私が日本の経済財政再建のヒントはルワンダの過去にあると思う理由
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元経産省官僚の宇佐美典也さんに「私が○○を××な理由」を、参考になる書籍を紹介しながら綴ってもらう連載。第11回のテーマは、「ルワンダ中央銀行総裁日記」(中公新書)を読んで考える日本経済、財政再建のヒントについてです。

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簡単に著者の経歴と就任時のミッションを紹介すると、筆者の服部氏は1918年に生まれ、東京帝国大学法学部卒業、終戦を海軍大尉としてラバウルで迎え1947年にようやく復員し、日本銀行に入行。1965年にIMF(国際通貨基金)に出向し、IMFからの打診を受ける形でルワンダの中央銀行総裁に就任した。

当時のルワンダは1962年にベルギーから独立したばかりで、人口約300万人の世界最貧国の一つであった。
典型的な植民地のモノカルチャー経済で食料の自給はできていなかったので、国際収支は経常的に大赤字で外貨不足に悩み、この結果通貨のルワンダ・フランは切り下げリスクが常に伴う価値が不安定なものになっていた。

これを象徴するように為替は二重相場制が採用されており、政府が承認した貿易外取引には1ドル=50フランの公定相場が、その他の取引は概ね1ドル=100フラン程度の自由相場が適用されていた。この二重相場制は完全に利権化しており、政府に深い関わりを持つ外国人顧問や外国企業がこの二重相場制を悪用して、差益を取ることが常態化していた。また政府の経済政策自体もベルギーからの外国人顧問によって牛耳られており、ルワンダ国民は重税に苦しむ中、外国人や外国企業に極端に有利な税制が取られていた。

こうした状態で服部氏に事実上与えられたミッションは、ルワンダ・フランの価値を下げる、「平価切り下げ」の実現で、当時IMFはルワンダの支援条件交渉に当たって平価切り下げ、及び、財政健全化を求めていた。

実際不安定な二重相場制はルワンダ経済の諸悪の根源であったが、通貨を切り下げて単一の固定相場にして価値を安定させるには、国際収支を均衡させなければならなくなり、そのためには大幅赤字の財政も立て直さなければならなくなる。これは近隣部族に脅かされている安全保障環境や食料自給率の低さを考えれば簡単では無い。また庶民の生活を考えると、当然インフレ対策もしなければならない。

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私が本書を通して感銘を受けたのは、経済財政改革に向かうルワンダの政治家、服部氏、そしてルワンダの商売人の姿勢であった。

例えばルワンダのカイバンダ大統領が服部氏との会談で述べた

「私は革命、独立以来、ただルワンダの山々に住んでいるルワンダ人の自由と幸福とを願ってきたし、
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私の考えているルワンダ人とは官吏などキガリ(首都)に住む一部の人ではない。ルワンダの山々に住むルワンダの大衆なのである。」

という言葉は誠に政治家として正しい態度で、少々政治の垢に汚れてしまっていた私の心を打った。今の日本で「自分よりも自分の子供が豊かな生活ができる」と考えている人は残念ながら少数派に思える。

また、同じ会談で服部氏が大統領に対して示した

「現実の問題として途上国の経済成長はなぜ遅いのか。私は日本の経済成長と、東南アジアの国の実情を見て、これはその国の社会経済の仕組みに問題があると思っています。国のなかで生産された富が一部の人の手に渡ってゆき、それがさらに生産を増すために使われるなら、富が富を生み、国の経済がますます発展するのです。しかし生産された富を手に入れた一部の人がこれを浪費すれば、富は富を生まず経済は停滞するのです。
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国の制度で(能力主義の自由)競争が制限されていると、富を浪費する人たちが階級化され、富の浪費が恒久化するのです。」

という言葉は時代を超えて、階級の固定化が指摘されている現代日本経済にも通じるような普遍的な価値を持っているように感じ、思わず膝を打った。

こうしたマクロ的な視点の一方で、ベルギー人からの「ルワンダ人は怠け者だから独立後コーヒーの生産性が落ちている」との指摘を受けて服部氏が現地調査をした際にルワンダ農民が言ったとされる

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「最近はコーヒーを売って現金が入ってもそれを使って買う物資がほとんどなく、物価も上っているので、コーヒーを作ってもつまらないと力をいれなくなりました。」

との返答は、働く側のインセンティブと、物価と、商品/サービスの供給の関係というものを非常に端的に表していると目から鱗が落ちた。現代日本の若者にも十分通じるところがあろう。頑張って働いても、給料が低いし、買いたくなるようなものもないから、仕事にそれほどの価値を見出せないのである。…

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