まあ明治維新の頃から、大阪を中心とする関西経済圏から東京首都圏へのヒト・モノ・カネの流失は基本潮流であって

その流れが逆流したのは、関東大震災後の首都機能麻痺&横浜港壊滅→「大大阪時代・神戸港が東洋一の港に」の時代だけ。
この時代は、台湾・朝鮮半島・満州があったので、日本の経済・人口軸の重心が関西にあったことも幸いした。

結局、1990年代までは人口増加(若年層増加)と日本経済全体の発展が続いていたので、関西経済圏も西日本から北陸のヒト・モノ・カネを集め、この「基本潮流」が見えづらかっただけ。