>>256
元々、イギリス海軍大学やアメリカ海軍大学の留学組が
海軍省の主流で対英米協調路線が海軍の方針だったが、
ドイツ海軍大学留学の伏見宮博恭王が海軍を牛耳り
人事権のない軍令部総長でありながら、海軍の将官人事を
壟断し、条約派を海軍から追い出し、艦隊派を重用し
日米対決への路線を引いてしまった。
皇族の権威をかざしていたため、誰も制止できず
東郷平八郎も加勢していた。
せめて、加藤友三郎元帥が生きていれば、伏見宮の
暴走に歯止めが掛けられたが。
伏見宮は敗戦前に死去したが、生存していれば
戦犯指名の可能性が大きかった。