【農業】農耕にも街乗りにも使える農民車コマツ 60年ぶり復活 [かわる★]
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建機大手コマツが六十年前に販売した小型特殊自動車「農民車コマツ」が、同社の労働組合「コマツユニオン北陸支部」によって復元され、小松市二ツ梨町の日本自動車博物館で六日、試運転の様子が報道陣に公開された。組合の有志十八人が職場で磨いた技能を生かし、休日に交代で作業。約十カ月かけて修復した歴史的価値のある車両の復活を喜んだ。(坂麻有)
自動車博物館で展示「走り見てほしい」
農民車コマツは一九六〇(昭和三十五)年、農耕にも街乗りにも使える車として製造、販売された。全長二・三メートル、幅九十八センチ、高さ一・二メートルの三人乗り。鮮やかなオレンジ色の塗装が目を引く車体は、世界的な工業デザイナー、剣持勇(一九一二?七一年)がデザインを手掛けた。販売は二年間のみで、四千三百台しか生産されなかった貴重な車種という。
同市佐美町の北森清二さんが、父の代に購入し壊れたまま自宅に置いていた農民車コマツを同支部に譲渡。コマツが今年創立百周年を迎えるのに合わせ、同支部は昨年十月から同博物館に作業場を借り、復元に取り掛かった。当時の設計図が見当たらなかったため、支部員たちは建機とは全く異なる農機具の仕組みを一から勉強。いったん解体して部品を修復したにもかかわらず、エンジンがかからないなど困難もあった。試行錯誤しながら部品を組み上げ、塗装や座面の張り替えもして、販売当時のぴかぴかの車両に仕上げた。
試運転では支部員一人が乗り込み、エンジンを始動。排気音が響くと、支部員が熱い拍手を送り、白煙を吐いて走りだす農民車を見守った。同支部の執行委員、田村一洋さん(46)は「コマツでは今、農業支援をやっているが、六十年前の先輩も同じ気持ちで農業者のための車を造っていたことを感じた。多くの人に動いている農民車を見てもらいたい」と期待した。復元した車両は、同館で九月末まで展示される。
https://www.chunichi.co.jp/article/306375?rct=k_ishikawa 再販されるのかと思ったら、スクラップ行きのものを復元させただけじゃん こういう形の電気自動車が
スイスでいっぱい走ってたぞ
ツェルマットとか普通の車は乗り入れ禁止の地域
ホテルの送迎も食料品運ぶ業者も全部これ
元はこういうのだったのかな 「街乗りにも」って、これ公道走れなさそうだが、当時はokだったのかな。 >>17
小型特殊あつかいで普通に(時速15キロ)公道走れる 1960年代ぐらいには 久保田鉄工などで トラクターの形はしているけどトラクターとしての PTO 出力とかは不足しているけれども
街を一人で走るには十分な不思議な四輪の農耕機というものがあったことはある
多分それと似たようなものじゃないかな 高齢者向けに新機種かと思った。
小型特殊って15〜20km/hくらいしか出せないから街で使ってたら渋滞の元になるよ。 >>1
スクラップの再生かよ 真面目にコメントして損した PTOも3点リンクもないし、シニアカーと大して変わらんな。農耕に使えるってどこが? >>17
当時は農業従事者は 農協に言えば大型特殊免許の3 T 未満限定とかいうのがもらえたので
耕運機もトラクターも街中で走ることはできた >>1
> 白煙を吐いて走りだす
ちょっと感動
みたいな?
嘘かと思われるかも知れないが30km/hくらいでGT-Rを抜きそうだな。 >>19
時速15 km 限定で小型特殊で走れるっていうのは最近できた脱法的な措置で
当時はなかったよ 1985年くらいに原付一種(だったと思う)のヘルメット装着義務化になって
所ジョージの番組で、「それでもノーヘルで乗りたい!」って
小型特殊のトラクターをチョッパー風に改造して都内を走ってた。
テレビ局のある区で初めての登録車だった。 >>24
走るノスタルジアや
実用性は求めていない 「ポツンと一軒家」で、爺さん婆さんがたまに乗ってる。 >>24
農業用トレーラーを牽引して 農協まで作物を運ぶことはできる程度の性能はあるんだろうよ 農業知らないのな。ライガー、アテックス、キャニコムとか、果樹農家とかで重くなるもの運ぶのに使ってるよ 果樹園で使われてた屋根を切った軽トラから生まれたマイティボーイ 白煙吹くくらいだから2ストエンジンだろこれ
進次郎一味が嗅ぎつけそう >>45
久保田とかのやつはヤンマーディーゼル積んでたけど 小松だからロビンの2ストロークエンジン積んでいたということもありそうな話だなあ コマツだから小松の自動車博物館に置いてあるのかw
車好きなら一度は行ってみたら良いよ、ドイツのウニグモなトラックとか…東日本大震災時に寄付されたのが2台あるよ、デカイ、デカすぎる、、
オート三輪とか、95式クロガネ四起とか、珍しい車がイッパイ置いてある、、誰も行かないからガラ空きかわ嬉しいw
小松名物はキンツバたとか、、行ったら買うんやで ヤンマーはディーゼルエンジンの軽トラ(360cc)を作ってた。
PTOで脱穀機なんかも使えた。 >>47
初めて聞いた
500台なら相当な規模だな
いつか行ってみたい 自動車メーカーも昔のデザインの車を中身は最新式で復活してほしいな。
今のデザインつまらなくて 街乗りに使えるとあるがスピードはどれくらい出るんだ?
最低30km/hは出してくれないと邪魔で仕方ないぞこんなの >>52
むしろコストが高くなる
安全装備詰め込む必要あるので
欲しければ自分で旧車レストアすればいいし >>16
つい先日、それを大量に置いてるとこの脇道を通ったわ(千葉県)
初めて見る車種だったのでこんなのあるんかーって新鮮な気持ちになった
使われてないのか野晒しされてるっぽいのもたくさんあったが あー小型特殊だからどのみち15km/hまでしか出せないのかw
これで街乗りにも使えると言われてもなあ >>53
この車が売られていた当時は 道路の舗装率って数パーセント程度だから
ほとんどの車が時速15 km くらいでトコトコ走っていたので こんな車が走るには何も問題がなかったわけで >>28
違うわ、小型特殊免許は昔からあったよ
本来は公道外で作業に使い、移動時に公道を使うから…な免許
トラクターだけでなくホークリフトとかも同じで、、役場からナンバープレートが貰える、そして税金を取られる
だから、公道で使用するのが種目的な乗り物に出しちゃ駄目なんだよ
昔は今の中国とかと同じでユルユル規制な時代だから作れたんだよ、原付き自動車も同じだな >>57
当時は大型特殊免許で乗っていたから 最高速度は30 km までだけど
実際は 時速15 km くらいで走っていたから話としてはややこしい 写真見てがっかり
こんなモンが4000台も売れたのかよw >>61
当時の概念としては 乗ったら大型特殊 車両と一緒に歩いて行ったら小型特殊
完全に乗っているので当時の概念としてはこれは大型特殊自動車に分類された理由
今は時速15 km 未満であれば小型特殊自動車という抜け道もあるがそれは当時はない コマツは1955年に通産省が国民車構想を発表した際、参入しようとしたが開発に失敗した(あのポルシェ博士とコンタクトしてたと言う噂)
その名残で農民車出したと何かで見た本に書いてあったわ。 軽トラが便利すぎてそれより小型のモビリティーがなかなか流行らないんだよな。
小型になると地上高やタイヤの制限とかさらに厳しくなるし。 ゴルフカートみたいな車
時速何`まで出せるんだろう 今の時代にこれで街乗りは厳しいだろうけど農耕用としては今でも使えそうな感じがする
小さいからビニールハウスの中とか畑の中とか入っていけるだろ >>61
当時の小型特殊免許も大型特殊免許も 農業従事者の場合は農協に言えば簡単な講習を受けるだけでもらえたので
普通はみんな大型特殊免許をもらっていたわけだ
今は大型特殊免許を取得するには専用の 運転免許となるのでかなり取得は難しいが
小型特殊は普通自動車運転免許の中に含まれるので小型特殊というのが有効になるけれども クボタの小型モビリティは国内じゃ公道走れないという糞仕様
もにょもにょすればナンバー出るけど 本体価格も高すぎて皆軽トラ買うわ >>74
クボタのやつかっこいいのにな
ナンバー取らず敷地内だけで運用ってなると日本じゃ需要ないわな >>61
小型のショベルローダーで 人間が乗っても 大型特殊になるものと小型特殊になるものと2種類ある
小型特殊になるものは 最高速度が15 km 未満で特別に認定を受けた物になるということがあって
電動アシスト自転車と似ているような脱泡的な措置だというふうに説明しなければならないんだが
当時の小型特殊自動車というのは 耕運機とか ロードローラーとか
人間が乗らないタイプのものという概念だったわけ 小型特殊自動車が無いという話ではない >>80
クボタの販売店の前でかっこいいなあと思っていたことを思い出すけど 無駄のないデザインでいいもんだった
でも あれってスーパーカブでリヤカー引っ張っても結局同じことになるんだよなーと 気が付いたから
みんなスーパーカブにリヤカーになったんだろう >>81
ガキの頃ウチにあった耕運機は、リヤカー引いて公道を走ってたぞ
カーの方に緑のちっちゃいナンバープレートが付いてた
脱法だったのかな? >>71
すまんウニモグやった…百姓やから横文字は苦手でなw >>84
その場合は乗車してしまうので
農協からもらった大型特殊免許の範疇になったと考えるのが普通だけどどうなのかね >>84
日本だとそのスタイルほぼ絶滅したけど東南アジアとかだとまだ全然あるっぽいね >>84
意外と今の人が分からない概念としては 普通自動車運転免許を取ってしまうと
申請さえすれば全部の運転免許があることになる
オートバイの免許も大型免許も牽引免許も全部運転できることになるので
それを知らないとまた話が通じないという面倒くさい話 バブルカーの時代に合わせたのだろうけど
このサイズで4輪不整地は使いものにならなかっただろうなあ >>1
バカだろこいつら
今時荷物のつめない車が農民車として使用できるか
ホント
ド馬鹿だわwww >>90
90歳のじいちゃんの免許が限定解除
昔は原付には乗ったらい >>54
公道を走れるような無限軌道付けた
ケッテンクラートを出してほしい。
あるいは農地荒れ地を走れそうな
ドイツの16トンFAMOみたいなの。 博物館展示用に復元しただけやん
んな使うわけないやろw >中日新聞
漢数字と算用数字、どっちが読みやすい?
>一九六〇(昭和三十五)年、農耕にも街乗りにも使える車として製造、販売された。
全長二・三メートル、幅九十八センチ、高さ一・二メートルの三人乗り。鮮やかな
オレンジ色の塗装が目を引く車体は、世界的な工業デザイナー、剣持勇(一九一二〜
七一年)がデザインを手掛けた。販売は二年間のみで、四千三百台しか生産されなかっ
た貴重な車種という。
>田村一洋さん(46)
>1960(昭和35)年、農耕にも街乗りにも使える車として製造、販売された。全長2.3
メートル、幅98センチ、高さ1.2メートルの3人乗り。鮮やかなオレンジ色の塗装が目
を引く車体は、世界的な工業デザイナー、剣持勇(1912〜71年)がデザインを手掛け
た。販売は2年間のみで、4,300台しか生産されなかった貴重な車種という。
>田村一洋さん(四十六) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています