明治初期に相次いだ不平士族の最初の反乱となった明治7年の「佐賀の乱」(佐賀戦争)の直前、鎮圧の先頭に立った新政府の内務卿、大久保利通が出した直筆書簡が見つかり、佐賀市の佐賀城本丸歴史館に寄贈された。本格的な武力衝突の5日前の同年2月10日付で、伊藤博文宛て。大久保の鎮圧への強い覚悟がつづられており、同館は「開戦直前の緊迫した状況が分かる貴重な資料」としている。

■伊藤博文に宛てる

 書簡は大久保の雅号「甲東」にちなみ、「甲東公書簡」と記した桐の箱に収められていた。書簡のサイズは縦18・7センチ、幅155・6センチ。大久保直筆の巻き紙には由緒書きが添えられていた。書簡は亡くなった福岡市の個人収集家の遺品から見つかり、由緒書きに「佐賀」の文字があったことから「佐賀県の歴史に関係があるのでは」と昨年12月、家族が同館へ寄贈した。

 同館によると、こうした内容の書簡があることは大正時代にまとめられた大久保文書で知られていたが、原本の所在は不明だった。

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https://www.sankei.com/article/20210628-6SK7JPUUFROUDGBXGVG33RZLUI/
2021年6月28日 20時40分