【読売新聞】堺の今井宗久にあてて秀吉「自分の字は読みにくいので…皆さんで話し合ってご覧下さい」 [みの★]
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堺市博物館(堺区)で、豊臣秀吉と戦国時代随一の商都だった堺との関わりを紹介する企画展「豊臣秀吉と堺」が開かれている。秀吉が自らの城である聚楽第に後陽成天皇を迎える様子を描いた貴重なびょうぶ絵や、堺の茶人・今井宗久への書状など約60点を展示している。7月11日まで。
…続きはソースで。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210628-OYT1T50118/
2021年6月28日 14時17分 自分の肛門は醜いので…
皆さんで弄り合ってご覧下さい >>1
秀吉は読み書きが不得手とは聞くけど
商人相手には祐筆なんて使わないのか 日本人の意味のない無駄な謙遜って生産性低いよな
まー中国由来とかだろうけれども >>7
相手によりけりなんじゃね?褒章とか人事みたいな文書は祐筆で趣味関係とか文化人相手は自筆みたいに
どうしても間に人が入ると表現に装飾的な文言が入ったり格式ばった文章になるだろうし >>11
秀吉の成功を鑑みれば、全然無駄でも生産性低くもなかったんだろうな >>16
そういうことが必要な民族(国民)性自体を指してるんだろ 毎週、黄金の日日の大河楽しんでる
宗及役は丹波哲郎 へりくだりつつ集まって共有しろと言ってるわけか
なかなかうまいな 秀吉の手紙は誤字だらけって聞いたことある。大して弟の秀長の手紙は立派だそうな
同じ環境でも性格が出てて面白いね。秀長はすごい努力したんだろうな 🇰🇬キルギスに🇯🇵日本人に似てる人達いるんだよな…
🤔? >>7
自筆はひらがながほとんどだったらしいけど
筆まめだよw 特攻隊員がアメリカに金玉縮むぐらい怖がらせたおかげで我々は今日本語を使えてこの手紙を読むこともできるんだな そう書く事で「俺の直筆の手紙だぞ。この秀吉様が直筆の手紙をよこしたのだから
俺のために働け」と伝える効果がある。 >>22
花押て要はサインだよなw
そんなの偽造できるだろw
判子文化になったのて明治からかw 今井を商人仲間の筆頭として抑えの効く立場に置きたかったのでは?
つまり今井の後ろには俺がいるぞと 墨で書いた紙切れを信用するて
案外と戦国武将も単純w
毛利元就はこの偽書を作るのが得意w
先祖が公家だからこういう陰キャラが得意だったwww >>33
豊臣秀頼は徳川方の作った偽の内応の誓紙を
筆跡が違うと言って見破ったらしいぞ
まあ戦国武将としてはかなりダメな奴だがな>秀頼 自分を下げつつ要求を飲ませるところがまさに人たらしなんだろうか 脅迫状?全員で読めとか、何か恐ろしい事書いてあるんじゃない?
それか内輪もめを誘うような内容とか こういうのって代筆じゃないのか
殿様の直筆なのかw
花押だけ直筆だと思ってた 秀吉の直筆はひらがなばかりで汚いけど
それゆえに現代人にも読みやすいな 秀頼を拾いと呼べ、様とかつけんな
って手紙の実物を見たことがあるが、ひらがなだからオレには読みやすかった >>35
秀頼は淀の案で公家としての教育受けてきたからか書道には覚えがあったらしい
後藤又兵衛とか長宗我部盛親の内応の偽書を見破った話は司馬の城塞でもネタになってた >>40
だからここぞって時は書くんじゃない。貰った方も嬉しいじゃんw つか、暗号文の意味合いあったのでは?
ミミズ字🪱は。
綺麗な字で「我が国の王は〜」とか
ウサン臭い! >>7
親しい友人宛に心を込めてあえて直筆だったんだろう >>33
元就は戦国屈指の手紙魔だからな。
息子隆元との手紙漫才は逸品。
隆元「弟二人がが当主の自分を無視してイチャイチャして構ってくれない。
実家に帰っても自分はまだしも元就にも挨拶に行かないのはどうなのさ」
元就「わかるー。最近の隆景の態度には自分も腹立つから、隆元に対してはもっとなんだろう。
元春?元々あんな性格だ、諦めろ。」 >>25
こいつらほんま謎
親戚衆がぱっとしないから二人だけチートやろ >>7
ただの謙遜だろ
その辺の田舎大名よりよっぽど教養あるよ >>55
読み書き出来ない大名が少なからずいた時代だからな
農民上がりが大したもんよ。さすが天下人になるだけある >>44
結局武門の大将として出陣しなかったのも
公家だからかw
加藤清正が健在だったら大阪城の大将として活躍しただろうになw >>50
偽書は尼子の家臣を粛清させるの活躍w
まあ紙切れで家臣の首を切る尼子のボンボン殿様もアホだけどなw
まあそういう陰キャラの因果でその息子の隆元は毒殺されてけどなw 加藤清正は諭すほうに回ったと思うな。大坂城を出て一大名としてお残りなされっていうね。
現実は見えてる人 >>61
秀頼が大阪城から出なかったのは
金蔵の財宝があるからだろw
奈良とか和歌山あたりの国替えを家康が示したけど
引っ越しの最中に財宝を横取りされるからなw
まあ将軍家と女系つながりで縁戚なんだし
潰されることはなかっただろうけどなw >>62
冬の陣以前に家康が淀殿をそそのかして
お寺の再建とか大仏建造とかで散在させてるから
あんまり財宝は残ってなかったらしい >>56
境宗久さんだな
つい先日まで放送してたゾンビランドサガの監督やってた人
今後も活躍が期待できる監督の一人 >>63
全国の大名が集まった大阪の陣で対抗できる浪人雇用できる
金銀があっただろw 会合衆のスレ(違
東洋のヴェニスことアキンドの自治都市・堺が
織豊の武威に屈した時に武人に接近して成り上がった政商と
庶人から身を起こし徒手空拳で位人臣を極めた一代の英傑との
ひとつの往来の記録なわけですな。興味深い。
でもって、まあ秀吉の書なわけだけど
自称の通りうまいわけはないとおもうんだけどねえ。
とはいえ、書道史界隈のテキストなんかツラツラ見ていると
秀吉もまた能筆家であるという表現が為されているのがあると思うんだけどね。
いやまあその手の本を読んでたの昔のことだからうろ覚えだが。
(歴史上の人物の名前やその手蹟がいろいろ出てくるが、
みんなうまいと評価されているなあ。第二芸術論じゃないんだからw
…しかし秀吉もかい? とは思った記憶がある。なんとなく。)
あ、ただよく覚えているのはね、秀吉。
出自のコンプレックスかわからんけど意想外に伝統、
まあお姫様とかが好きだったというけどw 書道においてもさ
自らが"書く"んじゃなくて"集める"、古筆蒐集の趣味はあったそうだね。
本邦書道史最高峰クラスの「高野切」とかさ。持ってたんだねえ。
まあそういう趣味については寧ろ、廃嫡した豊臣秀次の方が有名だけどさ。 >>59
清正はきっと速攻で徳川方について
明石の守る木津川口砦を真っ先に落としてたと思うよ。
福島のように中途半端な態度すらとらないはず。 >>1
よく昔の人は手紙とかよく読めたよな、何書いてるかわからないわ 間諜を忍ばせておいて
後でケチョンケチョンに評価した奴をいびりますw >>69 くんが興味深いことを言っているが
まあまあまあ、そこらへんはねえw
過去の人士は誰であっても現代人の書く文書、
例えばこの2ちょんねるに書かれていることとか
おそらく読めないからw そこはイーブンだろうねえ。
まずね、アルファベットがわからないとか
アラビア数字が読めないとかあるってのはわかると思うけど
(算用数字って前近代の日本人はまあわからないんだよね、案外忘れられがちだけど)
意外にね、ひらがな読めないんじゃないかなw 統一されてないからねえ。
逆に漢字はね、読めるものは読めると思う。
だってほら、大中華の書道の最高傑作『蘭亭序』、
これは4世紀のものですけどそのイントロ、読めるじゃないですかw 永和九年ってwww
崩さなければ案外イケるんですねえ。現代人と過去人の漢字はw
まあ、もちろん現代日本風の"簡体字"は通じないけどなwww 昔の人書くの早かったろうな。戦後は筆記体がほぼなくなったもんなw
まあキーボードになったから結果早く打てるけどさ そうか、共有しろってことか
ユーモアかと思った
なかなか気の利いたこと言ってるように思うけど
こういう手紙のテンプレでもあったか
文章の内容を考えてくれるブレーンでもいたのか 自筆の手紙は当て字だらけ まったく気にしなかったらしい
字が間違ってまっせなんて指摘しようもんなら ところで秀吉の手紙といえば、これは書いた方じゃなくて貰った方だけど
インドはゴアのポルトガル政庁から来た格調高い羊皮紙文書、
「ポルトガル国印度副王信書」ってのはすごいよな。国宝ですなあw
もちろんすべて横文字で書かれたお手紙ですけどねえ。
>>77
まあ、当て字が正字になるってこともあるからねえ。
と、いうより正字とか日本語って概念もあやふやな時代だからねえ。
ま、それはともかく漱石先生なんて当て字で日本語を随分作ったもんだ。
とにかく「兎に角」とかね、「笑談」なんてのもそうか、ジョーダン。
ウリもよく使う「単簡」なんてのもそうだ。簡単ってことw
まあ太閤秀吉ならそれくらいのごり押しは出来たろうが
金瓢箪の先生はそこまではしなかったようですなあ。
それにしてもその主君の信長公も旗印に一時「永楽通宝」を
つかっていたように、なんつーか面白いもんですな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています