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「先史日本列島人に関する二三の骨学的考察」 山口敏(国立科学博物館)
doi: https://doi.org/10.1537/ase.104.343

縄文人については、コロボックル説、アイヌ説、原日本人説などの諸説があいついで唱えられたが、筆者が人類学を学んだ1950年代には、縄文人は現代日本人の直系の祖先であり、アイヌとは似て非なるものとする長谷部言人の主張が圧倒的な影響力を誇っていた。

そのため、1959年に参加した稚内市宗谷オンコロマナイ貝塚の発掘で、続縄文時代の人骨にはじめて遭遇したとき、はなはだしく困惑した。アイヌ的な特徴 (眉間の隆起、狭い口蓋、動揺下顎、広く低い顔と眼窩、立体的な鼻根部、鉗子状咬合、扁平な四肢骨骨幹) と並んで、本州の縄文人の方に近い特徴 (中〜短型の脳頭蓋、著しい低顔型、ピラステルの発達した大腿骨) も見られたからである。

アイヌと縄文人を別系統とみる考え方に抱いた疑問は、坊主山遺跡や緑ヶ岡遺跡の縄文晩期人骨の発掘をするにつれて、ますます大きく膨らんだ。オンコロマナイ人の形態が道北部だけのものではなく、道央や道東部にも見られることが分かってきたからである。さらに、縄文晩期の人骨を発掘するに及んで、北海道の縄文文化の担い手は本州の縄文人そのものであったことを確信するようになった。

これと前後して、ハーヴァード大学のW・W・ハウエルズがアイヌの系譜に関して重要な論文を発表した。1961年に来日してアイヌの頭骨を調査。その結論は、現代の日本人は西日本の弥生時代人と連続的につながるのに対して、縄文人は明らかに異なっており、縄文人の系譜につながるのはアイヌである、というものであった。論拠となった判別分析で上述のオンコロマナイ人頭骨が重要な位置を占めていたのが印象的であった。

筆者は弥生時代人骨の研究には経験が乏しいのであるが、弥生人研究の進展状況は、関心をもち続けてきた。三津遺跡、金隈遺跡、土井ヶ浜遺跡などの出土人骨で代表されるいわゆる北九州・山口型の弥生人については、対岸の韓国南岸の禮安里遺跡で出土した人骨との顕著な類似が明らかにされており、渡来の原郷が朝鮮半島南部にあったことは確実と見られている。

左: 稚内市オンコロマナイ貝塚の続縄文人頭蓋 右: 稚内市大岬のオホーツク文化人頭蓋
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