万が一才能があっても罪は償わなければならないというのが一般常識
小山田にとって気に入らないものを排除しようとしたことと同様に社会にとって気持ち悪い小山田のようなものを排除しようとするのは自然な流れ
昭和でそれが起こらなかったのは昭和の大部分の人間がサブカルに興味がなかったゆえである
当然サブカル好きの中にはその流れは生まれたであろうが大きなものにはならなかった
人類の善悪の価値観って意外と有史から大筋は変わらないんだよな
許容ということではなく社会体制が排除心に制約を課した
王族や貴族がひどいことしてもどうにもならない時代があったがひどいことという認識はあった(つまり許容ではない)
おれは鬼畜な行いに対する許容なんてどの時代にも存在しないと思うね