【JBP】アジア諸国の元寇 武官から文官が政権簒奪して降伏の高麗 白藤江で元軍を全滅させたベトナム [みの★]
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モンゴルは13世紀から14世紀にかけてユーラシア大陸を席巻した。それから800年ほどの年月が流れたが、その驚異的な軍事力とその後の支配は、今でも恐怖の感情とともにユーラシア大陸に住む人々の心の奥底に残っている。それは知ることは現代社会を理解する上で役に立つ。
日本はユーラシア大陸の周辺に位置する島国だが、モンゴルの襲来は「元寇」と呼ばれて「神風」という言葉を生んだ。「元寇」と「神風」にまつわる記憶は、危機に見舞われた時に、神が日本を助けてくれるという思考につながっている。
あの戦争の末期に海軍は自爆攻撃隊を組織したが、その名称を「神風特別攻撃隊」とした。それは極めてインパクトのあるネーミングであった。もし「神風」という名称がなかったら、あれほどまでに特攻の悲劇が繰り返されることはなかったのではないだろうか。20世紀になっても日本人の心の中には元寇の記憶が残っていた。
…続きはソースで。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66047
2021年7月16日 >>98
4世紀から5世紀に半島に積極的に攻め込んでるけど
別に征服したわけじゃないぞ >>47
・元朝が渡海作戦のみで勝てた相手
1:シンガサリ朝?
(?勝った後に追い出された、ただし戦利品は持ち帰った)
2:「三別抄(政治家の私兵団)」
「抗モンゴル派」を粛清し、役目終えると解体命令を出され、失業対策で反乱
(日本にも救援求める一方で、元には「忠誠誓うから領土くれ」と媚びる:二枚舌)
3:「アイヌ(他民族を侵略)」
新参民のアイヌ(北のオホーツク系と交雑で、13世紀に新登場)が、他の先住民を駆逐・征服し勢力拡大
元朝の勢力範囲までアイヌが侵略し、元軍は防衛出動
アイヌ(侵略者)に対し、元軍がソリ(トナカイ・犬など)・船で排除・懲罰を重ね、やっとアイヌは服従
https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/hakubutukan/education/d061522_d/fil/tatakai.pdf
★> アイヌはサハリンに侵入するだけでなく、
★> 大陸に渡って村々を襲い、略奪をおこなって. 元軍の手を焼かせていました
(1・2・3どれも日本よりはるかに格下)
この実力では、すぐ万単位の鎧武者がお出迎え、の軍事国家相手に上陸作戦など普通に無理
〜上陸作戦5倍則〜 ベトナムは凄いよな
モンゴルだけじゃなくてフランスやアメリカにもガチで勝ってる
たまに勘違いしてる人いるけど本気の相手にガチ勝利だからな
フランス「あんな小国www一週間で蹴散らしてやるよwwww」=ガチ負け
アメリカ→核をちらつかせて強引に南に傀儡政権を建てる→北の攻撃で泥沼の戦いに引きずり込まれて負けるとなったら南を見捨てて慌てて遁走
だせぇw 元寇を「高麗が日本を征服したくてそそのかした」とか言う話が良く出回るけどカン違いだから
高麗は元に征服されて良いようにされてる状態
国土を屯田にされて、軍艦を作るために資材も人間も全て使われて何度ももう勘弁してくれと泣きを入れてる
その上でフビライが「高麗で軍備を整えたら日本、明を攻める」と明言してる
このくだりは高麗史にある
最初からその態度なので「元に最初から服従してれば攻めてこなかった」という話も成り立たない
その流れで高麗王は「やる気満満です」と言わされた状態
高麗の被征服国の苦しみを見てると無防備で征服されれば良いんだとか言うバカの言葉が見当違いなのがよく分かる >>105
明じゃなくて宋(南宋)だよね?
よく貼られてるこれと同じ文かな
>「朕は宋と日本を討たんと欲するなり」
973 ニューノーマルの名無しさん ▼ 2021/06/04(金) 16:32:56.26 ID:oh9d8c0K0 [1回目]
>>964
まあ宮脇氏は既に出ている著書でもそういう説には反論してるしな
特に下の引用文でもう「フビライは当初は日本を攻めるつもりがなかった」とか
「日本の対応の不味さがフビライを怒らせて戦意を抱かせた」ってのは否定されるし
>フビライ・ハーンの言い分を唯々諾々と受け容れて、モンゴルと通好すれば、モンゴルはたちまちのうちに日本を征服しようとするでしょう。
>かといって、曖昧にでも断りの返書をすれば、それを口実にやはり攻め込んでくるでしょう。
>フビライが南宋と日本を攻めたいと言う
>六月、フビライ・ハーンは入朝してきた高麗の宰相・李蔵用に、「朕は宋と日本を討たんと欲するなり」(前掲井上靖『風濤』)と言い、
>南宋と日本を攻めるために、米を三千から四千碵ほども載せられるくらいの大きさの戦艦一千艘の建造を命じます。
>フビライの高麗に対する造船命令は、日本へ使者として行った高麗の潘阜が帰国する前に出されました。
「世界史のなかの蒙古襲来 モンゴルから見た高麗と日本」宮脇淳子 >>105
ベトナムも朝貢国になった後に要求が大きすぎて戦争になってるし
元は朝貢国への要求がとんでもないんだよな
従来の中国王朝の朝貢関係と同じだと思って
元に朝貢すればよかったという奴多いけど
他の王朝じゃなくて元はどうなのかということはスルーするからな 元寇で元軍が一方的に虐殺された結果、日本人は大陸を奴隷調達の狩場と見なすようになり、
倭寇となって盛んに襲撃し住民や兵士を攫い、分かりやすく頭を剃って奴隷として酷使した。その慣れ果てが河童。
結果として元や高麗は衰退して滅び、明や朝鮮は倭寇を恐れ九族誅と言われる強力な海禁政策を取った。
その結果、両国に海軍が育たず、西欧列強に簡単に屈する遠因にもなった。 >>108
前期倭寇(14世紀前後)は対馬・壱岐・肥前国が根拠地で
元寇で虐殺された松浦党の海賊が主体となっていたが
その後、李氏朝鮮の対馬を中心とする統制貿易、日明勘合貿易の発展とともに規模が縮小、消滅した
後期倭寇(16世紀)は明の海禁政策による懲罰を避けるため
マラッカ、シャム、パタニなどに移住した中国人(浙江省、福建省出身者)が多数派で
中国人の王直や徐海、李光頭、許棟などの頭目が倭寇を率いた >>104
白人の統治がアホだったからだろ
反感を抱く政策しかしない
1940年から日本軍がゆるやかに統治してた頃は在越フランス軍の残存部隊を含め上手くいっていて
ベトナム・ラオス・カンボジアを名目的に独立させ抵抗を減少させた
1944年〜1945年連合軍の攻撃が激しくなると
在越フランス軍との交戦や天候不順とコメの輸送手段の途絶でベトナムで飢饉が起きた >>100
当時のモンゴル帝国ってガチで世界制覇狙うてたからね。
見聞きした土地は全て支配下に入れようとしただろ。
グユクカーンがローマ教皇に送った国書にも
「天命により日の出づる地から日の没する地まで支配する」
とか書いちゃってるからね。 >>3
韓国人が元に日本侵攻を進言した
そして韓国人や中国人が攻めてきた >>49
ベトナム韓国兵はアメリカがけしかけたように朝鮮は元がけしかけた
自分では手を汚さない米中 >>3
マヌケの朝鮮人が内部から敵を破壊してくれた 海外との戦いはその後の国の在り方に大きな影響を及ぼすな
日本は元寇での元寇での勝利の結果、中国は警戒して侵略を避ける行動をとっていた
日本が明の侵略を受けなかったのは元寇の影響が大きい
そして記事にあるように戦時中には神風の用語が用いられて国威発揚に利用されたりしてる
朝鮮半島ではこの元以降記事の通り中国への追従と檀君神話などの事実を無視した栄光の歴史の捏造を始める
彼等の歴史観はこの辺りからおかしくなる
新羅までは唐を翻弄して事実上の独立を勝ち取ってるからそういう捏造をしないでも済んでた
被征服国というのが精神まで歪められてしまうのがよく分かる >>110
前期倭寇には、
元寇の際に拉致された日本人の奪還、
という目的があったことも忘れないで
拉致した高麗国から、
実際に結構な数の奴隷化日本人を奪還している。 >>121
この記事の趣旨的には後に与えた影響という視点があるからな
神風という描写は戦争の時に特に誇張されて教えられてる
それまでは「大風」という書き方だった
教科書での神風って言う書き方は昭和10年くらいから敗戦まで
イメージよりずっと短い期間で明確に戦時中の思惑が色濃く出ている部分といえる
その意味では元寇の大きな影響だろう 1帯1路での、中央アジアとの協力は難しそうだな・・・(当然) 中央アジアに物資が集まり豊かになれば、再び元寇が起こる
そうならへんように防止するのが国際社会への貢献 もし蒙古襲来がなかったら、その後の日本にどういう影響があったのだろう 元寇を反省点とするなら中国もまさに反省とすべき
中国は元々中華思想で他者と外交をしなかった事から大きな失敗を何度もしてる
新、隋、宋、明、清と相手を見下して外交をせずに一方的な態度で臨んだ結果破綻している
相手との対等の話し合いのチャンネルを持たずに軍事力を背景に自分の都合だけで行動するのはいまの中国もやらかしてる
歴史で何でも繰り返した失敗をまた繰り返すことが無いように中国自身も反省をすべきだろうな >>125 くんのシミュレーションが面白いが
北条氏はもうちょっと長くもったか知らないが
遅かれ早かれホロンびただろうね。
いや、後醍醐帝のような異能の王が生まれてしまった以上
やはりあのときに1333年、一味散々にやられたかしらんけど。
まあよく元寇とその後の恩賞がろくになかったことをもって
北条レジームの没落のはじまりと言われるけど
弘安の役から半世紀たってるからねえ。
まあ勝海舟がいっているように論語には陪臣国命を取れば三代続かぬと
言われていながら、ガチの官位の低い陪臣でいながら全国を統一した
北条氏が政敵御家人や上皇方、果ては地上最強のモンゴル軍を打ち破って
累代続いたのはその慎み深さのお陰だし、それがホロンびたのは驕りの所為だろうねえ。
執権、得宗、御内人とちょっと権力の入れ子構造がひどすぎたよね。
それは陪臣どころか国家のトップの天皇が討伐令を出せば一発だよね。
(それにしても討幕の契機となった護良親王の令旨にも記載のなかった
形式的には鎌倉幕府のトップだった鎌倉将軍の空気感をやw
最後の将軍の守邦親王の状況はつまびらかに知られてないしなあ。将軍なのに)
>>76
エ、エゲレスにはアーサー王と円卓の騎士がいたから(震え声w 当時は、何の落ち度もない他の民族を殺すことに全く抵抗が無かったんだね
本当に恐ろしい時代だよ >>128 くんのカキコは非常に興味深いが
と、いうより自民族でもそういうのまったく頓着しないのが
前近代ってもんだからね。怖いんだよ、日本国内だって。
前近代は言い過ぎかな? 江戸時代とか概ね太平だから。
まあ、なんていうかさ、末世末法というか澆季溷濁というか、
毎日がサバイブするための世紀末だよね、前近代は。
本当に現代の視座から言えば名誉だメンツだつまらないことで、
死ぬの生きるのって話になるからね。これは江戸時代もそうか。
いわんやそれ以前の中世以前は生きていることそのものが
殺人経験豊富な輩どもで出来ているもんですよ。武士を筆頭にね。
(ってか兵農分離だからねえ。自検断じゃないけど惣村農民だって怖いぜ
みんながみんなハードコア、万人の万人による闘争、それが前近代w)
ま、とはいえさ、未来の日本人が現代のジャップ国のこもごもを見れば
「なんて無法非道な時代なんだ。20世紀後半から21世紀は」というんだろうねw
それこそ自死者数の高さや今もって解決されないいじめ、
さもなければ過労死やブラック労働の蔓延化のように。 >>97
アホ?
それらは中国(=中華人民共和国)以前の中華王朝じゃないかw >>33
普通逆じゃね?
日本の場合はあれだ戦闘民族だからね仕方ないねw >>3
ワイは元寇のことはよく知らないけどもモンゴル軍ってのはそういう戦い方をする
侵略したらその国の軍を隣国に攻めさせる
モンゴル軍は後ろで弓を構えているだけ(裏切らないように)
っていう攻め方でヨーロッパにまで及んだ
海を渡った元寇でも同じだったのかは知らない 元寇は琉球にもアイヌにも追い返されている
単に弱すぎ これね、もし元軍が若狭湾から上陸してたら、日本終わってたところだったそうだ。
若狭湾から京都方面、関東方面の二手に軍勢を進めたら、鎌倉幕府には倒せなかっただろうと言われている。 >>10
>>26
戦時中の日本みたいに軍主導だと引けなくで破滅では… >>136
潮の関係上九州北部以外船は上陸できない
一隻なら出来るだろうが100単位じゃ無理
幕末まで日本海エリアで揉め事があったという記録はないだろ?
九州以外ならタタール海峡渡る戦略だろうがこっちは兵站を確立できないんで無理、事実アイヌに負けてる >日本人の心の中には元寇の記憶が残っていた
前世の記憶でも持ってるのか 鎌倉武士による元寇撃退とその後の倭寇のおかげで日本人はヒャッハーなヤバいヤツらという評価になったらしいな
戦国時代ではさらに延々と頃し合いを続けていたから完全に悪魔の戦闘民族 >>141
戦国時代で消耗しなけりゃ大航海時代を迎えて東洋のエゲレスになれた…は妄想し過ぎか >>142
イギリスも百年戦争薔薇戦争ずっと戦ってたから >>136
そもそも、「太平記」にもあるが敦賀(当時の国際港)は武士で守備固めてた
> 此企兼てより吾朝に聞へしかば、其用意を致せとて、
> 四国・九州の兵は筑紫の博多に馳集り、
> 山陽・山陰の勢は帝都に馳参る。
> 東山道・北陸道の兵は、越前敦賀の津をぞ堅めける。
加えて、当時の操船技術で日本海を東に進んでも帰路(偏西風と海流に逆らう)が超困難
ろくな地図も海図も無く、
海のプロである海賊すら、遠征しての若狭湾襲撃は困難
結論:若狭湾狙いなど、片道切符のアホ作戦
※なお、大陸を侵略したアイヌの賊軍>>103程度の相手なら、元は犬ソリや船で普通に征討して
結局アイヌを臣従させた
「サンタン交易」てのは、アイヌによる古代中国への朝貢交易 U ・ω・) ヴァイキングも中世の日本にやってきてたけど、
『鬼』として退治されましたとさ。めでたしめでたし。 >もし「神風」という名称がなかったら、
あの蒙古襲来絵巻を見ればわかるだろ?挿絵の部分の存在を
実際は、陸戦でも楽勝の部類だったが、それじゃ恩賞が出ないんで、書き足したんだよw >>142
そこが不思議なんだよな。
日本人って海に囲まれた海洋民族のはずが、あまり外洋に出た歴史が無いだろ?
ヴァイキングみたいになる要素は十分にあったと思うんだけどね。 >>147
遣隋使とか遣唐使があるでしょ
しかも、賢い奴をかき集め、国費を使い、遭難の恐れがある東シナ海を渡り、当時の長安や洛陽に行き、文物を持ち帰ったという歴史が
ある時期引きこもったのは、894(白紙にもどす)年に、うちきりにした遣唐使
但し、平清盛の頃には、日宋貿易を行い、宋船が船の重しとして用いた銭(宋銭)を、
ヒントにして、物ではなく銭を中心とした経済の仕組みも作っている モンゴル帝国の玉金しゃぶってた韓国はベトナムの勇姿を見習いなさい >>110
頭おかしいな
その倭寇プロパガンダは巨大なプロパガンダなんだぞ
そもそもだからこそ、ーそも倭寇の被害証明がない
また日本の海賊とする根拠はない それだけじゃない ポルポトの虐殺を叩いた越軍に対して中共軍が大兵を
差し向けたが練度+米軍兵器まで手に入れたベトナム軍にたちまち追い返されたからな
☆歴史捏造をする中国 ベトナムにフルぼっこにされてた
http://militarymatome999.web.fc2.com/vt1.html >>148
要するに国家単位で統制された海外渡航だよね。
でもさ、その統制が取れない時期もあったじゃん?
そういう時期にヴァイキングみたいにヒャッハーって他国に攻め入る勢力があっても不思議じゃなかったと思うんだけどね?
大航海時代だって、あいつら半分海賊みたいなもんだよ? >>152
海洋航行能力はあっても、使ったところで何になる?って話だと思う
バイキングの元の土地は、スカンジナビア半島(緯度にすると北海道よりはるか上の緯度)
そんな緯度になると、コメどころか小麦も取れない
喰うために南下する。。。これがバイキングが暴れまわった主要因のように思う
喰うために南下する。。。バイキング(スカンジナビアで、昔々に安定的にとれる食い物なんか知らない)
いやもう、食いもんあるしw。。。日本や歴代シナ大陸 で、緯度が高いと、穀物の問題
緯度が低いと、伝染病の問題
ポルトガル(一大穀倉地帯ってあったかな?)
スペイン(同上)
イギリス(穀物として取れるもんはジャガイモ程度)
オランダ(そもそも土地がないので、穀物の収穫量が少ない)
確かに西洋人は「海賊行為を正当化したヤカラ」にすぎんが、低緯度地域で発生する伝染病に負けなかったw人種といえるわけで
結局は、これがすべてかな。。。
何度か、伝染病で全滅したと思うが、しつこく航海を続けた
ちなみに壊血病の薬は、1920年代になってようやく形になったという話 >>10
半島伝いに大陸いけばいいんだしと大東亜戦争のきっかけの海軍不要論みたいなもんで
もう陸軍の下位でいいだろいや必要なのかって感じで切羽詰まって開戦みたいなもんでね
下位にたたないのわかる必要だと認識させることはできたらもう上々
しいたげられてきたけど国内の天下をとればもう満足あとの事はしらん
近隣の大国でさえおしこまれてたのでようやく天下をとれた我が国では無理
もう王族に丸投げって感じだったからなあ
降伏後でもようやく整いましたと日本侵攻 海軍は最低だな
山本五十六が勝手に真珠湾を攻撃して戦争を始めたくせに後は負けっぱなし
すべては統帥権干犯問題が元凶だ
海軍は亡国のはじまりはじまり >>146
いや蒙古襲来絵詞みればわかるだろう
あの絵巻は恩賞出た後に描かれてるんだから恩賞のためじゃない
挿絵に使われてるあの絵の後に恩賞もらったこと書いてるし
日付もあるが弘安の役より後だぞ アイヌによる侵略に対して、元が防衛出動した件は
> 「元文類」だと
> 骨嵬征討に向かったのは刑部の警吏たちで「捕盗」に分類されてるのに対して
> 日本や安南は「征討」に分類され
> 動員されたの軍戸といったガチモンの軍隊で管轄や武装レベルからして全然違う
略奪集団アイヌに対しては、元は警察を送ったようなもので
当時、樺太⇔大陸の行き来は小舟や結氷期の犬ぞり?で行ってたとどこかで見た気が…
対日・対ベトナムととても同列にはできないかと >>154
オランダはむしろ船団(海賊ともいう)が主で、大航海時代に力をつけてインドネシアを占領、ちょうどハプスブルク・スペインが弱体化したタイミングでライン河口の港街が独立したってイメージ >>3 >>88
殆ど高麗人だったってのはまだそういう説があるって段階で
定説や教科書になるほどメジャーな説ではないんじゃね
記録では蒙漢軍+高麗軍+旧南宋軍(弘安の役)で、
この蒙漢軍も元の高麗系が殆どだった、という説だけど
はっきりわかってるわけじゃないだろうし 地図と海流見れば判るが、若狭狙いは物理的に無理過ぎ
日宋貿易の港も、一応国際港の敦賀だと復路が風と海流が逆流で困難過ぎるから
博多から瀬戸内海のルートが中心になった
参考に、渤海使の航路
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/zusetsu/A12/A1211.htm
復路は迷ったら発狂しそうなルート
ろくな補給なし地図無し、片道切符で軍事国家に突っ込んで首都を探せ、て現場は全力拒否して当然だ
もちろん、
日本側も一応国際港である越前敦賀には当然に守備隊を配置してたし ベトナム戦争時、上空を低空で飛んでいくアメリカの
爆撃機を認めた畑を耕してたベトナム女性がやおら背中のライフルを
取り出して爆撃機に向けてライフルを発射した。
ライフルの一撃受けて、爆撃機は墜落した。
一発で仕留めるポイントをベトナム女性は知っていたのだ。 >>142
戦国時代の消耗じゃなくてその後の徳川幕府の政策が徳川政権の存続に全振りした
その為にあえて日本の国力を抑える政策だったから >>1
ロシアも250年支配に置かれたからな。タタールのくびき ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています