弘前藩は戊辰戦争が始まると当初は新政府側に属していたが、周囲が
奥羽越列藩同盟でまとまると、自らも列藩同盟に加わりながら参戦を避け続け、
新政府軍が優勢になると列藩同盟を脱退して、戦後には列藩同盟側の諸藩が
過酷な処分を受ける中で、弘前藩は1万石の加増を受けている。

機を見るに敏ともいえるが、そういうのも南部との対立の原因になっている。