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 フォート・デトリック研究所とは?
 1943年から1969年にかけてアメリカ合衆国生物兵器プログラムの中心施設として生物兵器の開発や実験、生産が行われ、1946年頃から旧日本軍
 の731部隊による実験資料が持ち込まれたとされるが、最初の本格的な活動は炭疽菌の大量培養で、次いでブルセラ菌・野兎病菌の培養のための
 建物が建設され、1943年8月から1945年12月までに、ハツカネズミ60万頭・モルモット3万頭・サル166頭を含む17種類の動物が使用されたとの事。
 1950年、容量1000m3の球形の大型実験設備「エイトボール」が完成、野兎病菌を詰めた爆弾の最初の実験が行われ、次いで炭疽菌の実験が行わ
 れたが、2000頭のアカゲザルがこの実験に用いられたとの事。
 1969年、リチャード・ニクソン大統領は攻撃用の生物兵器を作らないと言明したが、以降はアメリカ陸軍感染症医学研究所が設置され、対生物
 兵器・生物テロの防護研究を行っているとされるが、同研究所は、バイオセーフティーレベル4の高度な設備を持ち、防護研究用として、現在で
 も少量の生物兵器が配備されているとの事。
 1971年から1976年7月にかけて、研究所は韓国内で大量の胎児の腎臓を買い付けていたことが明らかになっているが、腎臓は中絶手術によって取
 り出された胎児のもので、持ち込まれた腎臓は流行性出血熱の研究に用いられていたとされているとの事。
 フォート・デトリックでは過去に4名の研究者が感染事故によって死亡しているが、2001年に発生したアメリカ炭疽菌事件の犯行に使用された炭
 疽菌株は、当施設で保管されていたものだったとの事。

 ファイブアイズとは?
 ファイブアイズの前身は、第二次世界大戦中、アメリカ陸軍・アメリカ海軍それぞれの暗号部(後のNSA)とイギリスの政府暗号学校(後のGCHQ)
 が、共同でドイツの暗号機エニグマの解読の為に、1940年6月に発足したが、英米の協力関係は戦後も続き、1946年にはソビエト連邦との冷戦に
 備えて協定を結び、1956年のスエズ動乱で英米は対立したが、協力関係は途絶えずにカナダやオーストラリア、ニュージーランドなどのアングロ
 サクソン諸国を加えて、現在に至るが、2000年代は従来の衛星通信やマイクロ波通信の他に、インターネットやデジタル携帯電話が普及し、光フ
 ァイバーや光波長多重通信(WDM)を用いた海底ケーブルの利用や暗号化が進み、盗聴の難易度が上がったが、世界のインターネットエクスチェ
 ンジ(IXP)やトランジット・トラフィック、盗聴や逆探知の鍵となるルーターの技術や莫大な数の個人情報を持つ有力なネットサービスを握って
 いるのは協定各国であり、その気になれば幾らでも通信傍受は可能で、ウォーターゲート事件を受けて制定された外国情報活動監視法 (FISA) に
 よる国内盗聴には規制があり、NSAは偶然に傍受した合衆国市民の氏名を報告書から消すために多大な努力を払っていが、同時多発テロ事件以降
 はFISAにより盗聴活動の是非審査を行なう「外国情報活動監視裁判所」の許可を得ずに数千件の国内盗聴を行な、GCHQも新技術に対応した通信傍
 受を行い、またNSAはアメリカサイバー軍を傘下に収めてクラッキングを行ない、冷戦時代にソビエト連邦と中国に侵入したU-2偵察機や北朝鮮近
 海に侵入した情報収集艦のように情報を盗みに行くことも考えており、既に世界中で6万1000件のクラッキングを実行しているという内部告発も
 あるとの事。