、絵本まで、ほぼ全てのジャンルをカバーする。配本の方向を大まかに定めるのは三省堂書店本店だが、独自に留萌の人たちの好みに合わせて注文をかける。三省堂書店との契約で今さんが責任を負うのは、責任者としてアルバイト社員の労務管理を含めた店舗運営を行い、約束した売上を上げることだ。家賃や本の仕入れなどにかかる経費は三省堂書店が管理する。
「公表はできないんだけどね……」とためらう今さんから年間売上を聞いて驚いた。一般に、書店での一人当たりの購入額は年間平均1200円程度と言われるが、留萌ブックセンターの年商はそれを大きく上回る額だった。
この売上が、今さんをはじめスタッフとこの町に本屋がなくては困るという人たちによるさまざまな工夫の上に成り立っていることを、4日間の取材で知ることになる。
その前にまず留萌における書店と今さんの歩みから始めたい。
突然の閉店で「本のある空間」を失う
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c07112/