日本人わりかしクズじゃね?

捕虜の生活は、トマトやブドウの栽培、薪の為の伐採といった、農業を行っていた。また警備は緩く、オーストラリア軍は負傷者・栄養失調者などを含む捕虜に、手厚い看護・介護を施した。日本人は人気の高い野球、相撲、麻雀などのリクリエーション活動が自由に許され、野球のバックネットを運動場に建てる写真が残されている[
日本人捕虜が暴動を起こした(フェザーストン事件)ため、カウラ収容所も警備の強化が行われる
自治は最古参の豊島を中心に前田、永友、伊藤、柿本ら下記の海軍航空兵組が取り巻いていたが、比重が高まった陸軍より牢名主的であるとの批判が高まった[4]。一方、彼ら陸軍下士官兵は飢餓や病気だったところを入院生活を経てカウラに来た者が多く、豊島ら海軍組から「ハングリー・ボーイ」と蔑まれていた